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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年5月号

障害者虐待防止法
~法制定の経緯と残された課題~

平田厚

はじめに

2011年6月、「障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律」(以下、「障害者虐待防止法」)が成立した。虐待防止法制としては、2000年5月成立の「児童虐待の防止等に関する法律」(以下、「児童虐待防止法」)、2001年4月成立の「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(以下、「DV防止法」)、2005年11月成立の「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」(以下、「高齢者虐待防止法」)に次いで、4つ目の虐待防止法である。

これまでの虐待防止法制の歩みは、児童・配偶者・高齢者という、家庭内で虐待を受けやすい相対的な弱者に関して、虐待があった場合の対応措置やその後の支援システムを構築しようとするものであった。つまり、家庭内での虐待に対して、ローマ法以来の「法は家庭に入らず」とする原則を否定し、虐待を受けやすい家族構成員の生命・身体等の保護のために、法が家庭に介入することも辞さないことを宣言したものであった。

ただし、高齢者虐待防止法は、家庭内虐待を対象とするだけでなく、施設内虐待についても対象とし、身体・性・心理に対する虐待だけでなく、経済的な虐待も虐待概念に含めるとともに、養護者の介護ストレスを解決しない限り、高齢者に対する虐待を防止することはできないという認識のもと、加害者である養護者に対する支援をも盛り込んだ総合的な虐待防止法制となっていた。

障害者虐待防止法は、それまでの虐待防止法のように、虐待を受けやすいライフステージに着目して制定された法律ではなく、障害という特性に応じて、いわばライフサイクル縦断的に制定された法律である。確かに、障害のある児童や高齢者に対しては、それぞれ児童虐待防止法や高齢者虐待防止法の適用が認められるのであるが、児童や高齢者に対する虐待でも、障害があることに基づいて虐待が行われるのであって、必ずしも従来の法制度だけで十分だったわけではない。また、障害者が成年期や壮年期にある場合、まさに障害があるがゆえに虐待が行われることも多く、このようなライフサイクル縦断的な虐待防止法制が求められていたといえよう。

障害者虐待防止法制定の経緯

障害者虐待防止法の制定を求める声は、1990年代の大規模な施設内虐待を契機として巻き起こっていたのであるが、立法化の議論が本格的に始まったのは、2005年に厚生労働省障害保健福祉部長が主催する「障害者虐待防止についての勉強会」が開催されてからであろう。この勉強会は、藤沢敏孝・中野敏子・松友了・佐藤彰一・野沢和弘という有識者をメンバーとし、5回にわたって包括的な検討を行い、障害者虐待防止法の制定が必要との結論を打ち出したものであった。

しかし、その後の展開が見られないまま推移し、2009年7月9日に与野党がそれぞれ独自の障害者虐待防止法案を衆議院に提出したが、国会解散によってともに廃案となってしまった。

当時の与党法案(正式名称は、「障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律案」。以下、「与党法案」)と野党法案(正式名称は、「障がい者虐待の防止、障がい者の介護者に対する支援等に関する法律案」。以下、「野党法案」)には、大きな内容的な違いはなく、両法案の内容とも、基本的には高齢者虐待防止法の内容を踏襲するものになっていた。

両法案とも、高齢者虐待防止法と異なっているのは、使用者による虐待を含めたこと、および、それに基づいて経済的虐待に賃金・工賃を支払わない行為を含めたこと、ならびに、権利擁護センター(与党法案)や障がい者虐待防止・介護者支援センター(野党法案)などの設置を定めたこと、などの点にあった。もっとも、与党法案では、高齢者虐待防止法と同様に、虐待通報義務があるのは生命・身体に重大な危険が生じている場合に限定しているのに対し、野党法案では、これを限定していないという違いもあった。また、野党法案では、身体的虐待の定義の中に、正当な理由のない身体拘束を含めている、などの違いもあった。

しかしながら、障害者権利条約の批准という政治的な要請は急務であり、2011年6月17日、前記の野党法案をベースに修正を加え、議員立法によって障害者虐待防止法が成立したのである。障害者権利条約は、「第16条 搾取、暴力及び虐待からの自由」で、障害者虐待への適切な対応を求めており、障害者権利条約を批准するためには、障害者虐待防止法が成立し、その内容と運用とが障害者権利条約の趣旨に適合していなければならない。

障害者虐待防止法の特徴

障害者虐待防止法の基本的な枠組みは、制定の経緯に記載したように、基本的に高齢者虐待防止法の枠組みを踏襲している。今までの虐待防止法制度が規定している禁止行為と対応システムの全体像を図示すると、次のように描くことができよう。

図 虐待防止法制度の禁止行為類型と対応システム

  高齢者虐待防止法 障害者虐待防止法 児童虐待防止法 DV防止法
行為類型 1.身体的暴行
2.ネグレクト
3.心理的虐待
4.性的虐待
5.経済的虐待
1.身体的暴行・身体拘束
2.性的虐待
3.心理的虐待
4.ネグレクト
5.経済的虐待
1.身体的暴行
2.性的虐待
3.ネグレクト
4.心理的虐待
1.身体的暴力
2.心理的暴力
対応システム 1.養護者虐待通報

