音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年6月号

列島縦断ネットワーキング【神奈川】

脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会 神奈川大会を終えて

和田敏子

支えあうコミュニティの再考と実践

2013年4月13日、14日の両日「脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会」が横浜市障害者スポーツ文化センター横浜ラポールで開催されました。この学会は2009年に、地域で暮らす脳損傷当事者、家族、共に暮らす市民、医療福祉関係者、行政等が混然一体となって「支えあう地域」を実現すべく、人々の英知を結集するため「脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会」が設立されました。

大会長は脳卒中歴29年

ホームページにあるように、「ヒトがヒトとして生きるのにはヒトの支えが必要です…わたしたちと共生への手がかりを模索しませんか」という問いかけを旗に、島根県出雲市、秋田県秋田市と2か所を巡り、今年で3回目を迎えました。

大会長は障害当事者である石川敏一さん。自ら脳卒中後遺症とともに29年、「私は障害者でなければ困るんです」と迫力のある発言と実行力で、全国脳卒中友の会連合会を牽引されてきた方です。また副大会長に、日本脳外傷友の会会長東川悦子さん、神奈川リハビリテーション病院大橋正洋医師が参加くださり力強いチームとなりました。

また、会場は新横浜駅近くに位置する「障害者スポーツ文化センター横浜ラポール」です。ここは、1992年に開設され、隣接する横浜市総合リハビリテーションセンターと一体運営で、スポーツ、文化を通し、自立と社会参加支援プログラムを持つ稀有な施設です。そのコンセプトの中でも「みんな笑顔」をビジョンに掲げ、ユニークなスポーツ、文化プログラムを実践し「つくる、つなげる、ひろげる」をテーマに、地域との連携を大切にしています。日々訪れれば、夜21時閉館時間ぎりぎりまで多くのさまざまな障害当事者の方がワイワイスポーツに汗を流し、ごった返すロビーは圧巻です。今回の大会にぴったりの会場になりました。

神奈川の息づかいを感じる会場ラポール

大会事前申し込みを受ければ、車いす利用者数が40人を超えたとの報告が事務局に入りました。

過去の開催地での話題は「どうしたら障害当事者が地域に出ることが容易になるか」でした。入院、退院を経て自宅に帰れば行き場がない、外に出る勇気が、活動する資源が少ない等々理由はさまざまですが、一歩踏み出す壁がありました。しかし神奈川に限っては、当事者の積極性に目を見張ります。まさに会場であるラポールが語る「目標を見つけ、仲間をつくりながら、主体的で充実した生活が送ることができるよう…」そんな息遣いを開催前から感じさせる神奈川の地でした。

舞台に上がった当事者

大会1日目からプログラムには当事者の登壇が続き、それぞれに時を紡いでいきます。

ある日突然…の体験は、当事者でしか語れない恐怖、哀しみ、絶望。それでも前を見る日が来ることを、当事者インタビュー「私が語る」「家族が語る」で知ることになりました。さらに前を向いて生きている当事者の方々40余人は、当事者パフォーマンスのコーナーでそのエネルギーの源を会場に披露されました。語り、奏で、歌い…その晴れやかな表情は、見ている者すべてに「生きている喜び」をわかちあっている、そんな熱い思いが身体中に広がった瞬間でした。

2日目には、研究部会の報告がありました。この学会では「脳損傷者とコミュニティをデザインする研究部会」と「コミュニティにおける脳損傷者の回復プログラムと機能評価部会」という研究部会があり、支援者もさることながら、なかでも当事者が運営する「旅部会」の発表は特筆すべきことのように感じました。

「旅は1年のリハビリにも勝る」をキーワードに、大会地に集まる当事者の方々を現地と協力してミニ観光と交流会を企画し、受け入れる係になる当事者の方々。その行程が報告されました。互いに「旅」という共通の目標で繋がりながら半日の時を重ねあい、助け合い、触れ合い、「元気」を何倍にも増幅させている報告です。

