音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年5月号

文学にみる障害者像

村上春樹著『1Q84』

野田晃生

『1Q84』の世界

『1Q84』は村上春樹によって2009年から2010年にかけて書かれた、3分冊の書き下ろし小説である。『1Q84』は、2人の男女、天吾と青豆の物語が交互に紡がれるという形をとっている。2人は、かつて小学校の同級生であったが、道は分かれていた(物語当時で、2人は29~30歳)。

天吾は、予備校の数学講師をしながら執筆し、賞の受賞を目指す小説家であったが、これまでに賞の類を受賞したことはなかった。青豆は、スポーツインストラクターという表の顔を持ちながら、女性に対して、DV・暴力を振るう男性を独自の殺人術を用いて殺す、暗殺者としての顔を持っていた。

2人は、1984年の世界を生きていた。しかし、2人はふとしたきっかけで1984年とは何もかもが微妙に違う、パラレルワールド・1Q84年に身を置くことになる。たとえば、警察官の制服、装備が本来のものと異なっている、月面に基地が建設されている、月が2つ存在する、等の微妙な相違がある世界、それが1Q84年である。

『1Q84』の物語は、1Q84年の世界において、2人の物語が交互に展開し、そして接点を持つという形で展開していく。

ディスレクシアの少女・ふかえり

天吾の物語には、17歳、女子高生の少女ふかえり(本名・深田絵里子)が登場する。ある日、天吾はふかえりが書いた小説『空気さなぎ』を編集者の小松から見せられる。それは、荒削りで稚拙ではあったが、不思議な魅力を持つ文章・物語であった。

小松の提案はこうである。ふかえりが書いた『空気さなぎ』を元にして天吾が文章を書き直し、ふかえりの名前で芥川賞に応募する、というものである。ふかえりは17歳、高校3年生である。ふかえりは、可愛らしさではないが、一種独特のエキセントリックな美しさを持っていた。こんな少女が賞を受賞したら、話題性は十分であろう、という提案だった。

天吾は、ふかえりに会う。ふかえりは、独特の雰囲気を持つ少女であった。喋り方には抑揚がなく、言葉の末尾には疑問符がなかった。ふかえりは、天吾が『空気さなぎ』を書き直すことに同意する。

再びふかえりに会う機会を持った天吾は、ふかえりに尋ねる。「君はいつもどんな本を読んでいるの?」「ホンはよまない」「ぜんぜん?」「本を読むことに興味がないの?」「よむのに時間がかかる」「読むのに時間がかかるから本を読まない?」天吾は困惑する。「時間がかかるというのは、つまり……すごく時間がかかるってこと?」「すごく」とふかえりは断言する。

天吾は聞く。「君が言ってるのはつまり、いわゆるディスレクシアみたいなことなのかな?」「ディスレクシア」と反復するふかえりに、天吾は、「読字障害1)」と続ける。「そういわれたことはあるディス―」

天吾が整理したディスレクシアについての知識はこうである。

ディスレクシアは原理的には読み書きはできる。知能は問題ないとされる。しかし読むのに時間がかかる。短い文章を読むぶんには支障はないが、それが積み重なって長いものになると、情報処理速度が追いつかなくなる。文字とその表意性が頭の中でうまく結びつかないのだ。それが一般的なディスレクシアの症状だ。原因はまだ完全には解明されていない、と(ちなみに、現実の世界においてもそうである)。

ふかえりはディスレクシアを抱えていた。自分では小説を読むことは困難であった。書くことに関しては、二つ年下の少女、アザミを通して行われた。ふかえりが物語りを語って、アザミがそれを文章にしたのである。それに天吾が手を加えた作品、それが『空気さなぎ』である。

『空気さなぎ』が新人賞を受賞したふかえりは、記者会見を行う。その席上で、彼女は自分が好きな作品である『平家物語』を暗唱する。その長い暗唱が終わるまでにおおよそ5分かかった。そこに居合わせた全員が深く関心して、暗唱が終わったあとしばらく沈黙があった。新聞記者たちは言葉を失ったのである。