ア 事実確認
イ 一時保護
ウ 居室確保
エ 立入調査

2. 施設虐待通報

ア 都道府県報告
イ 監督権限行使
ウ 事実の公表
1.養護者虐待通報

ア 事実確認
イ 一時保護
ウ 居室確保
エ 立入調査
  
2.施設虐待通報

ア 都道府県報告
イ 監督権限行使
ウ 事実の公表
  
3.使用者虐待通報

施設虐待と同様
* 虐待通告

ア 安全確認
イ 一時保護
ウ 立入調査
エ 保護者指導
オ 27条措置
カ 児童支援
キ 親権喪失制度等の適切な運用
* 暴力通報

ア 配偶者暴力相談支援センター
:保護説明
イ 警察
:被害防止措置
ウ 関係機関連携協力
エ 裁判所の保護命令
1 接近禁止命令
2 退去命令

ただし、障害者虐待防止法には、高齢者虐待防止法と異なる新しい点もある。第一に、働く障害者に対する使用者による虐待防止も対象としていることである(障害者虐待防止法第二条第八項、第二十一条ないし第二十八条)。第二に、正当な理由のない身体拘束が身体的虐待の定義に含められていることである(同法第二条第六項第一号イ、第七項第一号、第八項第一号)。第三に、虐待の予防・対応システムとして、市町村に障害者虐待防止センターを設置し(同法第三十二条)、都道府県に障害者権利擁護センターを設置するものとされていること(同法第三十六条)などが挙げられる。その他、比較的細かい差異もいくつか存するが、ここでは割愛させていただく。

障害者虐待防止法の残された課題

厚生労働省社会・援護局は、平成23年9月27日に「障害者虐待防止法の施行に向けた対応について」という担当者会議資料を配布し、施行へのスケジュールを明らかにしている。しかし現段階では、その具体的な中身については未定である。もし市町村障害者虐待防止センターや都道府県障害者権利擁護センターの機能が実効性を欠き、虐待事実を届け出ても、その後の対応が一切なされないこととなってしまうと、いたずらに絶望感だけを与えてしまう結果にもなりかねない。

また、児童や高齢者に対しても、虐待防止や権利擁護のためのセンターを設置することが必要であるにもかかわらず、これらのセンターを設置する予算が限定されていることを考えると、介護保険制度上の地域包括支援センターにすべての虐待防止センター機能を丸投げにする危険性もある。現在でさえ、地域包括支援センターは、介護予防業務に手一杯で虐待事件への対応能力を欠いている場合が多いのであるから、形だけを作り上げてしまうことによる弊害も十分に意識しておくべきである。

さらに、障害者権利条約は、第十六条において、年齢・性別・障害に配慮し、虐待防止のための適切な立法上・行政上・社会上・教育上の措置を求め、かつ、虐待が生じた場合の身体的、認知的・心理的な回復とリハビリテーション・社会復帰を促進するためのすべての適切な措置をとるものと定めている。したがって、障害者権利条約を批准するためには、わが国の障害者虐待防止法も以上の条文の内容に適合していなければならない。障害者虐待防止センターや障害者権利擁護センターに関する障害者虐待防止法の運用が障害者権利条約を批准できるレベルのものになるかどうかも問われていることになる。障害者虐待防止法を適切に実施していくためには、適切な人員配置や物的設備を充実させていかなければならない。

なお、障害者虐待防止法では、正当な理由のない身体拘束が身体的虐待の定義に盛り込まれている。しかし、正当な理由のない身体拘束は、褥瘡などの身体的被害を生じるから禁止すべきだとされているのではなく、他者の利益のために本人の人格を否定するところに禁止根拠がある。したがって、褥瘡が生じないなら身体拘束も許されるなどという解釈を許さないよう厳しい運用が必要となる。これは、条文の立て方に問題があると思われるが、運用次第で条文の立て方の問題を補うことが可能であろう。

おわりに

障害者虐待防止法は、障害者の尊厳を守るうえで必要不可欠な法律である。また、障害者権利条約を批准するためにも、不可欠な措置の一つである。したがって、障害者虐待防止法の今後に期待することは多いはずであろう。もっとも、成立した障害者虐待防止法が完全なものであるわけではない。たとえば、学校や病院における虐待などにも対応する法制度にすべきだという議論もあり、障害者権利条約でも「教育上の措置」が求められていることに照らせば、少なくとも学校における何らかの対応措置を備えておくべきであるともいえよう。

また、障害者虐待が生じないようにするには、法律が成立するだけでは不十分であることも言うまでもない。あくまでも障害者虐待防止法は、障害者虐待に対する予防・対応システムを定めているものであって、障害者虐待を根絶できるかどうかは、われわれ一人ひとりが障害者の人格を適切に尊重できるかどうかにかかっているのである。

障害者虐待防止法を真に実効性のあるものにしていくには、われわれの人権意識が研ぎ澄まされたものになっているかどうかにかかっているのであって、法律が制定されたことで安心してしまってはならない。

現代日本社会においては、人の命の尊厳というものが非常に軽視されているという閉塞感がないだろうか。東日本大震災を契機として、人の命の尊厳が再認識されたとも言えようが、原発問題への対応の不十分さを見ても、日本社会の感性が鋭敏さを持続しているとは言いがたい。最近の不祥事報道では、障害者施設で利用者の顔に複数の職員が落書きをしていたという事件が取り上げられている。このような行為も利用者の人格に対する虐待であることを認識すべきである。人の命の尊厳を維持するためには、われわれ一人ひとりが日常的に人権意識を問い直す作業を持続していなければならない。あらゆる虐待を防止するのは、法律ではなく、われわれ一人ひとりの意識なのだということを再認識しておきたい。

(ひらたあつし 明治大学法科大学院教授・弁護士)