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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年1月号

座談会
障害者政策委員会のチャレンジ

石川准(いしかわじゅん)
静岡県立大学国際関係学部教授、障害者政策委員会委員長
氏田照子(うじたてるこ)
一般社団法人日本発達障害ネットワーク専門委員、障害者政策委員会委員長代理
三浦貴子(みうらたかこ)
全国社会福祉協議会全国身体障害者施設協議会制度・予算対策委員長、障害者政策委員会委員長代理
東俊裕(ひがしとしひろ)
内閣府障害者制度改革担当室長
藤井克徳(ふじいかつのり) 司会
日本障害フォーラム幹事会議長、本誌編集委員、障害者政策委員会委員長代理

藤井 明けましておめでとうございます。今から3年前、何ともいえない高揚感と新たな時代の到来を予感させるような「障がい者制度改革推進会議」(以下、推進会議)が始まりました。成果として確認できる点、想定したほどの成果が上がらなかった点などこもごもですが、今日は、この3年間を中心にこれまでを振り返り、そして今年の日本の障害者政策がどうなっていくのか、もう一歩踏み込んでどうすべきなのか、この辺を語り合っていきたいと思います。

「推進会議」のあらまし

藤井 冒頭に、東さんから推進会議が始まってからの経緯の概略をお話しいただきたいと思います。

 2009年9月に民主党を中心とする新しい政権が誕生し、12月には「障がい者制度改革推進本部」が、障害者権利条約の締結(批准)に必要な国内法の整備を始めとするわが国の障害者に係る制度の集中的な改革を行うことなどを目的として、閣議決定により設置されました。そのもとで多くの障害者団体が参加し、議論すべき場として「障がい者制度改革推進会議」が作られました。これが制度改革に向けたスタートでした。

推進会議はよく議論したと思います。障害者基本法が改正されて障害者政策委員会が立ち上がるまで、38回もの会議を行いました。1回4時間ですが、毎週行なったこともありました。皆さんに言いたいことが山ほどあり、いくら話しても言い尽くせないほど、エネルギーが溜まっていたのだと思います。

2010年6月、推進会議は第一次意見をまとめました。これは、障害者が生まれてから亡くなるまで、さまざまな分野でどういった問題があるのか、障害者や関係者の視点から改めて確認し、改革の方向性を提示しているという意味で、障害問題の基本書的な文書ができたのではないかと思っています。

それを受けて、政府は同月「障害者制度改革の推進のための基本的な方向について」を閣議決定しました。そこでは、「障害者基本法の改正と改革の推進体制」、「障害者総合福祉法(仮称)の制定」、「障害を理由とする差別の禁止に関する法律の制定等」の3つの課題を横断的な課題と位置づけ、それぞれ期限を決めて実現を目指すとされました。

この工程に従い、基本法については、同年12月にまとめられた推進会議の第二次意見を受け、障害者の定義を社会モデルの視点から変更してその枠を拡大するとともに、障害者政策委員会にモニタリングの権限を持たせるなど、翌年7月の国会で改正がなされました。

障害者総合福祉法(仮称)の制定では、2012年6月に障害者総合支援法となりましたが、2011年8月、総合福祉部会で長い議論の末、全員一致でまとめた骨格提言の内容の多くは附則で今後の検討課題となっています。

差別禁止法については、2010年11月に部会を起こし、2012年9月に部会の意見をまとめることができました。それを踏まえて、現在内閣府で差別禁止法案の準備をしているところです。

障害者政策委員会に参加して

藤井 推進会議で皆さんが堰(せき)を切ったように発言をされていたのが印象深いですね。それを継承するかたちで、2012年7月23日に総理官邸で第1回の「障害者政策委員会」が開かれました。今日お集まりいただいた方々は、その委員長と委員長代理、制度改革担当室の室長ですが、今の率直な心境を聞かせてください。

石川 障害者政策委員会は、暴れ馬のようです。毎回、シナリオに沿って議論がすんなり進むのではなくて、多様な意見、意表を突く発言がいろいろな方向から飛び出してきます。刺激的であると同時に、委員長としては気が休まることがなく、大変なことを引き受けてしまったと悔やみつつも、引き受けたからには責任を果たしたいと思っています。

氏田 私は、推進会議の総合福祉部会の構成員に引き続き、障害者の家族の立場から政策委員会に参画しています。総合福祉部会では、国の要になる法案を議論するという初めての経験をしましたが、部会では、委員が55人もいらっしゃったので、一つの項目に対しても多様な意見が出され議論にならないこともありました。私は自閉症の家族ですので、発達障害の分野からの発言をさせていただきましたが、短時間で理解を求めることの困難さを感じました。

