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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年11月号

時代を読む37

育成会運動の始まりとパール・バック

「あなたのお子さんが存在していることはあなたにとっても、また他のすべての子どもたちにとっても意義のあることなのです」

戦後まもない昭和25年、こう親たちを励ますメッセージがこめられた1冊の本が発行された。ここでいう親たちとは、当時、社会の差別・偏見の中で苦しんでいた知的障害の子をもつ親たちであり、本の題名は、『母よ嘆くなかれ』(原題「The Child Who Never Grew」)、著者は、自身も知的障害の娘をもつ母親であるアメリカでの女性初のノーベル文学賞作家パール・バックである。

精神薄弱児育成会(現:全日本手をつなぐ育成会)は、昭和27年、わが子の人としての幸せを願い、3人の母親が立ち上がり、その呼びかけに応えて教育者を中心とした多くの人たちによって結成された親の会である。

パール・バック(1892―1973)は、生後まもなく宣教師の両親に連れられ中国に渡り、長く現地で生活し、その体験をもとに封建制から近代に向かう中国の農民一家の歴史を描いた作品『大地』によって日本にも広く知られた作家である。しかし、パール・バック自身が知的障害の娘をもつ親であったが、中国から帰国したアメリカでの知的障害者に対する差別・偏見の中で、娘の存在を隠し続け、この『母よ嘆くなかれ』の出版によって初めて、わが子の障害を受容し、その存在を世に公表したのである。ノーベル賞受賞後12年経ち、わが子誕生から30年後のカミングアウトだった。

親の会結成後、この『母よ嘆くなかれ』に影響され、育成会の最初の事業として、世に知的障害者の存在を訴えるべく23人の親たちの手記集『手をつなぐ親たち』が刊行された。その序文として、パール・バックから日本の親たちに対する国境を越えた熱いエールが送られ、当時、新聞にも大きく取り上げられ、NHKラジオの「私の本棚」でも朗読放送されたことで、社会に大きな反響をよびおこし、1万部のベストセラーとなった。その完全復刻版が育成会結成60周年記念として、今般発刊された。

(宮武秀信 社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会事務局長)