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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年6月号

時代を読む44

日本で初めて敷設された点字ブロック

普段何気なく歩いている街中で見かける「黄色い点字ブロック」が、世界に先駆けて日本で開発されたものであることを皆さんはご存じでしょうか。

昭和40(1965)年、視覚障害者の移動を支援するための設備として、(一財)安全交通試験研究センター初代理事長故三宅精一(享年57歳)によって考案されたもので、視覚障害者が足の裏の触感覚でその形状を確認できるような突起をつけたブロックである。これは、移動の際に正確な歩行方向と位置を案内するための設備で、その形状・配列などについては、開発当時、半球状の突起(ドーム)型(7×7=49個)を並列に配列したもので、色は現在の黄色ではなくセメント色であった。

この形状から「点字」の字句を冠した呼称は、すべての視覚障害者を対象としている設備であるとすぐに分かり、社会に対してもアピールしやすいということから「点字ブロック」とネーミングした。開発当時は、今のような福祉に対する理解も低く、「視覚障害者がひとりで、安全に歩行できる街づくり」を積極的に考える社会環境ではまだなかったため、点字ブロックを開発してから数年間はほとんど普及しなかった。

昭和42年3月18日(岡山市中区原尾島・旧国道2号線交叉点)に、わが国で最初に『点字ブロック』が敷設される。これは当時、県立岡山盲学校の生徒が通学する際に利用する横断歩道で、学校側・岡山県・市視覚障害者協会の要望により、関係方面の理解と旧建設省岡山国道工事事務所の協力を得て、安全交通試験研究センターが230枚の点字ブロックを寄贈することにより実現した。このことは国内の視覚障害者はもとより、当時の旧建設省や旧厚生省・各都道府県・市の交通安全対策室・福祉事務所等へ大きな反響となった。

その後、昭和45年3月、旧国鉄阪和線我孫子町駅のプラットホームに鉄道駅として初めて『点字ブロック』が敷設された。また、故三宅精一の友人であり、良き理解者でもあった社会福祉法人日本ライトハウス元理事長故岩橋英行氏によって、世界に紹介され、日本のバリアフリーを視察に来た海外の国や地域でも、「点字ブロック」を取り入れるようになり、国内外での広がりを見せるようになった。

その後、国内における「点字ブロック」の統一化も進み、平成13年9月20日、日本工業規格(JIS)が制定され、平成24年3月1日には国際標準化機構により国際規格(ISO)が制定された。

考案から47年の時を経た平成22年3月18日、岡山市中区原尾島に「点字ブロック発祥の地」と刻字された記念碑が建立された。そこには、当時敷設されていた「点字ブロック」が埋め込まれている。ここから始まった点字ブロックが、「幸せへの黄色い道しるべ」となって全世界につながってくれることを願って止まない。

(池田健二(いけだけんじ) (一財)安全交通試験研究センター理事)