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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年4月号

列島縦断ネットワーキング【北海道】

「地域を創る」という理念を掲げて
~田舎町北海道当別町発、NPO法人ゆうゆうの取り組み~

大原裕介

NPO法人ゆうゆうは、2002(平成14)年、地域福祉活動を実施するため、当別町(人口2万人規模)と北海道医療大学が協働で設立した学生ボランティアセンターが前身団体です。ボランティアセンター開設当時から学生によるレスパイトサービス(障害児・者の一時預かり)を立ち上げたほか、子どもから高齢者、けがをした人など、あらゆる生きづらさを抱えた住民の方々を対象とした地域生活支援事業を展開してきました。2005(平成17)年に、ボランティアセンターの範疇を超えたことから、卒業生4人により、NPO法人を取得し、障がい者の支援を主とした地域生活支援事業所を設立しました。

NPO法人を設立してから7年目を迎える現在、当別町では障害者自立支援法に基づく地域生活支援事業を展開するほか、共生の町づくりを視点とした事業等を実施する6か所の事業所を運営しています。また、当別町での事業モデルを活用し、隣接する江別市(人口12万人規模)と財政破綻した夕張市(人口1万人規模)でも3か所の事業所を運営しています。

法人本部がある当別町はのどかな田園風景が広がる田舎町です。人口2万人規模と少し背伸びをしましたが、現在は約1万8千人。人口減少が著しく、少子高齢化に拍車がかかっている町です。こうした町では子ども、高齢者、障がい者と縦割り横切りにした事業展開は馴染みません。それは、「そこの困っている人に手を差し伸べること」ができるからです。「私は障がいの専門だから」なんて悠長なことを言うことはできません。ですが、もちろん、私たちがすべてを担うことができるわけでもありません。

そこで、「あらゆる住民にあらゆる住民が手を差し伸べる仕組みをつくること」をねらいとして、行政や社会福祉協議会、さまざまな機関・団体と協議を重ねて、平成20年に「当別町共生型地域福祉ターミナル」と「当別町共生型地域オープンサロン」の2つの拠点を整備しました。

当別町共生型地域福祉ターミナルは、当別町のあらゆる福祉情報を集積し、その情報がスムーズに発信され紡がれていくために「人と人」「人と情報」の交差点をねらいとしたボランティアセンター拠点です。

この交差点の交通整理を担うボランティアセンター事務局が少々ユニークです。同じことを目指しているはずなのに、どうも互いの仲がしっくりきていない社会福祉協議会とNPO法人が同じ屋根の下、机を並べています。社会福祉協議会のボランティアセンターは、「ボランティア情報は豊富であるけど、人的な資源が不足」、片やNPO法人ゆうゆうは、「人的な資源(大学生)は豊富であるけど、ボランティア情報が不足」となり、お互いの特徴と課題を補完し合うことができる状況にあったわけです。いがみ合いより、分かち合うことにより、交通整理(ボランティア調整)はスピーディーになりました。

この事務局では、ボランティア調整のほかに、子ども、障がい者、高齢者の地域生活を支えるために専門家でない住民が担い手となるインフォーマルサービス事業である「当別町共生型パーソナルアシスタントサービス」(有償:1時間500円)の調整も実施しています。

たとえば、障害者自立支援法では提供できない通勤支援等に団塊世代の男性が担い手として活動するようなサービスで、大学生から団塊世代までの住民50人が登録しています。登録するためには、大学教員や地元福祉関係者が講師となった座学に合わせ、地元の学童保育、障がい者や介護事業所での実習も加えた30時間程度のオリジナルのカリキュラム講座を受講しなくてはなりません。全く障がい者や高齢者の介助経験のなかった方々が今まで他人事としていた地域課題を自分事として捉えるようになり、もはや、政策や制度の不全を嘆き憂う間もないということが、緩やかにこの事業を通じて、地域に浸透しつつあります。

「当別町共生型地域オープンサロン」は、子どもから高齢者、障がい者を中心にあらゆる住民を対象とした、日常的に「支える人」と「支えられる人」を混合させるために当別町の駅前のメインストリートに設置され、気軽にだれもが自然に立ち寄れる障がい者の就労拠点施設です。

5人の障がい者が1つの建物の中にある、ドーナツ屋さんと喫茶店、子どもたちが利用する駄菓子屋さんの3つのお店に勤めています。それぞれの就労の場は、地域のボランティアが活躍する仕組みとなっています。

たとえば、駄菓子屋さんは地域のおばちゃんが一緒に店員を務めます。駄菓子屋さんにはいろいろと仕事があって、お客さんの子どもたちの接客はもちろんのこと、細かな駄菓子に値札を付けたり、駄菓子の勘定を電卓やそろばんを使わずに計算したりと多岐にわたります。

実はこの作業は、単なる障がい者の補助ではなくて、高齢者であるボランティアの介護予防なのです。人との対話、手先の運動、計算、そして自宅から徒歩で通う運動など、すべて介護予防の項目です。まさしく、ボランティアとして「支える人」が介護予防として「支えられる人」へと変化するのです。

そして、この介護予防は「寝たきりになりたくない」という動機から生まれるものではなくて、「だれかのために」という地域での役割が動機づけとなっています。障がい者が地域に存在することが日常的な場面に設定されることにより「支えられる人」ではなく、一住民として地域に存在する「支える人」として与えられた役割を担っているのです。

ところで、駄菓子屋さんのボランティアの方々は、ときに、障がいのある人の「ソーシャルワーカー」へとも変化するのです。ある障がいのあるスタッフが楽器をやりたいと話をしていました。ただ残念ながら、音符を読み込むことができず悩んでいた姿を見たボランティアの方々が、「大正琴なら得意な数字が音符変わりだからやってみよう」と、彼に提案しました。彼は半信半疑ながらも、仲間たちと一緒に、お客さんがいない時間帯や仕事を終えた後、練習を始めました。彼らはすっかりボランティアの方の丁寧な指導と大正琴に魅了されて、時間も忘れて練習に取り組んでいました。

大正琴を練習する日が続いたある日、「地域の集まりで大正琴の演奏会をしないか」と予想もしないお誘いを受けました。どうやらボランティアの方々は彼らのがんばりを地域に伝えたいと、自らさまざまな場所に出向いて説得にあたったそうです。そうした温かな応援もあり演奏会は盛会となり、今ではイベントのたびに披露するまで腕を上げました。

ボランティアの一人にお話を聞くと、「老後の趣味で始めたことに彼らを巻き込んだだけ」とさらりと言うのです。彼らの想いを叶えるため、彼らのできることに着目し、丁寧に彼らの潜在的な能力を伸ばし、それを地域の中で開花させ、地域住民に彼らのファンを増やしていく。

私たちが目指す「ノーマルな地域創り」とは、当別町共生型地域オープンサロンという空間の中で芽生えた新たな交流が、その空間を超えて地域へつながれたように、限られた空間(施設や事業所)で完結するものを創り上げる営みではないような気がします。私たちが目指すべき「地域創り」は、施設や事業所を「地域に創る」のではなく、「地域を創る」ということですから。

(おおはらゆうすけ 特定非営利活動法人ゆうゆう理事長)