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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年3月号

福島の抱える問題:人材不足と福祉事業所人材募集プロジェクト

JDF被災地障がい者支援センターふくしまマッチングチーム

1 はじめに

今日も、南相馬の日中系事業所とグループホームへ、県外から5人の福祉事業所職員のみなさんが支援に入っている。2011年3月11日、私たちを襲った地震、津波、原発事故から2か月が経とうとした頃から、延べ2,500人を超える福祉事業所職員がJDFを通じ、福島の障がい福祉サービス事業所への人的支援に駆けつけてくれている。

仲間が窮地に立たされているのを、ほっとけないという思いだけで。

ささやかでも、必要とされているという小規模作業所の魂をもって。

2 背景

2011.3.11。地震、津波、原発事故が起こる前、私たち福祉事業所の現場は、慢性的な人材不足を抱えていた。無認可作業所時代の思いだけで仕事を続ける時代から、障がい福祉サービス事業所として、職員を雇用できる職場に変わっていた。しかし、職員すべてに、この仕事を続けていくことができる身分の保障がなされることにはならず、パート雇用や短期雇用の職員が数多くいるなかで、この職場が支えられてきた。

福島で起きた地震、津波、原発事故は、このような背景に重ね、警戒区域、緊急時避難準備区域、計画的避難区域、自主避難等、対象区域の福祉事業所で働く多くの職員をも避難させることとなった。

福祉事業所の中には、少ない職員体制の中でも開き続けた日中系事業所、入居者とともに転々と避難し続けたグループホーム、居宅サービスを利用する人たちと職員、家族で一緒に避難した事業所などもあったが、前記地域の多くの福祉事業所は活動を休止し、利用していた障がいのある人たちは、自宅で、あるいは避難先で、家族と共に原発事故の状況を見守っていた。子どもを抱える職員も自宅を離れ、多くが避難を選ぶこととなった。

3 経過

そんななかで、屋内待避その後、緊急時避難準備区域に指定された南相馬市原町区さぽーとセンターぴあ青田理事長から、JDF被災地障がい者支援センターふくしまへSOSが届く。「南相馬市に障がいのある人たちが残っている。家から出ることなく、家族とじっと家の中で身を寄せ合っている。至急救援物資を運び込んでほしい」と。

南相馬市は、福島第一原発より20キロ圏内について原発事故のあと、子ども、妊婦、高齢者、入院を必要としている人、そして障がい者は優先的に自主避難を進めることとし、災害時要援護者リストに基づいて、自衛隊に避難についての聞き取りをしてもらっていた。避難していると思っていた南相馬市に、障がいのある人たちが残っていたのだ。残っていた人は、避難に困難を抱えているにもかかわらず、要援護者リストには、一人も載っていなかった。

ここから、南相馬市、さぽーとセンターぴあ、JDF被災地障がい者支援センターふくしまの三者で、緊急時避難準備区域での避難計画づくりのための調査活動が開始される。5月の連休中の開始であった。「所在の確認」「避難の方法」「避難先での配慮」。原発で異常が起きた時、避難するための的確な計画づくりのための調査であった。

しかし、この調査は避難計画づくりのための調査にとどまることはなかった。1日の調査活動を終え、戻ってくる調査員から発せられる言葉は「障がいのある人、家族が想像を絶する困難を抱え孤立している」だった。医療も福祉も流通もズタズタになっていた。なんとか、つなげられる社会資源はないのか。苦悩の中から、日中通える場所を再開するという思いが突き進む。避難先から続々と、切羽詰まって戻ってきた障がい者と家族の声ににも後押しされ、休止していた日中系事業所が一つ、二つと再開しはじめた。

4 事業所への人的支援開始

しかし、再開はしたものの、事業所を支えてくれていた職員はまだ避難している人が多く、なかなか戻ってはこれなかった。放射能による子どもへの健康被害が心配されるなか、学校も再開しない南相馬市の現状は、戻る判断を容易にできない状況にしていた。

日中系事業所の再開と同時に、ここから、南相馬市の福祉事業所への人的支援が始まる。再開初日のあのみんなの笑顔は忘れられない。初めて作業所ができたあの日の笑顔と重なった。

2011年8月からは、なんとか人的支援に公費を利用させてもらった。しかし、災害援助費の打ち切りにより9月で終了。年が明け2012年1月より、この人的支援の取り組みに、県より福島県福祉介護職員マッチング事業補助金が付く。派遣ニーズの把握、派遣組織等を進めるための財源的な支援を受けての取り組みとなる。

本年2013年1月からは、県外から事業所支援に駆けつける福祉事業所職員の交通費の補助もこの事業の対象に加わる。

現在、相双、いわき地区では、障がいのある人たちの、仲間と一緒に働きたいという希望、入浴や食事の支援をという希望がふくれ上がり、日中系事業所の利用者は震災前をどこも大きく上回る数となっている。グループホームの入居希望者も多く、ホームの増設が続いている。理由は、いまだに休止状態の警戒区域の事業所利用者が、南相馬や相馬、いわきの事業所利用を希望したり、震災前は入浴も食事も家族の力でやってこれたのに、仮設での生活環境が、周囲の支援がなければ対応しきれなくさせている等である。

ニーズはますますふくれ上がっている。にもかかわらず、震災前を超える職員を確保することは困難となっている。居宅系事業所のヘルパー不足も極めて深刻化しているが、1週間の県外福祉事業所職員派遣での対応は不可能であった。

5 地元雇用を進める

2012年4月、大震災から1年が過ぎた時、人的支援を受けている事業所から、震災後1年間必死でがんばってきた職員から、退職の申し出があったと聞いた。1年が経っても人的支援が続いている状況。これから1年先は、どう変わっているのか。見えない苦悩。派遣を続けてくれているJDF、県外福祉事業所の負担もさることながら、派遣を受ける事業所にも疲労感が漂い続ける。「地元雇用を進めること」。安定的継続的な職員体制の確保のためには、それが必要と考えた。しかし、福祉の資格を持つ人材の確保は、ハローワーク、県社協福祉人材センターとも困難を極める。

興味や関心があるなら、一緒に働こう。働きながら、一緒に学び育ち、創り上げていこう。事業所がそう腹をくくり、新たな職員と毎日を過ごしていく。だからみなさん、資格がなくても、初めてでも心配しないで、話を聞きに来てください。そんな「福祉(障がい分野)の仕事説明会・相談会」を開催することを決定し、郡山、南相馬、いわきの3会場で実施した。県内の高校、短大、大学、専門学校をまわり、地域のお店にポスターを張ってもらい、仮設住宅へのポスティング、新聞に折り込みチラシを入れ、報道のみなさんにもご協力いただいた。

南相馬の新聞支局の記者さんが、相談会当日、多くの方に取材をし続けていた。「熱心に取材していただき、ありがとうございます」とお伝えすると「これは、南相馬が抱える問題ですから。私たちの問題ですから」とおっしゃった。農業高校の進路の先生がおっしゃった「今出ている求人は、パートが多い。しかし、この仕事を一生の仕事と子どもたちに伝えていいのですね」と。まだまだ困難な状況は続くが、福島の福祉現場を支える仲間が一人でも増えてくれることを切に願う。

(古賀知夫 丸山徹子 栂野豊 伊藤彰寿 石井淳子 浜崎順子 東間千代子 村越浩 金子純之助 川前佳奈子 和田庄司=マッチングチーム)


*雇用などの情報、詳しくは、JDF被災地障がい者支援センターふくしまのHPをご覧ください。
http://jdf787.com/index.html

被災地障がい者支援センターふくしまのHPは、http://www.arsvi.com/o/s-fukushima.htmです。