ふかえりは、『平家物語』をテープで聴くことによって暗記していた。天吾は感じている。目を閉じて彼女の語る物語を聞いていると、まさに盲目の琵琶法師の語りに耳を傾けているような趣があった。ふかえりの普段のしゃべり方は平板そのもので、アクセントやイントネーションがほとんど聞き取れないのだが、物語を語り始めると、その声は驚くほど力強く、また豊かにカラフルになった。まるで何かが彼女に乗り移ったようにさえ思えた。

それから、天吾は思う。この少女は本が読めないぶん、耳で聞き取ったことをそのまま記憶する能力が、人並み外れて発達しているのではないだろうか。サヴァン症候群の子どもたちが、膨大な視覚情報を瞬時にそのまま記憶に取り込むことができるのと同じように。

物語が進み、ふかえりの口から明らかになることがある。それは、ふかえりはパシヴァ(perceiver)で天吾はレシヴァ(receiver)であるということだ。パシヴァであるふかえりが知覚し、レシヴァである天吾が受け入れる、という形で『空気さなぎ』も書かれたのである。

ディスレクシアを抱えるということ

作中の中でも、「学校の中のクラスの中にディスレクシアの子供が1人か2人いたとしても、決して驚くべきことではない。」とした上で、「アインシュタインもそうだったし、エジソンもチャーリー・ミンガスもそうだった。」とされている。

我々の現実世界の中で、ディスレクシアを抱えていることを公言している著名人に、俳優であるトム・クルーズがいる。彼は、ディスレクシアを抱えながら俳優業に打ち込み、『トップガン』『ミッション・インポッシブル』『ラストサムライ』等の作品に出演し、優れた演技力を見せている。これには、本人の努力もさることながら、周囲の人々のサポートがこのような好結果をもたらしたということは想像に難くない。

『1Q84』の世界ではどうであろうか、ふかえりはディスレクシアを抱えていた。彼女が知識を得、自らを表現するには、周囲の人たちの力が必要であった。天吾のした書き直しという行為、さらにはそれによる受賞は社会的に見て褒められた行為ではない。事実、作中で天吾は書き直しが世間に知られたらおしまいだ、ということを感じている。

しかし、天吾のした書き直しによって、ふかえりの『空気さなぎ』は世に出た。これは、ふかえりという人間が表現されたということと同義であろう。

我々の住む現実社会においても、ディスレクシアを抱え、そのために困難に向かい合わざるを得ない人物は多くいる。そのような人たちに対して、適切なサポートの体制を整え、読むこと、書くことの困難を克服できるようにサポートをすることが、求められていることなのではないだろうか。

『1Q84』がもたらしたもの―障害者像という視点において―

本稿においては、ディスレクシアを抱えた少女であるふかえりについて論述してきた。彼女は、『1Q84』において重要な登場人物である。しかし、物語の中心は、2人の男女、天吾と青豆である。本稿では、物語の壮大な世界観をすべて描くことはできなかったかもしれない。

しかし、『1Q84』という作品がこれまであまり理解されてこなかった、ディスレクシアという障害を社会に認知させるきっかけとなったことは間違いないだろう。

障害者を描いた文学・小説は、そのストーリーを味わうことが重要であるとともに、扱われる障害についての理解を深め、また、障害について考えるきっかけとなることができるものである。

(のだあきお 筑波大学大学院人間総合科学研究科)


【参考文献】

○村上春樹『1Q84 BOOK1〈4月―6月〉』新潮社、2009年

○村上春樹『1Q84 BOOK2〈7月―9月〉』新潮社、2009年

○村上春樹『1Q84 BOOK3〈10月―12月〉』新潮社、2010年

1)識字障害、難読症、失読症、読み障害、等とも訳される。