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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年7月号

聴覚障害者の情報保障の課題

中橋道紀

参政権の行使を保障するために

日本国憲法の第15条にはすべての国民に参政権を有するとされています。私たち国民が自分たちの意思で選んだ候補者を議会に送ることが重要です。私たちはどの候補者が自分たちの代表としてふさわしいかを政見放送を聞き、選挙公報などを読んで判断し投票します。その一連の行為こそ政治参加といえます。しかし、聴覚障害者の場合、情報取得の前に大きな壁が立ちはだかっています。それは情報・コミュニケーションが保障されないという壁(バリア)です。聴覚障害者が参政権において必要とするコミュニケーション手段による情報保障がなされることこそ、聴覚障害者の切実な願いであります。

すべての政見放送に手話通訳を

テレビ政見放送が始まる以前、1967年1月の中野区立大和小学校で衆議院議員選挙の立会演説会に、日本で初めて手話通訳が付きました。日本国憲法が公布されて以来、候補者の政見には手話通訳が付かず、選挙公報を頼りにしていただけにこれは画期的な出来事でした。しかしその後、1983年に公職選挙法の改正により立会演説会は廃止され、テレビ政見放送となっても手話通訳の付かない状況が続きました。全日本ろうあ連盟が総力を上げて取り組む中で、ようやく1995年に参議院比例代表選挙政見放送に手話通訳が導入されたのです。

その後、福田内閣の増田総務大臣は、2008年7月1日の記者会見で「政見放送に手話通訳を付することができる選挙の対象を衆議院比例代表選挙にも拡大する」こと、その理由としては「これまでは高い技能を有した手話通訳士をどのように確保するかというのが課題であったが、ブロック単位で手話通訳士を確保できる目途が立ったということ、もう少し手話通訳士の養成が進むと参議院選挙区選挙、知事選挙も可能になりそこも拡大に向かうことになる」と発表しました。

手話通訳士の全国的な増加により、ブロックレベルから都道府県レベルに政見放送の手話通訳導入の拡大を認めた発言でした。そして、2011年より知事選挙の政見放送へ手話通訳導入が始まり、現在に至っています。参議院選挙区への導入が実現すれば、すべての政見放送に手話通訳が付与されます。

しかし、法制度の抱えている問題点を次のように指摘したいと思います。

一つ目は日本国憲法に基づき国が聴覚障害有権者への政見放送提供の役割を果たしておらず、「法の下の平等」が守られていない点です。

公職選挙法第150条(政見放送)では「公益のため、その政見を無料で放送する」と定めていますが、政見放送および経歴放送実施規定(総務省告示第545号)においては、政党から「手話通訳を付して政見を録画するよう申し込みがあったときは」手話通訳を付して録画すると規定し、政党の任意に委ねています。

これでは、聴覚障害有権者が候補者の政見を知る権利を国は政党に委ねており、国は政見放送提供の役割を放棄したことになります。

「公益のため」の国の事業が憲法14条で定められた「法の下の平等」を守らず、「公益」の中に聴覚障害者は含まれないとする「障害に基づく差別」であり、「障害を理由とする区別、排除または制限」をしており、障害者権利条約にも違反する規定になっています。国はすべての政見放送に国の責任で手話通訳を付けるべきです。

二つ目は、室内および街頭演説会にて手話通訳を行う手話通訳士は選挙運動員とみられ、本来あるべき姿「公正・中立」が損なわれている点です。

同法第197条の2(実費弁償及び報酬の額)では「選挙運動に従事する者」として「専ら手話通訳のために使用する者」が位置付けられていますが、音声言語を手話言語に仲介あるいは翻訳する手話通訳士を「選挙運動員」とみなすことは、「公正・中立」の倫理を守る手話通訳士が特定の候補者の代弁者とみなされ、誤解を生じることになります。私たちは、手話通訳士が持つ高度な技能や知見を尊く重んじた扱いを公職選挙法に求めています。