次に映像を通して、神奈川県内のいくつかの施設がレポートされました。ここでも映像の中で、あるいは登壇して当事者自身がわが施設を語ります。

そこにも忘れられないメッセージが伝えられていました。「倒れてすぐは治ると思っていたんだ。だけど治らないのよ。この手も足も動かないじゃない。そりゃあ落ち込むよ。でも1人じゃないって3年ぐらいすると気づいて、あきらめて、それからだよ。何とか今の自分に向き合うには考え方変えなきゃね…」と語りながら、当事者勉強会を企画している人。

「世の中にはねーこんな親切なおせっかいな職員やボランティアがいるなんて、自分が当事者になって初めて知ったの。ホントは知っていたけれど、見ないようにしていたのかもしれないね。近づきたくないって気持ちがあったこと、今気づくのよ。だから、自分でも何かできることをしたいし、役割がある。まだまだ家に引きこもるのは早いって思うの」と自らボランティア活動している人。生き続けるしんどさ以上に、新しい役割を掴(つか)む、掴もうとしている姿が映し出されていました。

そして「遷延性意識障害」(重度のこん睡状態を指す病状。植物状態ともいわれる)という後遺症のある方々が入居しているケアホームが映し出されました。全国に例が少ない「ケアホームタンポポの花」に入居している女性の方お2人の表情が頭から離れません。お2人とも出産時の脳損傷とのこと。まさに命がけの出産を経ての後遺症は厳しい現実でした。しかし施設長さんは「生まれたお子さんたちはママにちゃんと会いに来てくれますよ、他の家族とも親しくなり大きな家族ですね」と絆の深さを伝えてくださり、さらに「皆さんに、私たちがこうして生きていることを知ってほしいです」と語られました。

この声を市民に地域につなぐ

2日目の後半、この学会では定番となっている社会学者(北山晴一)と哲学者(長谷川宏)による大会を通じ、俯瞰(ふかん)したコミュニティ論は、ゲストに横浜市リハビリテーション事業団顧問の伊藤利之さんを迎え、「支えあうコミュニティの再考と実践」と題し、支えあう日常の営みについて繰り広げられた座談会にはヒントが満載でした。

最後に、2日間にわたった大会の総括として、神奈川の地に根を張った活動をされている5人のパネリストが、それぞれの神奈川を語り合われました。なかでも横浜市立岡津中学校長八嶋さんの話は魅力的です。毎年、地域の障害者のスポーツ大会にボランティアとして中学生の参加を促しているが、ある競技で障害者の方と一緒に走っていた男子中学生は、障害者の方の動きにいっこうに介助をしようとしない。ただじっと待っているだけだったので「なんで手伝ってあげないの?」と問うと「だって自分でできると言ったから待ってたんだ」と答えたとのこと。校長先生は「自分は、障害者は手伝ってあげる必要がある存在なんだから、手伝えばいいと決め込んでいた。しかし生徒は違った。できると言われたことをきちんと受け止め、待ち続けた。教えられるのはいつも私なんです」と、真摯な発言の向こうに熱い教育への思いが会場に伝わりました。

今回のテーマは「地域で生きる帆をあげて」です。思い起こせば70年代、障害者運動の一翼を担っていた神奈川であり、当事者運動として歴史を持つ地です。2013年、新たに脳損傷者を切り口にして、再び当事者と共に支えあうコミュニティの実践という帆を揚げることが可能な地、それは神奈川かもしれないと感じました。

脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会では、このように研究部会を核にしながら実践を広げています。神奈川大会でシンボルになった帆のマスコットは、広い神奈川の地に種のように散らばって展開しているさまざまな活動が繋がって、点が線に、線が面になり、いつしか帆となって大きな風をはらみ、前へ進んで行こうというメッセージが込められています。

学会概要につきましては、ホームページhttp://caring.co-site.jpをご覧ください。

(わだとしこ ケアセンターふらっと施設長)