しかし、目指すものは障害のある人たちの生活と権利を守るという点で一致していますので、どう協働できるかなのだと思います。

総合福祉部会もそれぞれの違いを超えて、最後には全会一致で骨格提言としてまとめることができてとてもよかったと思っています。これからも障害種別を超えた協働をもって、権利条約の批准に向けて、推進会議の意見とともに総合福祉部会での議論も踏まえ、未来に向けて次なる一歩を踏み出せたらと思います。

障害のある子が誕生した時に家族が不安を感じることなく、「ようこそ!」と迎えられる社会でありたいと思います。政策委員としての重責をひしひしと感じる日々ですが、前向きに頑張りたいと思っています。

三浦 委員長代理や小委員会の座長は重責で、かなり緊張をしながら、新たな勉強もさせていただきながらやっています。改正基本法の守りを持って生まれた障害者政策委員会の意味と価値はすごいと思います。

推進会議では、障害者基本法の改正、内容の問題を残しましたが、総合支援法ができ、差別禁止法の意見の取りまとめにつながった。最初のタイムスケジュールどおりに進んだことがすごいと思いました。基本法の改正はこれから政策に大きく影響を与えていくと思いますし、その最大の部分は、障害を社会モデルでとらえることが日本の法律に書かれたことだと思います。

障害者政策委員会は障害者基本計画に意見を言う、監視をすると書かれていますが、どのように機能していくか、大事なスタートの時期だととらえています。

総合福祉部会の議論の輪に入らせていただくとエンパワメントされていきますし、サービス事業者として、サービスの担い手側の意見をきちんと言わなければと思います。入所施設の運営者には、総合福祉部会はアウェイのようにとらえられることもあったのですが、障害者福祉、障害者施策という目で見れば、ホームもアウェイもないんですね。サービス事業所はサービス事業所、当事者団体は当事者団体ばかりで議論をしているところが、施策を作る際の大きな課題だと思っています。

福祉は、人間の尊厳という根幹に関わる分野です。お互いの課題をつき合わせ、合意形成をしていくように、みんなで真剣に前向きに頑張りたいと思います。

藤井 日本の障害者施策の内容はまだまだ一流とは言い難いですが、この3年、審議のスタイルは一流であったと自負しています。

日本の障害者施策の水準は?

藤井 これからのことを考えていく時に、現状の見立てが肝要になるかと思います。国際的な比較も念頭に置きながら、日本の障害者施策の水準をどのように見ていますか。

石川 分野によって違うと思います。交通バリアフリーは、個人的な経験で言えば、かなり進んでいると思っていますが、私の専門である情報アクセスの分野は、IT技術が普及した国でありながら遅れていると思います。私は、この分野で頑張ろうと思って委員会に参加しました。

なお人権概念は、日本社会では政治的立場を超えた共通の理念になっていないと思います。障害者福祉は人権概念が弱いわりに進んできた面はありますが、「人にやさしいバリアフリー社会」とか「心のバリアフリー」とか、気持ちの面がベースにあって、権利ベースではありませんでした。日本の障害者施策の特徴は、自己決定を尊重することが弱かったり、パターナリズムであったのではないかと思います。

三浦 グローバルスタンダードを障害者権利条約に置くならば、日本は人権に取り組んできた歴史があまりなくて、権利を主張することが苦手な国民性があるのではと思っています。制度のメニューは多いのですが、制度に人を当てはめていくという方向性を変えられずにいるのが課題だと思います。ニーズがある人が制度を使えるように仕組みを変えていく。その人のニーズを大切にていねいに見ていく。制度運用も可能な限りフレキシブルにしていくと、それぞれの人生に有益なものになると思います。

氏田 三浦さんの言われるとおりですね。権利は勝ち取るもの!という意識が弱いのかもしれません。

また、かつての日本社会において、結や座など、血縁以外に地縁という日本独特の地域福祉があった時代から、無縁社会とまで言われるようになってしまった現在では、地域福祉のあり方も違ってくるのではないでしょうか。共助、互助など地域福祉の形も再構築していかなければならないと思います。制度の整備はもちろん欠かせませんし大変重要ですが、一般の人たちの障害のある人への態度の変容、地域での支え合いの仕組みもまた欠かすことのできない大切な要素と思います。

発達障害については、2005年に「発達障害者支援法」が施行され、発達障害という大きなくくりの中で自閉症スペクトラム、LD、ADHDなどへの理解と支援が進められていますが、数も多いですし、障害という線引きをしない、障害者観のパラダイムシフトへとつながるきっかけとなれればいいなと思います。

 私は法律家ですが、福祉の専門家ではないので、世界の標準を細かく知っているわけではありません。ただ、人権という面では遅れていますよね。最低限、この人にこれだけは認めなければいけないという部分を社会がみんなの問題として認めているかというと、必ずしもそうではない。言葉では人権の尊重と言いながら、具体的な場面になると日本社会はある意味、同質性を求めるので、それからちょっと外れている人も同じように支え合うかというと、排除する方向に力が働く。異質な存在に対して日本社会が本当に支え合うかというと難しい感じがします。

