音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年7月号

障害のある人の参政権の保障

植木淳

はじめに

本稿は、成年被後見人の選挙権を否定する公職選挙法11条1項1号の規定を違憲とした東京地裁判決(東京地判2013年3月14日判例時報2178号3頁)を中心に、障害のある人の政治参加の権利に関して概説するものである1)

1 選挙権と公職選挙法

近代憲法の初期においては、選挙で投票する行為は、「公務」(全国民のためにする仕事)であって、個人の「権利」ではないと考えられてきた。そのような考え方は、「財産と教養のある市民」のみが「公務」に参加する「資格」があるとする論理によって、有産階級による政治支配である制限選挙制を正当化してきた。また、無産者や女性は政治的判断能力を有しないという「偏見」が制限選挙制を支えてきた。実際に、戦前の日本で男子のみの普通選挙を実現した衆議院議員選挙法改正後も女性だけではなく「貧困にして公私の救助を受ける者」等の選挙権は否定されていた。選挙権行使に「資格」を要求する論理と政治支配層の抱いていた「偏見」が制限選挙制を支えてきたのである。

これに対して、現代憲法においては、財産・性別を問わない普通選挙制が一般化するとともに、選挙権は「公務」たる性質に加えて「権利」たる性質を有するものであると考えられるにいたった。1946年に制定された日本国憲法においても「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する」(15条3項)と規定され、20歳以上の者に対する普通選挙制が実現されたと説明されてきた。しかし、1950年に制定された公選法11条1項においては「禁治産者」(1999年の民法改正以降は「成年被後見人」)は「選挙権及び被選挙権を有しない」とされた。これは現代における制限選挙制であるといえるが、従来は憲法学説においても疑問視されることは少なかった2)

何ゆえに、成年被後見人の選挙権否定は正当化されてきたのか。第一の理由として、戦後も選挙権行使は「権利」ではなく「公務」であって何らかの「資格」が要求されるという論理が通用力を持ってきたことがあげられる。このような論理によって、「選挙権を保障する」という価値以上に、「資格を有しない人に投票させるべきではない」という価値が優先されることとなった。そのうえで、第二の理由として、成年被後見人は政治的判断能力を有しないという「偏見」があった。そのような「偏見」は―戦前の制限選挙制が女性・貧困者を排除してきたのと同様に―障害のある人を政治参加から排除することを正当化するものとなった。

実際に、今回の裁判においても、被告・国側は、選挙権は「公務」であることを強調するとともに、成年被後見人は「最低限必要な判断能力を有しない」とする「偏見」を根拠とする主張を展開した。また、国側は、成年被後見人に選挙権を付与することは「第三者の意を受けた不正な投票」が行われるなどと主張した。しかし、そもそも、すべての人が他者の意見の影響を受けながら意思決定をするものであると考えれば、成年被後見人の場合にのみ「不正な働きかけ」があることを強調するのは「偏見」に基づく議論である。また、現実に「不正な働きかけ」によって「自己の意思に基づかない不適正な投票」が行われることがあるとすれば、それは「本人の意思が尊重されなかった」という意味で重大な問題であるが、そのために本人の「選挙権」を否定するのは本末転倒である。その意味で、公選法11条1項の背後には「選挙権」よりも「選挙の公正」を重視する論理―それは、選挙権行使を「権利」ではなく専ら「公務」であると考える論理からくるものである―があるというべきであり、そのような論理こそが克服されるべきである。

これに対して、東京地裁判決は、成年被後見人は「選挙権を行使するに足る能力を欠くと断ずることは到底できない」として、国側の依拠する「偏見」を否定した。また、成年被後見人に選挙権が与えられた場合に「不正な働きかけが行われてそれに基づく投票が行われ」ることが「相当な頻度で行われるであろうことを推認するに足る証拠はない」と指摘して、「成年被後見人に選挙権を付与することによって、選挙の公正を確保することが事実上不能ないし著しく困難である」とはいえないと判断した。東京地裁判決には「選挙権を行使するに足る能力が欠けている者」に対する選挙権制限を肯定しているように思われる部分もあって疑問の余地があるものの、結論において、公選法11条1項が違憲とされたことの意義は極めて大きいものである(なお、本判決後に公選法11条1項1号が削除され、成年被後見人の選挙権が保障されるにいたった)。

2 選挙権保障の実質化―投票機会の確保

公選法で選挙権が保障されれば、すべての人が現実に投票できるわけではない。公選法44条は「選挙人は、選挙の当日、自ら投票所に行き、投票をしなければならない」(投票所自書投票主義)と規定しているため、そのままでは「投票所に行けない人」「自書できない人」は選挙権が行使しえないこととなる。

この点、1950年の公選法制定時には「歩行が著しく困難」な場合を対象とする在宅投票制度が採用されていたが、多数の選挙違反があったことを理由として、1952年に廃止されてしまった。その後、在宅投票制度を廃止したことは憲法違反であるとする訴訟が提起されたことなどを契機として、1974年に公選法が改正され「選挙人で身体に重度の障害があるもの」は「その現在する場所において投票用紙に投票の記載をし、これを郵送する方法により行わせることができる」(法49条2項)とする在宅投票制度(郵便投票)が復活されるにいたった。

