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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年9月号

証言3.11
その時から私は

大船渡市職員とろうあ協会支部事務局の立場から

休石万記子

平成23年3月11日に起きた東日本大震災は、私の世代は初めての苦痛な体験だった。

大震災が起きる前、大船渡市では、かつて昭和35年5月24日にチリ地震津波が三陸沿岸に来襲したのを教訓に、毎年5月の第3日曜日に津波訓練を欠かさず行ってきた。以来長年の間何も起きず、注意報・警報を発令しても大津波等はなかった。

今回は大津波が襲って来たのに、人々は慣れてしまったかのような、心の中に油断が生じ、想定外のあり得ない状況に対応できないまま大津波に襲われてしまった。悔しくて、衝撃が激しく、張り裂けるようで苦しかった。

私は、以前、大船渡市の生活福祉部保健福祉課に在籍していた時、ふと思ったことがある。「いつか三陸沿岸に大津波が襲ってきたら、公務員である私は、災害対策本部で初めての経験で何ができるのだろうか?」と。私自身難聴で、ろう者に近いので不安に駆られた。それからは、「どうかいつまでも、大きな災害が起きずに平和でいられるように」と常に祈っていた。

大震災が起きた時は生活福祉部保健福祉課障害福祉係の職員であり、職務以外では社団法人岩手県ろうあ協会気仙支部の事務局員でもあった。この二つの立場が、私を非常に混乱させた。普段は割り切ることができても、この大災害が起きてからは、公務員なので聴覚障害者の支援だけに専念することはできない。障害福祉係は三障害(身体・知的・精神)の担当でもあり、市の災害対策本部の中で生活福祉部は、まずは被災者への食糧・物資・医療・福祉等が担当だった。

幸い、岩手県ろうあ協会の高橋会長および東日本大震災聴覚障害者救援中央本部の久松事務総括が大船渡市に来てくださり、私の上司に要求を話してくださったおかげで、私なりに聴覚障害者を中心に支援することができた。

まず、保健師さんから各避難所に聴覚障害者が避難しているかどうかの情報を提供していただいた。また、保健師さんは避難所だけでなく、大船渡市全戸の安否確認・健康訪問を行うことによって、家族確認をした時に聴覚障害者がいたらその情報も提供していただくことにした。

情報の中には「補聴器の電池がほしい」「手話ができなくてコミュニケーション方法は筆談のみ」「情報が全く伝わってこない」「聴覚障害者だから恥ずかしくてしゃべらずに我慢している人がいる」などがあったので自分で各戸を訪問して回り、できる範囲で支援を行った。

また、岩手県ろうあ協会気仙支部の事務局として、勤務以外に夜遅くまで聴覚障害者の家を訪問して回った。時には近隣の陸前高田市も訪問した。支援物資を買い出しに行って各戸に配布したり、東日本大震災聴覚障がい者支援岩手本部への交渉や報告、相談などをしたり、何度盛岡へ足を運んだことだろうか。

今回の大地震および大津波を通して、私は岩手県ろうあ協会気仙支部として、今後の防災計画や災害時の対応について数えきれないほど見直すべき点や要望、課題等を確認し、提案していかなければならないと思っている。

特に、次の2点は強調したい。

○福祉避難所が必要である。三障害の中だけでもさまざまな障害者がいる。1か所の福祉避難所だけでは収まりきれなく、最低限、複数の福祉避難所が必要である。

○防災行政無線は、聴覚障害者には聴こえるはずがない! 聴覚障害者には、テロップ(字幕)付きのデジタル戸別受信機が必要である。大船渡市には無償貸与申請中だが、今後の運動が必要である!

今振り返ってみると、私が保健福祉課勤務だったことで動きやすかったのかもしれない。今後は、私が経験したことを、同僚の障害者福祉相談員に引き継ぎをしていきたいと思う。

(やすみいしまきこ 大船渡市職員、社団法人岩手県ろうあ協会気仙支部事務局員)