障害者が本当に一人の人間として、社会人として認められているのかと疑問に思うことは多いですね。これまで障害者は無力で保護されるべき存在、だから専門家が決めるというパターナリズムが強すぎて、福祉も教育も医療も依然として障害者は保護の客体でしかない、その点で、世界とのギャップが生じているのではないかと思います。

藤井 国際水準との比較に加えて、もう一つ大切になるのが障害のない市民の生活水準との比較かと思います。権利条約には「他の者との平等を基礎に」というフレーズが30か所以上出てきます。障害のない市民との平等性や公平性の確保、この点を意識的に強調していくべきではないでしょうか。

石川 単なる仮説ですが、学校教育の社会科は細かい歴史や地理などのひたすら暗記科目で、社会について考えさせないような教科になっている。どういう社会を作っていくのか、社会を作るのは一人ひとりなのだと教える科目なのに、記憶力だけの科目として社会科をつぶしてしまっているから、市民社会ができてこなかったのではと思います。

重点を置くべき政策課題は

藤井 現状を転換させようとする時、ここを動かせば全体に波及し、変化につながっていくのではというポイントがあろうかと思います。皆さんが考える「ここがポイント」をあげていただけますか。

○差別禁止法制の確立、社会保障としての財源確保

 難しい質問ですね。だれしも妙案を持ってはいないように思います。突き詰めて考えた訳ではありませんが、一つは、障害者差別禁止法制を確立することが重要だと思います。差別禁止法が目指すのは、理不尽な抑圧をなくして、みんなが持っている力を素直に発揮できる社会を作ろうという点にありますので、障害のない人も含めた社会全体のありように大きな影響を与えると思います。

もう一つは、お金の問題です。社会は、一般の人たちよりも困難を抱えている人たち、少数派にどう向き合うのか。最終的にはお金、国家予算の配分の問題になっていくわけです。同じ国の中で格差がある。障害者は圧倒的に低所得で苦労している。にもかかわらず、地域生活を支える支援サービスの予算規模は、OECD諸国と比較すると極めて劣位にあると言われています。これが平均並みにでもなれば、大きな変化が生まれるのは明らかでしょう。

しかし、たとえば、社会保障の安定財源確保の基本的枠組みとして議論されるのは、高齢者3経費を基本とする社会保障4経費(年金、医療、介護、少子化)です。障害者への障害福祉サービスといった予算の配分については、一定の議論のもとに現状があるにしても、今後は、国民的な議論の基本的な枠組みの中で議論することが必要だと思います。

氏田 障害者政策委員会の第5小委員会で情報のバリアフリー化について議論がなされていますが、これは障害者基本法にも書き込まれた意思決定支援にもつながる大事な論点でした。

新しい障害者支援の法律「障害者総合支援法」は、障害のある人たちの「自分のことは自分で決める権利」を保障し、セルフマネジメント(どのような支援をどれくらい受けるかを自分で計画し、申請する)を基本に据えた制度とすべきであるという骨格提言になりました。これは、新しい法律について話し合った総合福祉部会の多くの委員、とりわけ身体に障害のある委員たちからの意見により実現したものですが、知的障害や自閉症にとっても重要な提言です。特に自閉症は生まれながらにコミュニケーションに障害があるために、赤ちゃんの時代から情報の発信についても受信についても困難を抱えていますので、小さな頃からの専門的なアドバイスと学校、そして家庭における取り組みが必要だと思います。

私たちは日常的なことから大きな判断や決断を必要とすることまで、日々さまざまな判断をし、決定しながら生活しています。しかし、自閉症や知的障害のある人にとっては、判断をするために必要な情報を得ること、理解して判断や決定をすることが困難な場合が少なくありません。私たち家族も、障害があるからこの子は自分で判断するのは無理だろうと家族がパターナリズム的な関わりをしてしまいがちですが、情報に手を加え、本人が理解できるような形で情報を提供し、自己選択、自己決定を促し、意思決定支援を普段の生活の中で積み重ねることによって、発達を支援し、そして、自分のことは自分で決めるというマインドも育てることができるのだと思います。

みんなが持っている力を素直に発揮できる社会をと東さんが言われましたが、自閉症や知的障害のある人たちの意思決定支援を支えるために、家族たちの意識改革も必要ですが、その実現に向けて学校教育が果たすべき役割は大変大きいと思いますし、期待したいです。

藤井 学校教育に関して、今だから話せるということがありますか。

氏田 一人ひとりの学び方の違いやスピードに配慮した、発達段階に合った教育が必要ですので、多様な学習形態と、その子なりに理解し学ぶための時間も含め、ゆったりとした学校教育が求められていると思います。

