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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年8月号

時代を読む34

障害者スキー(チェアスキー)の発展・普及と寛仁親王殿下

長年にわたり福祉関係に携わってこられた三笠宮寛仁親王殿下の突然のご逝去に残念でなりません、衷心よりお悔み申し上げます。

私は神奈川県総合リハビリテーションセンターに勤務していた当時、リハビリテーション工学科の技師、田中理氏、飯島浩氏等の車いす障害者のチェアスキーの開発・製作にドライバー役として一緒に携わってきました。

チェアスキー製作に伴う雪上テストを繰り返し、1977年に竜王スキー場で開催された第6回全国身体障害者スキー大会にいまだ不完全でしたが飛び入りでチェアスキーのデモンストレーションをさせていただきました。この時に観戦されていた寛仁親王殿下に初めてお会いしたと記憶しています。

その後、試作を重ね、車いす利用者の雪上参加も年々増加し、チェアスキー大会を開催するまでになりました。しかし参加者の増加とともに製作に資金がかかり悩んでいる時、寛仁親王殿下に相談してみようと、初めて宮家を訪問しました。殿下は快く開発・製作に賛同されて、殿下の所属する「柏朋会」から寄付をいただくことになりました。その時の殿下のお言葉がユニークで「そうか、じゃあ今年は昭和55年だから55万の補助でどうだ、少しは役に立つか」との御配慮のお言葉でした。

殿下の身体障害者スキーのご理解については、毎年開催される全国身障者スキー大会をご観戦されて各選手に技術指導をしながら熱心に励まされていました。また1979年に、山形蔵王でアジアで最初に開催されたインタースキー(世界スキー指導者会議)において、健常者スキーとともに身体障害者スキーもデモンストレーションさせて、障害者スキー(立位の部)の技術習得に寄与されたと聞いております。

その次に殿下にお会いできたのは、1982年の冬に小丸山スキー場で、殿下の依頼で名古屋の身障者団体のスキー教室の講習と指導に出かけた時でした。終了後、笹川ロッジの一室に招かれ、6畳ほどの部屋でしたが、私と一緒に同行した女性スタッフの2人が呼ばれて殿下と共にお酒をいただきました。殿下は「おまえは何を飲む?」「ウイスキーのロックがいいです」「ストレートか、おまえ酒豪だな、俺はお湯割りでいこう」。このように気軽に御懇談いただいたのを記憶しています。宮家に訪問してスキー板の提供をお願いに伺った時も、すぐその場で各企業に電話して、150本ほどを無料で手配してくださいました。

その後も、何度か訪問して相談に乗っていただきましたが、いつも気軽に、言葉は乱暴(苦笑)でしたが、親身に対応していただきました。このような殿下の陰の数々の支援があり、現在の冬季パラリンピックのチェアスキー競技(国際大会ではシットスキー)が世界トップレベルでの活躍ができるまでに発展できたものと確信しております。

(伊佐幸弘 特別非営利法人日本障害者スキー連盟会長)