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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年11月号

1000字提言

音声案内をめぐって

三宮麻由子

スマートフォンをはじめ、昨今はさまざまな製品に音声案内が標準搭載されていて、良い時代に生まれたものだとつくづく思う。と同時に、ここまでできるのに、なぜか音声案内が「本当に必要な人たち」の助けになっていないケースも目立ち、実に惜しい気がする。それは、企業努力が足りないとか弱者への思いが希薄というよりは、「便利」と「必要」のコンセプトがきちんと切り分けられていないからのように、私には思える。では、どんな音声案内が理想なのだろうか。

私が活動拠点としているタワーマンションでは、宅配ボックスが大変高機能で、画面に触れるとチャーミングな音声案内が流れる。これに従えば、受け取りはもちろん、集配やクリーニングのやりとりまでできる。ところが、その操作がすべてタッチパネルで、ボタンの凹凸もしくは読み上げがなければ画面を操作できない私たち「シーンレス」(私の造語で全盲の意味)にはお手上げなのだ。時間によって「コンニチハッ」「オハヨウゴザイマスッ」など挨拶の文言まで変えられるのに、画面の内容は読み上げてくれない。「生き物は送れません」などと気配りある指示はあるのに、「受け取り」「配送」といったボタンの位置や操作内容はしゃべってくれない。

そこで私は、受け取りボタンの位置を目の見える人に教えてもらい、画面の枠からの距離を指で測って覚えてタッチしている。この操作では音声案内は全く役に立たない。してみると、この案内は「楽しくて便利」ではあるが、「絶対必要」ではないことになる。さらに、絶対必要ではない案内は、本当に音声を必要としている人にとっては助けにならない。

見えている人にとって、必要か便利かはさほど重要ではないかもしれない。だが、それが切り分けられた有効な案内ができれば、私たちシーンレスだけでなく、高齢者や日本語の読めない外国人など、「画面弱者」を救うことができるのである。真に音声案内の技術を有効に活用するならば、「あれば便利」と「なくてはならない」の概念をきちんと整理して、どんな人にも安心して使える案内を考えていただけたらと強く思う。

セブン銀行が全ATMに音声のみで操作できる機能を付けてくださったことは、この意味で素晴らしい。この機能の利用には手帳提示のような「障害の証明」は要らず、誰でも利用できる。きっと、私たちだけでなく、画面やタッチ操作の不得手な人たちの助けにもなることだろう。これこそがユニバーサルの発想であり「プロの仕事」だと感じ入った。

せっかくの高度な技術を、一番困っている人が一番助かるように活用することが、いまの時代の課題なのではないだろうか。

(さんのみやまゆこ エッセイスト)