息子たちの時代は、どちらかというと教科学習よりも生活学習にシフトしていたように思います。もちろん、生活していくうえで切符が買えたり、買い物ができたり、生きる力を育むための具体的な教育も欠かせませんが、卒業後の進路に重点が置かれた高等部の3年間だったように思います。青春という素敵な時期でもあります。どんな自分になりたいのか、本人の夢や希望を聞きながら、もっと文化に触れたり、仲間と触れ合ったり、育ち合ったりすることが大切なのではないでしょうか。一人ひとりの可能性を広げ、チャレンジする力を育てることも大切だと感じています。

○個々の可能性と社会モデルの視点

石川 日本は従来、人が社会に合わせなくてはいけない社会でした。社会モデルは、社会が一人ひとりの個人の多様性に合わせていくべきだという考え方です。それは正しい考え方なのですが、一つ補足しておくことがあるように思います。

私自身の感覚として、「今日できないことは明日できるようにしたい」と思うことが好きなんです。子どものころ、自転車が乗れるようになってうれしい、泳げるようになってうれしい、解けなかった数学の問題が解けてうれしい、単純にそういうレベルの話ですが、なにも社会モデルは、自分は変わらない、わからない、できない。そういう自分に社会は合わせるべきだ、と言うのではないと思います。一人ひとりやってみたいこと、実現したいことなどがあるけれども、多くは自分一人の努力だけではどうにもなるものではないので、みんなで相互にサポートしあうようにしようというのが社会モデルだと思います。

もう一つは、私はずっと支援機器を作ってきました。頑張れば頑張っただけの成果が返ってきました。それに対して、障害者運動、政策や制度を変えていこうとする努力は、いつ実現するかの約束がなくて、とても忍耐力がいる作業です。私には向いていません。ただし、道具の開発も、あるところまでいくと自分ができることだけをやっていては限界にぶつかります。

たとえば、自分がいくら頑張ってもユニバーサルデザインを実現することはできないので、他者を説得したり他者に提案したりして、人に頑張ってもらわなければなりません。とはいえ、個々の企業の自主的な努力に期待しても限界があります。どうしても政策的な介入が必要です。特に、情報のバリアフリーはその側面が強いと思います。

藤井 ご承知のように私は作業所づくりに力を注いできました。障害の重い人の労働に向き合う時に、一人ひとりの主体的な労働の力をどうみるかについて、いつも考えさせられてきました。確かに、装置や道具などの労働環境を改善することは大切ですが、一方で、個々に秘められている働くことへのニーズや内発的な力をいかに増幅するか、これはこれで環境の改善課題とは別の次元の大切な課題かと思います。これら2つの側面は対立関係にあるのではなく、相互に相手を刺激し合って発展し合う関係にあるのだと思います。ただし、現状にあってはまだまだ環境の改善が不十分だと思いますが。

石川 能力主義批判みたいなことを言って、そういう気持ちをくじくような議論もありますが、それは違うと思います。自分自身が自由を感じ、達成感を感じて生き生きしていたいわけです。それをエンパワーする社会モデルでなければおかしいと思います。

藤井 社会モデルとあてがいぶちは違う。その辺の峻別をしていかないといけませんね。

氏田 自閉症のままでOKとか、自閉症の世界という言葉で勘違いをされる方が少なくないのですが、本人の認知や発達を促さないということではまったくありません。自閉症の人の障害特性、見方や聞こえ方など自閉症の人の特性を尊重しつつも、私たちの世界で彼らがさほど大きな困難を抱えずに暮らすことができるように支援していくこと、彼らの周りの環境調整も大きなファクターとなります。社会の側がまだ自閉症圏の人たちの生活の困難さを理解していないところでは、時には「自閉症のままでOK!」という言い方で社会に対し警鐘を鳴らすこともありかな、と思っていますが…。

○「ワン(ONE)」、差異を尊重する施策を

三浦 サービスの分野で考える時、どこに住むのか、どんなサービスを受けるのかも含めて、個別のパッケージサービスを多く用意してしまうと、選択肢を多く与えられたことに満足する方たちも多くなって、自分で責任を取りながら、自分で選んでいく行為がなかなかできないような気がします。

依存していくのは楽な面もあるので、子どもの時から意見を言うとか、自分にできる方法でいろいろなことにチャレンジしていくことを周りも応援するという、一人ひとりの支援に根幹をおくことが重要だと思います。日本人の効果的・効率的に事を考えるのが得意という悪い面が出てしまう。もう一度、人間を見直して施策を組み直す。ワン・フォー・オール(ONE FOR ALL)、ワンを大事にする視点がポイントではないかと思います。

