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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年5月号

精神保健福祉領域における障害者虐待防止の効果と課題

岩崎香

1 はじめに

「障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律」(以下、障害者虐待防止法とする)が成立した。この間、法の成立が待ち望まれてきたわけであるが、法の成立によって、精神保健福祉の領域で何がどのように変化していくのであろうか。

今回の法により、養護者、福祉施設従事者等、使用者(雇用主)が法の対象として位置付けられたが、医療と教育現場に関しては明確に位置付けられなかった。双方ともに、私たち精神保健福祉士が対象としているフィールドであり、特に医療に関しては、宇都宮病院事件1)をはじめ、過去に多くの人権侵害事件が起こっている。そのことを含め、法の効果と今後の課題について考えてみたいと思う。

2 精神障害者への虐待の現状

現在、障害者の権利条約批准や包括的な虐待防止法も検討が進められている中で、障害者虐待防止法が成立したことは大きな意義がある。最も注目すべきは、虐待の通報が義務付けられたことであり、市町村がその任を負うこととなっている。虐待により障害者の生命または身体に重大な危険が生じているおそれがあると判断された場合は、立ち入り調査を実施することができる。その結果、重大な危険に晒(さら)されている場合は一時保護や、虐待者と別居している場合は面会の制限等、法的な措置がとられることとなる。

虐待の5類型の中で、精神障害のある人が受けている虐待として多いのは、心理的虐待、経済的虐待だという社会福祉士会の調査結果がある2)

精神障害のある人たちの中には、統合失調症やうつ病などの病気の症状によって、意欲や集中力が低下してしまう(一時的なものを含む)ことがある。また、抗精神薬を服用していることによる副作用で、同じような状態に陥ってしまう場合もある。そうした状態の時に、周囲から、「なまけている」「やる気がない」とみられてしまい、特に同居している家族から、働けないことを非難されるという例は少なくない。暴言や暴力という形で本人は心理的に追い詰められてしまうのである。

また、経済的な虐待を受けている例も多い。具体的には、障害年金を家族が管理し、本人には少額のお金しか渡さないとか、生活保護のお金を家族が着服してしまっているというようなことである。

では、他の虐待がないのかというとそういうわけでもない。特に性的虐待は経済的問題と比較して、顕在化しにくい側面をもっている。虐待は身近な人によって、閉鎖的な環境で引き起こされるのである。身近な人は、家族であったり、利用している事業所の職員だったり、本来はその人を守る立場だと認識されている人であることが、生活を脅かし、その人の尊厳を奪っていくのである。

密室性以外にも、精神障害のある人たちへの虐待が顕在化しない理由がある。知的障害の方と重なる部分はあるが、被虐待者が虐待を虐待だと認識できない場合があるからである。虐待者もまた虐待が日常化することによって、罪悪感が薄れていってしまう。本人が虐待だと認識している場合においても、報復を恐れて申し出ることができなかったり、どこにどう訴え出ればいいのかが分からないというような状況で発見が遅れてしまうのである。

3 精神障害者の人権

日本では障害者の収容政策が長年とられてきた。精神障害のある人たちは最近まで福祉の対象ではなく、長年、医療の範疇で扱われてきたのである。医療と保護というのが、戦後の日本の精神科医療の目的でもあった。他障害に関わる種々の団体が次々に声を挙げていく中で、行政の縦の壁に遮られ、「障害者」という認識を獲得できないままに、たくさんの人たちが医療の範疇で「保護」されてきた。しかし、現実には鍵がかかった病棟という密室でたくさんの人権侵害が起こっていたのである。

諸外国が大規模な精神科病院を解体し、地域生活を支援する方向にシフトしていく中、日本は病床を増やし続けてきた。その根幹には、強制医療を認める「精神保健福祉法」が存在し続けてきたのである。