その一方で、復活後の在宅投票制度においては、1.重度の身体障害のある者のみが対象とされるとともに、2.自書による投票が要求される(公選法48条1項では「自ら当該選挙の公職の候補者の氏名を記載することができない選挙人」のための代理投票制度が存在していたものの、郵便投票における代理投票は認められていなかった)などの制約があった。前記2に関しては、筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患している原告が投票所に行くことも自書することもできないために投票できないことが憲法違反であると主張された事案において、東京地裁は原告が「選挙権を行使できるような投票制度が設けられていなかったこと」は「憲法15条1項、同条3項、14条1項及び44条ただし書に違反する状態であった」ことを認めたため3)、2003年の公選法改正によって郵便投票における代理記載が可能となった(法49条3項)。

その一方で、前記1に関して、不安神経症などの精神疾患のため外出できない原告が身体障害者等以外は郵便投票が認められないことが憲法違反であると主張した事案において、最高裁は、精神的原因による投票困難者は身体障害者福祉法等の場合と異なり既存の公的制度で投票所に行くことの困難性を証明する判定を受けていないことなどを理由として原告の請求を退けている4)

前記のような経過の中で常に問題とされたのは、在宅投票(郵便投票)などの措置を講じることが「選挙の公正」を害するものにならないかという問題であった。しかし、前述のように「選挙の公正」のために事実上「選挙権を否定する」ことは論理の逆転であって克服されるべきものである。その意味で、現在でも身体障害以外の障害を理由とする在宅投票(郵便投票)が認められていないことは憲法15条に反するものであると言わざるをえない。

3 広義の「政治参加の権利」の保障

国民の「政治参加の権利」(参政権)は「選挙権」にとどまるものではない。たとえば、公職選挙に立候補する「被選挙権」と、議員になった場合に議員活動を行う自由が障害のある人に保障されるべきであることは当然である。この点、発声障害のある市議会議員が市議会での発言の代読を拒否されたことが違法だと主張した事案に関して、名古屋高裁は市議会が代読を認めず代替手段も講じなかったために原告が「市議会での発言の権利、自由を侵害」されたことは違法であるとして、市の賠償責任を肯定している5)

また、広義の「政治参加の権利」(参政権)には、選挙運動を含めた政治的表現の自由が含まれると考えられる。従来から憲法学においては、公選法142条が文書・図画の頒布・掲示を制限していることは「表現の自由」(憲法21条)の侵害であると主張されてきたが、特に、言語障害のため発声による選挙運動ができない人にとっては文書の配布制限は選挙活動の方法を奪うこととなる。

実際に、言語障害のある人が選挙運動用文書を配布したことによって公選法違反の罪に問われた事案があり、公選法142条の規定を言語障害のある被告人に対して適用することの違憲性が主張されたものの、大阪高裁は「公選法が選挙の自由、公正の観点から文書図画の頒布に一定の制限を設けたことには合理的な理由がある」と判断して有罪判決を支持している6)。本件でも、「選挙の公正」のために、障害のある人の「選挙活動の自由」が奪われていることの是非が問題とされるべきであった。

最後に、2013年の公選法の改正によって、インターネット等による選挙運動が解禁されたことは、特に、移動に制約のある障害のある人の情報発信・情報収集にとって望ましい変化となることが期待される。ただし、広範な政治参加のためには、今回の法改正の対象となったインターネット等の情報を含め、官報、地方公共団体の広報誌、公立図書館の書籍・雑誌、新聞・テレビ等の情報メディアなどの全範囲にわたって、重度の身体障害、視覚障害、聴覚障害、知的障害のある人にも利用可能・理解可能なような情報保障措置が講じられることが必要不可欠な課題となる。

おわりに

障害者基本法28条は「国及び地方公共団体は…選挙、国民審査又は投票において、障害者が円滑に投票できるようにするため、投票所の施設又は設備の整備その他必要な施策を講じなければならない」と規定している。そのこと自体は重要であるが、従来のように成年被後見人の選挙権の否定(公選法11条)や「投票所自書投票主義」(公選法44条)を所与の前提として、「施設又は設備」のみを問題とするのは矮小化した理解であったといえよう。

これに対して、障害者権利条約第29条(a)は「障害者が、直接に、又は自由に選んだ代表者を通じて、他の者と平等に政治的及び公的活動に効果的かつ完全に参加することができること」を要求している7)。障害者権利条約の批准に向けて、障害のある人の「政治参加の権利」を実効的に確保する取り組みが求められている。

(うえきあつし 北九州市立大学法学部准教授)


【注】

1)障害のある人の「政治参加の権利」に関する文献として、井上英夫他編著『障害をもつ人々の社会参加と参政権』(法律文化社・2011年)がある。

2)今回の訴訟提起以前に、公選法11条1項1号の違憲性を指摘したものとして、竹中勲「成年被後見人の選挙権の制約の合憲性」同志社法学61巻2号135頁以下(2009年)がある。

3)東京地判2002年11月28日判例タイムス1114号93頁(ALS選挙権訴訟)。

4)最判2006年7月13日判例時報1946号41頁(精神疾患者選挙権訴訟)。

5)名古屋高判2012年5月11日判例時報2163号10頁(中津川代読拒否訴訟)。川崎和代「発声障害をもつ議員の発言保障」法律時報84巻11号65頁以下(2012年)など参照。

6)大阪高判1991年7月12日判例タイムス827号56頁(玉野訴訟)。

7)松井亮輔・川島聡編『概説障害者権利条約』(法律文化社・2010年)256-270頁(川崎和代執筆部分)参照。