省庁はとても優秀人たちの集団だと思いますが、効率性・効果性を求めて、一人ひとりを消した育成策になりはしないかというのが、抽象的ですが、感じているところです。

戦略や戦術は、権利条約に沿いたいと思います。権利条約は障害のある方のものだけではなくて、ありのままに生きていきましょうよ、と励まされる規範が書いてあります。機能障害がなくても、軽い障害がある人たちは増えていますので、社会で差異を尊重する、多様性の一環としてとらえる概念は、国民全体にとって有益だと思います。

藤井 権利条約が一番有効なツールであろうということですね。

三浦 すでに126か国が批准をして、賛同したことは国際標準ですし、可能な限り誰も排斥しないようにという配慮された文章で、私たちの目標点にできるものだと思います。

○多様性を力に変えよう

藤井 日本の国は、差異を認めにくいということですが、あの金子みすずの「みんな違って、みんないい」という詩などは80年前に作られました。もっと昔を含めて、日本社会というのは多様性を尊重してこなかったわけではなかったと思いますが。

石川 戦後の高度成長期に、同質性を力にして経済成長をしてきたことが原因だと思います。脱工業社会になってくると、多様性を力に変えていかないとやっていけない客観的な状況があるわけです。同質性で勝負するのではなくて、多様性のなかから化学反応で生まれてくる新しい価値やアイデアで勝負していく社会にしていかないといけないという切実な事情もあると思います。人権論的に立ち上がってくる多様性の議論と、日本の社会がこれからどうやって飯を食っていくのかという両方の側面から、ちょうど同じ結論、多様性を力に変えていくというタイミングにきているのかと思います。

三浦 我慢強いというのは、日本人の共通点だと思うのですが、美徳と扱われていた時代も長いし、震災の後などは、本当に高い公共性を持っている国民だという評価をされています。

今後の社会を築いていく中では、苦しい時はみんなで我慢をするけれども、自分を殺して生きなくてもいいのだというメッセージが大事だと思います。

「変わっている」とよく使いますが、同質化することが正しくて、それに沿わない人が正しくないというのではなくて、機能的には沿えないけれどもその人のありのままを受け入れる、そういうインクルーシブ社会になればと思います。

○権利条約を味方に

藤井 氏田さんは自己決定、石川さんはエンパワメントを含めた社会モデルという発想、三浦さんはパッケージだけではなく、差異の尊重ということを重点課題としてあげていただきました。どれも人間中心という考え方です。このことと関連させながら、権利条約の効力をどのように見ていますか。

石川 権利条約の批准前に国内法を整備しようとていねいに取り組んできたのは、日本らしいというか、生真面目にやってきたこと自体はよかったと思います。今まで、権利条約を目標にして国内制度を整えていく努力をしてきたわけですが、そろそろ権利条約を批准して、権利条約に則ってさらに進めていくという方針がいいのではないかと思います。

 政府は障害者権利条約の締結(批准)に必要な国内法の整備として、先に述べた3つの横断的な課題に取り組むことにしました。その3番目の課題として、まさに、現在、内閣府が取り組んでいるのが差別禁止法の制定に向けた準備です。ですので、この法案が成立すれば、その先に、障害者権利条約の批准が見えてくるということになると思っています。

藤井 重点課題を実現していく上で、権利条約をどのようにとらえていますか。

氏田 障害者権利条約は、障害のある人が物として見られるべきではなく、人として平等な尊厳と待遇を受けるべきであるとしています。特に知的障害のある人たちは「自分のことを自分で決める」ようにではなく、「人の言うことを聞く」ように育てられてきました。私たち家族も、知的障害や発達障害への誤解と偏見があふれる社会の中でわが子を守りたいとの一心から、やがて、本人が大人になってさえも保護的・管理的な本人への関わりとなっていたことは否めません。知的障害や発達障害のある人を保護的・管理的に扱ってきた日本の状況を大きく変えるのに権利条約は力強い味方になってくれるだろうと思います。

藤井 私は、権利条約は楽譜のようなものだと考えます。楽譜というのは世界中で通用します。問題は、どう奏でるかです。タクトの振り方や演奏の水準によって、素晴らしくもなれば、台無しにもなってしまいます。NGOやNPOも演奏者の一部になろうかと思いますが、指揮者を含めて演奏の主体は、やはり政府ではないでしょうか。その意味では、法律に基づく障害者政策委員会は演奏者そのものであり、しかも主旋律を奏でることになると思います。

三浦 私たちは、重複・医療的なケアを必要とし、常時介護を必要とする28,000人の人たちの介護をする協議会ですが、推進会議が始まる前に、協議会のサービスは権利条約に照らすとどこが問題でどこを変えるべきか、全文と照合させました。言葉が出ない方の代弁をするという機能もしていますので、個別具体的にルールや考え方が示されたことに対してサービス現場は何をどう変えるか、3年前に全部整理をしました。

