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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年3月号

避難、仮設住宅、そして復興のまちづくりの課題を問う

髙橋儀平

1 はじめに

私が所属する職場と日本福祉のまちづくり学会では、2011年3月11日以降、可能な範囲で断続的に現地支援、かつ生活ニーズに関する調査活動を行なってきた。本稿では、この2年間のそうした活動の成果の一部を踏まえて述べる。

3.11の大震災が起こり、翌々日、福島県富岡町にいる後輩から携帯に連絡が入る。だれか国会議員に知り合いがいないか、というのである。事情を聴くと、現地では避難所まで物資が届かない。地域の消防団も解散した。だれも物資を届けに避難所まで来ようとしないというのである。電話は緊迫していた。すぐに、知人の議員に電話して対応をお願いした。後輩はその後の選挙で町会議員に当選し、復興に向けた活動に邁進している。

2 避難から仮設住宅へ

震災後4月下旬~5月上旬、初めて岩手県に入る。岩手県立大学の狩野徹教授の車で、被災沿岸を突っ走った。ところどころ高齢者が避難している特別養護老人ホームに立ち寄り、避難の様子を聞いた。

特別養護老人ホームに避難した大槌町出身の70歳代後半のおばあちゃんは、片足が不自由で歩行が困難であった。多分逃げられないだろうと、地震当時一緒にいた知人に先に避難するように促した。震災直後から「てんでんこ」という津波避難の鉄則を聞いていた。

その時、賢明な判断をそのおばあちゃんはしているなあと改めて感心したのだが、避難手段が他にない大昔はそれでよかったかもしれない。不意を襲う地震と津波ではそれしかないのかもしれないが、助けられたおばあちゃんは「てんでんこ」ではなかったので助かった。

おばあちゃんはその後、膝まで津波が押し寄せ、がれきや土砂で足が埋まり全く動けなくなった。そこに、すぐ裏手のお寺の住職さんが探しに来てくれ、抱えられて逃げだすことができた。助かった障害者の方々の多くは、同様の経験であったに違いない。てんでんこ避難に疑問を呈したい。

仮設住宅では、本当に多くの方々が地域から離れて住まわざるを得ない状況が続いている。当初は、仮設住宅の土地もなく建設が大幅に遅れ、入居が8月にまでずれ込んだ方も少なくない。車いす使用者や介護を要する高齢者の場合、応急仮設住宅とはいえ、生活適合不可能な浴室やトイレ付きの仮設空間に入るしかなかった。

次第に、屋外だけにはスロープが設けられ、玄関から居室までの移動が何とかできるようになった。車いす使用者用トイレは、50戸に1か所の集会施設内に設けられただけであり、一人ひとりが工夫をしながら仮設住宅で暮らし続けている。

3 仮設住宅団地でのまちづくり

その後、仮設住宅団地にはサポートセンターが併設されるようになり、入浴のサポート、日中の居場所づくりが進められた。団地内や被災地には仮設商店街が形成され、少しずつ仮の街ができてきたように思われるが、住宅内のバリアは依然として改善が進んでいない、あるいは改善できない状態が続いている。

これを埋めてきたのが訪問看護や支援員の巡回、サポートセンターである。サポートセンターの取り組みは、都市部の地域包括センター以上にその役割が重要になっている。仮設住宅が長期化することは必須であり、今後のまちづくり、復興住宅の展開もサポートセンターでの経験を生かせる対応が必要である。

一方、仮設住宅からの生活再建には、経済的自立はもちろんではあるが、高齢者や障害者を支えるコミュニティーの復活が必要である。もともと地域の絆(きずな)が強かった東北の地域ではあるが、集落単位で異なる特徴があり、近隣づきあいも異なる。

震災によって潜在化していた村や町の課題が露呈してきたようにも思われる。東日本の再生は人口の少ない農山漁村とはいえ、将来における地域単位での支え合いをどうつくるか、というわが国の方向性にとっても大きな課題を突き付けられている。

4 いわき市仮設住宅の住民調査から

いわき市では、津波による被災者と福島第一原発事故による避難者が混在している。最も大規模な高久団地では、被災地域による入居区分が団地ごとに行われているが、市内の津波被災者と市外の原発事故避難者が混在している団地も見受けられる。仮設住宅の構造や住みやすさに関する問題は、他県の状況ともほぼ共通であるが、原発事故避難者が仮設住宅に入居するまでの移住経緯は大きく異なる。

この高久団地ではサポートセンターが中心になり、市内のみなし仮設(民間アパートの借り上げ)住宅で生活している被災者を定期的に巡回するサービスが始まり、震災後、所在が分からなかった住民が少しずつ判明している。すべての市民に共通であるが、こうしたサポートセンターの地道な取り組みが、これからのまちづくりに向けた住民同士の関係性に影響してくるように思う。

避難の途中では住民各自がバラバラになり、現在もバラバラのまま仮設住宅で生活しているが、大震災から1年以上の時を経て連絡が取れ、団地内の集会所で定期的な会合をもっている住民も少なくない。

5 これからのまちづくりに向けて

これからのまちづくりは、従前地域・地区単位での復興が今後の基本となるが、コミュニティーの主因は趣味活動、地縁、血縁と幅広く、こうした幅広いつながりを活かす公共施設や店舗の配置、地域交通の創出が望まれる。また、仮設住宅で生活する住民と支え合う既存地域住民との関係も、今後重要になる。厳しい現実の中で、かつての自分の住まいとは異なる地域住民とのつきあいから生み出される新たな関係性や場の構築が、今後のまちづくりに大いに力を発揮しよう。復興の進捗は遅れているが、人口過疎の超高齢地域であるからこそ、若者の巻き込み方、障害者を含む本物の住民ニーズが明らかにされ、共助社会が形成されるのではないか。

(たかはしぎへい 東洋大学ライフデザイン学部教授、日本福祉のまちづくり学会会長)


【参考文献】

*日本福祉のまちづくり学会東日本大震災復興特別委員会「住宅調査班」の報告「福祉のまちづくり研究」2011、VOL14、No.1