三つ目は、政見放送手話通訳に公務員の有資格者が活用されていない点です。

同法第136条の2(公務員等の地位利用による選挙運動の禁止)との関連で、公正・中立である手話通訳士が前記の「選挙運動員」とみなされることにより、政見放送では公務員の手話通訳士は政見放送を担うことはできません。手話通訳士には自治体や福祉・医療などで働く公務員も多く、「選挙運動員」の位置付けは手話通訳士の政見放送への参加を阻み、結果として、手話通訳付き政見放送の完全実施を遅らせる要因になっています。この点からも「選挙運動員」の位置付けは改正されるべきです。

すべての政見放送に手話通訳を付与する義務付けと手話通訳士は中立・公正な立場であることを求めて、全日本ろうあ連盟、全国手話通訳問題研究会、日本手話通訳士協会による3団体政見放送検討委員会を結成し、総務省との交渉を続けています。

政見放送を担う手話通訳士については、政見放送に見合う通訳技術の確保が必要となり、当然研修が欠かせません。しかし、この研修は日本手話通訳士協会が独自に研修会を開催し研修を積み重ねているのが現状です。手話通訳付き政見放送が知事選挙に拡大されたことにより、県レベルに対応した規模の研修の場が必要とされています。公職選挙法に規定された国の事業として、手話通訳士の研修も国の責任においてふさわしい規模と予算で実施される必要があります。

聴覚障害者が立候補者になる道のりは遠い

聴覚障害者が立候補し選挙活動が行えるよう、聴覚障害者の被選挙権の保障は極めて重要です。

さて、これまで聴覚障害者の候補者はいたでしょうか。過去に公職選挙法のため、選挙公約を国民に伝える権利が奪われたろうの候補者がいました。

1986年7月に起きた『無言の政見放送』問題、40代以上の方ならご存知の方も多いかと思います。参議院の東京選挙区で雑民党から立候補したろう者の渡辺完一さん(当時45歳)がラジオ放送で政見放送を行いました。彼は声を出して話すことができないので手話で話しました。声は出していますが、言葉にはなっていません。このような状態で4分15秒話したわけです。伝える権利が奪われるだけでなく、有権者の知る権利も奪ったことになります。「政見放送は候補者の政見をそのまま放送しなければならない」といった当時の公職選挙法の不備が世の中に露呈し、大きな問題になりました。

この放送がきっかけで、自治省(現総務省)に政見放送研究会が発足されることとなりました。この研究会は、翌年1987年に中間報告を出し「発声ができない候補者は事前に原稿を提出すれば放送者側が読み上げ録音したものを使用できる」と改正されました。発声ができない候補者は放送局のアナウンサーが代読する形になりました。しかし、残念ながら改正されてからこれまでの間、聴覚障害者の立候補者はまだ現れていません。

ネット選挙への対応

今回の公職選挙法改正により、ネット選挙が解禁されることになりました。パソコンを持つ若い者なら歓迎、パソコンを持たない中高年は歓迎しないと巷(ちまた)ではさまざまな見解があふれかえっています。ネット選挙に対する3団体政見放送検討委員会の見解はこれからですが、候補者のホームページにて低費用で手軽に宣伝できるようになったとはいえ、候補者がアクセス者に訴えかける動画に手話通訳および字幕を付ける規定があるわけではありません。私たちは、公費でネット選挙に手話通訳および字幕を導入するルール作りが必要であると考えます。

もう一つ危惧していることは、前進的な取り組みが進んでいる反面、私たちが積み重ねてきたものが一つ消えようとする動きがあっても不思議ではありません。たとえば、政見放送が始まった時、立会演説会を廃止したように。ネット選挙が広がればリアルタイムで候補者の公約をインターネット、ツィッター、フェイスブックで確認ができ、政見放送の役割が終わってしまいそうな気がしてなりません。しかし、インターネット社会の寄せる大きな流れを食い止めることはできません。

では私たちは何をすべきか、やはり先に述べたとおり、ネット選挙に手話通訳および字幕導入の法制定が喫緊の課題であると、全日本ろうあ連盟内で、3団体政見放送検討委員会においても議論しなければならない時期がきています。

(なかはしみちのり 全日本ろうあ連盟理事、情報・コミュニケーション委員会委員長)


【参考文献】

・西滝憲彦「すべての政見放送に手話通訳を」ノーマライゼーション 障害者の福祉、2009年1月号