そこから推進会議の議論に入ったのですが、今またそこに戻って、個別具体的に自分たちが行なっていることに照らして、自分たちも変わっていかなければ権利条約を保障できないと思うし、改善できないと思います。また、自分たちの努力だけではなく、制度、政策を変えなければというところはたくさんあります。

自治体職員への期待

藤井 新基本計画で新たな方向性が示されるように思いますが、実施主体の多くは自治体が担うことになり、実施の水準は、障害関連団体などによるソーシャルアクションと深く連動してくると思います。本誌の読者にもその関係者が多く含まれますので、その方たちへの期待を語ってもらえますか。

 地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、行政を担うものとされていますので、障害者の地域における生活支援だけでなく、障害者に対する虐待の防止や差別をなくすこともその果たすべき重要な役割だと思います。そうした意味で、自治体への期待は非常に高いものがありますが、その自治体が力を発揮できるよう、国がどう自治体を支援するのかといった観点が国の施策に求められると思っているところです。

氏田 国が決めるのは大枠ですが、地域福祉を創っていく時には自治体は身近な存在ですので、一緒に頑張ってほしいと思います。

私は横浜に住んでいますが、財源がなくなってきて横浜独自の制度がだんだん少なくなってきています。お金がすべてではないと思います。みんなをエンパワメントしつつ、地域づくりに力を注いでほしいと思っています。家族からの自立を丁寧に支えつつ、住み慣れた町で暮らすことができるよう、地域を巻き込んで進めてきた横浜の福祉を大事にしてほしいなと思っています。

3.11以降、防災というキーワードではありますが、もう一度、自分たちの地域福祉を見直そうという風潮が生まれているのは確かです。お年寄りや子ども、障害者も含めて安全な街づくりを考えていこうという機運があちこちで出てきているので、そういうパワーを上手く活用していく中で、お年寄りや障害のある人も含めた地域づくりが進んでいくといいなと思っています。

また、障害分野が地域づくりに貢献することも可能だと思います。車いすで走りやすい街は乳母車を押しやすい街です。ある就労継続支援事業(以前の授産施設)では、そこで作った美味しいお豆腐を障害のある人が毎日、住宅地に出向き販売しています。いわゆる引き売りの形なのですが、「お元気ですか?」と声をかける知的障害のある青年と一人暮らしのお年寄りとのふれあいが、毎日、買い物に出てくださるお年寄りの様子をはからずも確認できることにもなったりしています。

また、ある福祉施設は、会議室を地域に貸し出すことで地域の人がお茶を飲んでおしゃべりをするたまり場的機能を提供しています。どうしたら住みやすくできるのか、障害分野が地域の資源として果たす役割はまだまだありそうです。

三浦 私は熊本県の山鹿市という古風な町に住んでいますが、ユニバーサルデザインのまちづくりを提唱して、九州で青年会議所のグランプリ事業に輝いたことがあります。山鹿灯ろう祭のバリアフリーなど、「ハレ」の日も日常も障害者や高齢者が必ず参加できる状態を作ろうという提案だったのです。国指定重要文化財の明治の建物にも移動式の昇降機などが付いていますが、そうしないと、文化財として活きないというお考えの文化庁の方々と一緒に取り組むことができました。それは10年前で、その視点は多くの人に受け入れられています。

自治体というと機関のような感じがしますが、担っているのは人です。サービスを必要とする側も住民もサービスを提供する側も、人として同じ気持ちで計画や実現に向かっていくところに立ち戻りたいと思います。自治体職員から、やりたくても財源のしばりがある、本当の自分の気持ちとしてはやりたいというジレンマは多々聞いてきました。行政も人間の集団ですから、コミュニケーションと信頼関係で協働、パートナーシップでやる。土木、防災関連から男女共同参画、福祉分野とあらゆる関係課が一堂に介して、県も障害者基本計画を作ってきましたから、みんなで取り組みたいと思います。

印象としては、福祉担当よりもそれ以外の各課の方が、障害者の課題を素直に聞かれることがあります。「業界」では利害があるので厳しい感じもしますが、その部分も排斥しないのは重要だと思います。同じ目的に向かう時に、立場の違いでやれないことはあるけれども、新しい公共という考え方も出ていますし、自治体と住民という関係性はよくなるのではないかと思います。

石川 地方の劣化は相当深刻な問題としてあると思います。けれども、元気なところとあまり元気がないところは、単純に高齢化が進んでいるとか、人口が減少しているとか、財源がないだけでは説明できないものがあると思っています。小さいところほど、一人のキーパーソンが動くことでコミュニティーに大きな力となる。個人は大企業の中では目立ちませんが、小企業の中で頑張れば大きな力を発揮するのと同じように、一人の力で仲間を作っていく大きな可能性もあるので、ぜひポジティブに考えて、それぞれの場所で頑張っていただきたいと思います。

