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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年12月号

第1次アジア太平洋障害者の十年から始まる新十年への流れ
―成立と第1次十年の評価を中心に

中西由起子

はじめに

1992年「国連・障害者の十年(1983―1992)」に続く取り組みとして、アジア太平洋地域における障害者への認識を高め、障害者施策の質の向上を目指すために、国連の地域委員会の一つである国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)において、「アジア太平洋障害者の十年(1993―2002)」が採択された。この「十年」は、最終年となる2002年5月のESCAP総会において、さらに10年延長された。また、同年10月に滋賀県大津市で開催された最終年ハイレベル政府間会合において、次期十年(2003―2012)の行動計画となる「びわこミレニアム・フレームワーク」が採択された。さらに、2007年9月に中間評価に関するハイレベル政府間会合が開催され、各国の取り組み状況の報告等とともに、「びわこプラスファイブ」が採択された。

アジア太平洋障害者の十年成立の開始

国連・障害者の十年の延長は、障害者の権利条約の成立を目指す欧米を中心とする反対で実施されなかったので、十年の成果は不十分であると考えたアジア太平洋地域は独自の十年を推進しようとした。

1992年12月の北京でのDPIアジア太平洋ブロック総会に先立つ準備の打ち合わせで、ブロック議長八代英太氏側より、同年4月に中国で開催される第48回ESCAP年次総会での「アジア太平洋の十年」を共同で提案するように中国政府に働きかけた。各国DPIもそれぞれの国でロビイングを行い、4月のESCAP総会で33か国による共同提案「1993―2002年アジア太平洋障害者の十年」が全会一致で採択された。

行動計画

前述のDPIアジア太平洋ブロック総会と同時期の12月に開催された国連・障害者の十年最終年評価会議では、今後十年の戦略として、「アジア太平洋障害者の十年のための行動課題(アジェンダ・フォア・アクション)」が採択された。28か国の政府代表の中には、日本の厚生省、労働省、文部省の代表も含まれ、障害者問題に意欲的に取り組んでいることを示した。

アジェンダはESCAP事務局が用意した草案に広く各層からの意見を募って作成され広範囲に問題を取り上げているが、焦点が一本化していないという弱点があった。「序」、国内調整、法律の制定、情報収集、啓蒙活動、アクセスと情報伝達、教育、職業訓練と雇用、障害原因の予防、リハビリテーション、福祉機器、自助グループ組織化、地域協力の12分野からなる「問題分野」、「地域協力と支援」の3部から構成される。各分野はさらに細分化され、「地域協力」においては、ネットワーク作りと2年ごとの報告書の提出と行動計画のモニタリングと見直しが含まれている。

モニタリング

第1回モニタリング

1995年の第1回十年推進状況検討会議では24か国の政府に対して、44ものNGOが出席した。政府代表の中に障害者が入るなど、当事者主体の時代への変化を感じさせた。

会議は、行動計画の過去2年間の実践に基づいて、政府とNGOが共同で討議し、行動計画実施のための各問題分野ごとの優先的到達目標と到達年を決定した。プレ会議での女性障害者のワークショップでは、アジェンダの全問題分野を女性障害者の視点で再構成した行動計画も作成された。

NGOの積極的な参加によって討議は活発であったと考えるが、展示に力が入りすぎてお祭り騒ぎ的になったとの批判もあった。

第2回モニタリング

1997年9月に韓国で開催された「アジア太平洋障害者の十年中間点記念会議」は、RNN(アジア太平洋障害者の十年推進NGO会議)を含めたソウル国際障害会議の一部として行われたので、全体的にはフェスティバルのような雰囲気であった。ESCAP会議は、NGOの参加が制限されたこともあって、24か国、国連の1団体、国連事務局1部署、オブザーバーとしての28NGOが集まってひっそりと行われた。

第1回モニタリングからの進展が少なく、ソウルで再度評価が行われることに反対する政府もあったため、会議名には評価会議の名称はなかった。各国の現状報告に基づいてまとめられた「十年後半への提言」では、十年終了時の評価についてしか言及されていなかった。

第3回モニタリング

第3回は予定どおり1999年に実施された。「アジア太平洋障害者の十年到達点の達成とESCAP地区での障害者の機会の均等化」と題された会議には、20か国、7国連機関、25NGOと企業の代表、および専門家として6人の顧問が参加した。障害者の参加は少なかった。日本は厚生省と総理府からそれぞれ2人の代表を送っていた。

報告からは、大半の国での障害者団体の代表を加えた国内調整委員会の結成、法整備、統合教育を中心に障害児教育による教育の推進、アクセスへの関心の高まりなど、1995年からの成果が語られた。また参加者による到達目標の検討、修正、追加も行われた。

アジア太平洋障害者の十年最終年ハイレベル政府間会合

十年の最終評価は、2002年10月に滋賀県大津市で開催されたアジア太平洋障害者の十年最終年ハイレベル政府間会合で行われた。障害者問題は単に福祉の問題としてのみでなく、人権の問題でもあるとする視点がでてきたことが成果とされている。

個別の分野では27政府が設立した障害者に関する国内調整委員会を設立した「国内調整」、13政府が包括的な障害者立法を成立させた「法律の制定」、多くの政府が障害者の雇用率を上げる戦略を採択した「訓練および雇用」、25か国が総合的な保健プログラムの中に障害原因予防戦略を持っていた「障害原因の予防」、政府が自助団体をより支援するようになってきた「障害者の自助団体」の分野で進捗が語られた。依然問題が残っているのが、「教育」の分野だと指摘された。

第2次アジア太平洋障害者の十年の開始

2002年5月に開催されたESCAP第58回総会において、「21世紀におけるアジア太平洋地域の障害者のためのインクルーシブで、バリアフリーな、かつ権利に基づく社会の促進に関する決議」が採択され、十年をさらに10年延長することが宣言された。十年の方式でさらなる改善を進めようとしたNGOが運動した結果である。

DPIアジア太平洋ブロック評議会が提案した次の十年のテーマ「アジア太平洋障壁からの開放」は専門家会議を経て、「アジア太平洋地域の障害者のための、インクルーシブで、バリアフリーな、かつ権利に基づく社会に向けた行動のためのびわこミレニアム・フレームワーク(BMF)」と名付けられた行動計画として作成され、2002年10月に滋賀県大津市で開催された「アジア太平洋障害者の十年最終年ハイレベル政府間会合」で採択された。

BMFは原則と政策方針(9項目)、優先領域(7項目)、目標達成のための戦略(4項目)から成る。ミレニアム開発目標(MDGs)、特にジェンダーの問題や貧困撲滅を意識して、BMFが作られている。

2007年9月の第2次アジア太平洋障害者の十年中間年評価ハイレベル政府間会合では、BMFを補足する文書として、「びわこプラス5年:アジア太平洋地域における障害者のための、インクルーシブで、バリアフリーな、かつ権利に基づく社会に向けたさらなる行動(BMFプラス5)」が採択された。

おわりに

BMFおよびBMFプラス5がどのように実践されたかは、本稿のあとに続く、さまざまな方のご意見に任せたい。唯一言えることは、第1次十年と比較すると、第2次十年の成果の多くは障害者の権利条約(CRPD)によってもたらされたものではなかったかということである。次の十年がCRPDに則ったものでなければ、人々の関心を集められない危険をはらむことになる。

(なかにしゆきこ アジア・ディスアビリティ・インスティテート、本誌編集委員)