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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年7月号

1000字提言

「生きにくさ」を抱えた人たち3

石川恒

かりいほは山の中、自然の中にある。標高450メートル。国道から約2キロ山に入る。敷地は6町歩あり、その中に川の源流がある。3本の小川が合流する明るく開けたところに施設の平屋の建物が点在している。近くに人家は数軒しかない。花、果樹、雑木林、杉林、畑、川、空…。それぞれがそれぞれのリズムで存在している。街中の暮らしに比べて雑音、情報、刺激が格段に少ない。生活は自然のリズムが基本になる。自然の中にあるというのはそういうことだ。

もうひとつ、かりいほは開設当初から職員が利用者と一緒に暮らしてきた。近年、それは難しくなってきているが理念は無くしていない。一緒に暮らすというのは、利用者が必要な時に職員が近くにいる、話ができるということである。独りではないのである。

街中で暮らしていた人たちがここで暮らせるのかとよく訊(き)かれる。個人差はあるものの現実に暮らしている。街中の暮らしがこの人たちの生活のリズムを乱していたのではないか。頼れる人がいなかったのではないか。このような環境がこれまでの生活になかったのではないか。

私たちは常にすぐに結論を出さなければならない生活を強いられている。情報、刺激があふれ、その変化がとても速い。それに対して自分はどうするかすぐに決めなければならない。そういう社会に生きている。これはとてもきびしい。社会の変化が生活の変化をもたらし、生活の変化が人と人との関係性の変化をもたらす。

今の社会はうまく人とかかわることを求める。かかわることが苦手な人にはこれもとてもきびしい。「生きにくさ」はこういう状況でつくられるのではないか。今の社会のあり方が「生きにくさ」を生み出しているのではないか。

「生きにくさ」を抱えた人たちにとって、自分が自分らしくいられるかどうかは切実な問題である。

「生きにくさ」を抱えた人たちがこの社会で自分らしく生きるにはどうしたらよいのだろうか。私はやはり人とのかかわり、関係性が大事なのだと思う。本人が納得を積み上げて自分自身の人生を了解し続ける。それができるかかわり、関係性のあり方が求められているのだ。自分を理解してくれる人に支えられて、悩んで、話をして、考えて、自分のことは自分で決めて納得する。それを丁寧に積み上げていく。時間をかけていいのだ。その営みがとても大事なのではないか。そういう場所が必要なのだ。その思いを強くしている。

(いしかわひさし 障害者支援施設かりいほ施設長)