藤井 物事が発展や変化を遂げていくには、必ずといっていいほど仕組みや仕掛けが必要になると思います。この点でのアイデアはいかがですか。

石川 仕掛けというと難しいですが、他にはないものを作り出していく、あるいは発見していくことが重要です。なにか元気や自信の源となるようなものを作れば、その周りに人々が集まってくると思います。

確かに恵まれているところとあまり恵まれていないところがあると思いますが、どこにでも他にはないものが必ずあると思います。有機農業でもいいし、祭りや伝統芸能でもいいし、自転車のロードレースでもいいし、ちょっと前に流行った地域通貨もまだ可能性はあると思います。尽力プラス電動アシストで走るベロタクシーも楽しいですよ。

三浦 きっかけには、報道の力は大きいと思います。障害のあるお子さんのこととか、その人の作品のこととか、医療的ケアを受けながら普通の学校に通って頑張ったということが報道されることで、その地域の人たちがわが町の大切な人と感じてくれることがあるんです。障害がある人がつなぐ力になり、ほかの障害のある人が社会参加しやすくなったりすることがあると思います。

藤井 魅力があるところに人は集まるものです。つまりどれくらい魅力を発揮できるか、当方の責任は少なくないと思います。

NGOへの期待

藤井 NGOやNPOの役割はこれまでに増して重要になるのではないでしょうか。日本の障害分野は、かつては違いを強調してきましたが、今は変わってきました。

権利条約の採択の過程で、私たち障害者団体は特別委員会を傍聴したりロビー活動を行なってきましたが、日本のNGOとして意見がまとまっていないと通用しません。日本障害フォーラムにみられるように、確実にまとまりが形成されているように思いますが、あらためてNGOやNPOへの期待を述べてもらえますか。

三浦 熊本で自立生活運動をする東さんに25年前に出会って、諮問委員に入れていただき、道しるべになりました。私たちはサービスユーザーとのお付き合いがほとんどです。そこは利害がある関係性ですが、当事者団体の方々はサービス事業所と利害がないことが多いので、本当の願いも本音もよく話してくださいます。そのことが、サービスを提供する側として参考となり、選択ができてきたことがあります。批判していただいてもいいし、評価いただけるところはしていただきたいし、積極的に発言をして刺激をしていただきたいと思っています。

障害福祉関係者があれこれ悩んでいる時に、障害当事者の方はスパッと答えを出されることが多い。真実しか語られませんので、本当に大事なことだと思っています。

熊本県では、差別禁止条例を当事者と事業者も一緒に検討して、熊本障害フォーラムを立ち上げました。それを基盤として、一緒に運動をやっていけるぞというつながりができました。障害のある人たち同士の差別は見聞きしてきましたが、差異を尊重しながら、運動の大同団結は非常に重要だと思っています。これからは行政と一緒に作り上げるという運動スタイルが重要かなと思います。

石川 私は、オンラインの電子図書サービスを視覚障害者や目の見えにくい人たちに提供する、全国視覚障害者情報提供施設協会の理事長を3年務めました。サービスを提供する側の人たちの気持ちや熱意は、利用者の立場だと見えないのです。提供する側の責任者になって、こんなにいろいろ考えて、ここまでこだわって仕事をしているのだと思いました。良質なNGOやサービス事業者、障害者の福祉を支援する人たちが、日本にはたくさんいます。

同時に障害者団体も事業者も、団体を動かしていくにも、サービスを提供していくにも収入と支出のバランスを考えなくてはいけない立場にあります。なおかつ障害者施策にかなり深く関わる仕事もしているわけで、利益相反の管理をきちんとしないと、誰のために何のために発言しているのかが疑問視されてしまうと、信用を失うと思います。

氏田 私は自閉症の親の会で活動をしてきましたが、家族介護がなければまだまだ成り立たない日本の福祉社会ですので、本人の生活をより豊かにしようと思えば思うほど、家族の負担も当然、増え続けます。まずは抱え込みすぎてしまわないこと、本人の存在を社会化していくことが大切だと思います。家族が疲れ果ててしまっては、元も子もありません。

また至極普通のことですが、大人になったら大人の生活を準備する必要があります。遅くとも30歳には、どんなに障害が重くても家族からの自立が果たせるような支援の輪を地域に用意する必要があると思います。家族会の運動のあり方も変化してきていますが、NPOなどの力も借りながら、本人はどんな夢や希望を持ち、誰とどこに住みたいと考えているのか、そのことの実現を目指せたらと思います。

また、理解啓発活動も重要です。福祉分野だけでなく、多種多様な分野の方々を巻き込み理解啓発をもっともっと広めていく必要があります。生きることに困難を抱えている人たちが、違いを超えて、違いを楽しむことのできる社会を目指して、地域の人々などと協働できたらと思います。