精神障害のある人の虐待として精神科病院で最も問題になるのは、懲罰的な隔離拘束であろう。また、自由を奪うような投薬、行動の制限、金銭管理なども虐待につながる場合がある。しかし、現行法は手続きを踏めば、隔離拘束を合法的なものに変えることもできる内容になっているのである。施設や病院内の虐待に関する実態はいまだに把握されていないのが現状である。そんな中、医療が障害者虐待防止法の対象として十分に位置付けられなかったことは、残念としか言いようがない。

前述したような日本の精神科医療の現状を改革すべく、2004(平成16)年9月に厚生労働省精神保健福祉対策本部は「精神保健医療福祉の改革ビジョン」を提示した。「国民意識の変革」、「精神医療体系の再編」、「地域生活支援体系の再編」、「精神保健医療福祉施策の基盤強化」を掲げ、「入院医療中心から地域生活中心へ」という方策を推し進めていくことを示したのである。それは、奪われた権利を回復し、長期入院者を地域に戻していく取り組みの始まりでもあった。長期入院者の退院を促進する対策は、形を変えながら現在も継続されている。医療制度の検討も行われているが、障害者の権利条約の趣旨に沿った改正が行われるか否かが大きな焦点となっている。

4 障害者虐待防止法の課題

精神障害のある人の虐待防止に関しては、現状把握を含め、まだ途についたばかりである。今後、対象となるフィールドが拡大され、法に位置付けられることを望む。また、精神障害のある人の人権や虐待の問題は、まだまだ広く周知されているわけではない。

現在、社団法人日本精神保健福祉士協会の権利擁護委員会の活動として、子ども、市民、専門職に向けた研修等で活用してもらえる啓発ツールを開発中である。これは、2010年度に独立行政法人福祉医療機構社会福祉振興助成事業として助成を受けて作成した冊子『みんなで考える 精神障害と権利』3)の内容を、もっと教育や啓発に活用してもらいたいという思いで取り組んできたものである。虐待防止に関しても、今回、窓口が拓(ひら)かれるが、周知されないことには何の意味もないのである。また、監視システムが機能しない状況下で、形式を整えても、実効性のあるものにはなり得ないのではないかと思うのである。

権利というものは目に触れるのは難しいものである。特に日常生活における人権は、社会的に弱い立場の人ほど、損なわれやすい。虐待している家族も支援を必要としている場合が多い。だからと言って、虐待が許されるべきではないが、すべてが個の問題かと問われると返答に窮してしまう点もある。真に人としての平等、個人の尊厳というものが保障されにくい社会の現状を痛感する。

精神障害のある人たちは、いまだに差別や偏見によって不利益を受けることがある。それは「医療と保護」の枠内に長年押し込められてきた結果でもあり、「生活者」としての権利を制限されてきた状況を反映しているとも言える。障害者虐待防止法ができたことは、最初の一歩で、その中身をどう作り上げていくのかは今後の大きな課題なのである。

(いわさきかおり 早稲田大学)


【注】

1)1984(昭和59)年、医療法人報徳会宇都宮病院における入院患者からの搾取、虐待、虐殺、無資格診療等が告発された。宇都宮病院では3年間で200人以上の患者の不審死があり、そのうち2件の死亡事件で職員5人が逮捕、起訴され、院長であった石川文之進も数か月後に同様に逮捕された。その後、国際法律家委員会・国際医療職専門委員会による3回に渡る調査が実施され、日本の精神医療が国際的な批判を受けた。

2)社団法人日本社会福祉士会「障害者の権利擁護及び虐待防止に向けた相談支援等のあり方に関する調査研究事業報告書」2009年

3)冊子「みんなで考える 精神障害と権利」2010年度独立行政法人福祉医療機構社会福祉振興助成事業
http://www.japsw.or.jp/ugoki/hokokusyo/20110219-kenri.html
社団法人日本精神保健福祉士協会権利擁護委員会編「もうひとつのみんなで考える 精神障害と権利―解説・資料編―」2011年
http://www.japsw.or.jp/ugoki/hokokusyo/20110331-kenri.html