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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年9月号

ワールドナウ

タイの洪水と障害者
―CILの被災状況と今後の課題

宮本泰輔

昨年タイ中部を襲った大洪水は、日本でも大きく報じられたので、記憶にある方も多いだろう。古都アユタヤやバンコク首都圏をはじめ、広範な地域が数か月の間水没した。

タイの洪水は、ゆっくりとしたスピードで近づき、いったん浸水すると、なかなか水が引かない。また、タイ中部は低地が広がり、避難場所の確保も難しい。そのため、洪水が来ても自宅にとどまる人も多くいた。彼らの中には、感電死した者も少なくない。

タイ政府は洪水対策を急ピッチで進めていると言うが、人々は今年も洪水があるのではないかと懸念している。洪水で被災したタイの当事者団体を取材した(1)

パトゥムタニ自立生活センター

バンコクの北隣に位置するパトゥムタニ県。昨年、大型工業団地が水没したシーンをテレビで観た人もいるかと思うが、そうした工業団地に加え、住宅地やショッピングセンターもあり、バンコクの郊外として発展している。県内は、東西南北にいくつもの運河が並行して走り、周辺は低地が続く。洪水時には、運河から次々と水があふれ出し、広範な地域が被災した。

県を南北に貫く第8運河のそばにある広いコミュニティーの一角にパトゥムタニ自立生活センター(以下、自立生活センターはCILと略)の事務所がある。2007年、同コミュニティー内にある代表者の自宅を使って活動を始めた。事務所は2010年8月に開設した。大家が協力して、スロープ敷設などの改善もされている。昨年2月には、県から障害者支援をする団体としての認可を受け、行政からの支援を受けやすくなった。

代表のワンロップ・サリーさん(愛称マイさん・男性)は、電動車いすを使う障害者である。退院後、隣県ノンタブリにあるノンタブリCILのリーダーたちに出会ったことで、自立生活に関心を持つようになった。2006年にAPCD(アジア太平洋障害者センター)が行った自立生活セミナーに参加。そこで出会ったアジア各国のリーダーたちに刺激され、活動を開始した。

活動の手始めとして、病院にいた仲間たちに声をかけ、5人のグループを作った。すぐにノンタブリCILの協力を得て、介助者研修を実施した。

現在は、パトゥムタニ県で雇用されている4人の介助者のうち、2人が必要に応じてパトゥムタニCILのメンバーの介助に訪れている。マイさんによれば、CILに来たことのない介助者は「障害者のお世話をする」という感じで、「障害者の自立生活を支援する」という理解がない印象とのことであった。

洪水に襲われて

マイさんの自宅、事務所ともに運河からは1キロほど離れてはいるが、運河の川面とあまり変わらない高さにある。事務所の中も片付いてはいるが、壁には洪水の痕(あと)が生々しい。

洪水のときの話をマイさんに尋ねると、彼は少し考えてから、まず「洪水のことを思い出すと、いい気分がしません。それは、自分が被害を受けたからではなく、仲間たちの支援ができなかったからです」と切り出した。

マイさん本人は、床下が浸水した昨年10月20日、田舎のあるラッブリーへ避難した。メンバーもばらばらに、ほとんどは家族と避難した。陸軍の派遣した車両で救出された人もいた。

マイさん自身は、できるだけとどまりたかったが、電気や水の供給が途絶えるとの情報もあり、やむなく母親を残して自宅を離れた。やはり車いすを使っているマイさんの妻も、自身の実家に避難した。

1か月後の11月23日に戻ってきたが、まだ、事務所や自宅の近くは大型車両でしか接近できず、マイさんは水が完全に引くのを待たなくてはならなかった。やむなく家族に頼んで、事務所の掃除から復旧をスタートさせることにした。

地域の人たちも自分の避難・復旧に手一杯で、地域の中でお互いに助け合う、という姿はあまり見られなかったらしい。清掃作業も自分たちだけで行うか、にわかに現れた掃除屋に高い金を払うか、どちらかだったと話してくれた。

避難中の医療

マイさんに、避難中は、何に困り、何を心配したかと尋ねると、まず、自宅に残った母親と、実家に戻った妻が心配だったという答えが返ってきた。

自身の生活について尋ねると、排泄管理が難しかったと話した。頸髄・脊髄損傷者にとって排泄管理は感染症を防ぐうえで極めて重要である。マイさんは、大きい病院の方が知識があってケアが適切であろうと判断して、避難先で県レベルの総合病院に行った。しかし、医師たちに知識・認識が足りなかったのか、尿路感染を起こしてしまう。そこで、一つ下のレベルである郡レベルの病院に行ったところ、そこの医師が頸髄・脊髄損傷者のケアにある程度知識があり、かつ、マイさんの話をよく聞いて判断してくれる人だったこともあり、症状が改善した。

マイさんだけでなく、避難中の医療(特にカテーテルなど障害者が必要とする機材や医療ケア)へのアクセスが難しかったという指摘は、ノンタブリCILが行っているセルフ・ヘルプ・グループによる防災のための話し合いでも報告されている。

今後に備えて

「今年も洪水が来ると思いますか?」と少し尋ねづらい質問をぶつけた。マイさんは「そういうニュースがあることはもちろん知っています。だから、(浸水した)1階を完全に修理していません」と、水を吸って膨らんだ本棚や傷んだ壁を見ながら答えた。

県が障害者の避難計画を策定するための助成金をCILに出すことを決めたという。洪水が来るなら、9月から11月にかけてなので、検討に残された時間はあまりない。助成金事業も8月末までの1か月で終えないといけない。

マイさんによれば、少し標高が高いところにあって、昨年も浸水しなかった寺(150人ほど収容可能)が避難所の候補としてあがっている。もし、そこを障害者とその家族向けの避難所として使うことに決まれば、アクセシビリティの改善などに着手することになる。

一方、家に踏みとどまるという道を選べば、お金、カテーテル・尿バッグなど必要な資材、食料などの提供手段が課題となる。

最後にマイさんは「今度洪水が来たら、ボートを使って仲間たちの間を回って支援したい。この仕事をやめるわけにはいかないのです」と力強く話してくれた。

最後に

マイさんの話に見られるように、情報の入手、物資の配給、医療へのアクセス、避難所のアクセシビリティなど、タイでも多くの面で障害者が困難な状況にあった。これからも頻繁に洪水が来るかもしれないという状況の中で、障害当事者団体は、そのネットワークを使って洪水に備えようとしている。

行政もその必要性を感じ、ノンタブリ県をはじめ、各地で障害者のための防災計画を当事者団体と協働して作ろうとしている。

しかし、こうした動きにアクセスできていない障害者も多いし、家族による支援の比重も大きすぎる。今後、障害者同士のコミュニティー・レベルでのネットワークの強化と広がり、そして支援者層の確保が必要である。これは、何も特別なことでなく、平時の障害者施策・障害者運動の前進にほかならない。

(みやもとたいすけ ノンタブリ障害者協会ボランティア)


(1)パトゥムタニ自立生活センター代表のワンロップ・サリーさんには、お忙しい中、取材にご協力いただいた。本稿の間違い等に関しては、すべて筆者の責任である。