藤井 私はJDFで活動していますが、行政や政党などとのパワーバランスでみると、まだまだ障害者団体は頑張らなくてはいけないと思います。団体がきちんと機能していくためにはいくつかのポイントが考えられますが、一つ目は相手が誰であっても気兼ねなくものを言える関係をどれくらいキープできるか、二つ目は、自分とは異なる障害の領域にどれくらいの思いを寄せられるか、特に自らの意見を出しにくい人の立場を尊重することかと思います。三つ目は、自分の考えと最も遠いところとつながる努力をすることだと思います。

 この3年間の制度改革のもともとの原動力は、障害者の権利条約など、国内外の課題に目を向けた日本の障害者団体の連携にあったものと思います。採択された障害者権利条約は、条約の実施や障害者に関連する施策の意思決定過程に当事者団体等を参画せしめるよう締約国に求めていますが、こうした当事者参画に求められる障害者団体としての役割をどれだけ果たし得るのか、今後ますます問われるように思います。

2013年の抱負

藤井 権利条約の「批准予報」からすると、もうだいぶ近くなっている感じがします。しかし、批准前に成しておくことはまだまだあると思います。この1年間、障害者政策委員会はますます大事になりますが、委員長、委員長代理としての抱負はいかがですか。キーワードをあげながら話してもらえますか。

三浦 心に「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー」という言葉があるのですが、世界的な広い視野を持って、足元のできることから一歩ずつ行動していきたいと思います。地方に居住しているからかもしれませんが、アクト・ローカリー、「足元から行動を」が大事だと思います。

このように仕事ができることは貴重な機会だと思っていますし、日々学びがあります。一つの目標に向かって矢面に立たれるのが委員長ですので、委員長代理としては可能な限り、しっかり支えていきます。

氏田 今年のキーワードも、やはり「Nothing about us without us」です。真に本人の声に耳を傾けることができる社会となるまでは、キーワードはずっと変わらないと思います。本人そして家族はどのようなことに困っているのか、どのような支援を必要としているのか、そこには障害のある本人と家族一人ひとりの存在の重要性があります。

委員長を支えるどころかこれまでも支えていただくことばかりでしたが、家族たちの声を反映できるよう、また、本人そして家族にとってもわかりやすく、身近な政策委員会となるよう努力したいと思います。

石川 私は障害者政策委員会の中では、障害者政策、障害者政治リテラシーが最も低い人間ですが、それに開き直ろうというのでなく、日々学びながらやっていこうと思います。自分ではペースメーカーの立場ならできるかなと思っています。ペースメーカーには二つ意味があって、一つは心臓のペースメーカーで不整脈が出たら調整する。もう一つは長距離走のペースメーカーで、最初先頭を走りレースを引っ張り、最後にいなくなる。そう思ったのですが、実際には暴れ馬的な政策委員会で、折り合いをつけるどころか、振り落とされそうになるのを必死にしがみついている状態です。

何とか折り合いをつけて、行政とも意地を張り合うのではなく、人と人、立場の違いはあるけれども共感できる、理解しあえることはたくさんあるので、政策委員会を熟議の場にできればいいなと思います。

 制度改革の一つの目玉として誕生した障害者政策委員会は生まれたばかりですが、大きな期待がかかっています。今後は、どのようにモニタリングを継続していくのか、そのやり方を定着させていかなければなりません。一方、権利条約の批准に向けた制度改革もまだ道半ばであり、どれだけのことが本年においてできるのか、鋭く問われる時期となります。できうるかぎり皆さんとともに前を向いて歩みたいと思っています。

藤井 権利条約というすごい助っ人がある一方で、財政の悪化や政情がどうなるかなど不安定要素が渦巻いている向こう1年間です。もっともあてになるのは私たちの主体的な力量であり、障害者政策委員会もまた主体性を発揮できる部署かと思います。主体性を損ねることなく障害者政策委員会の存在感をいかに高められるか、そして、障害者政策委員会が言っていることはなるほど一理ある、このことを行政や国会、マスコミ、広く市民の皆さんにも思ってもらおうではありませんか。長時間、ありがとうございました。

2012年12月17日(月)、第5回障害者政策委員会が開かれ、「新たな障害者基本計画に関する意見について」のとりまとめが行われました。とりまとめの「意見」は、同日、前川内閣府副大臣に手交されました。今年度中に閣議決定の予定です(12月17日現在)。

以下の内閣府のHPより意見(案)をみることができます。

資料1:新「障害者基本計画」に関する障害者政策委員会の意見(案)
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/seisaku_iinkai/k_5/pdf/s1.pdf

資料2:新「障害者基本計画」に関する障害者政策委員会の意見(案)(修正箇所表示版)
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/seisaku_iinkai/k_5/pdf/s2.pdf