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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年7月号

文学やアートにおける日本の文化史

呼び合う古代史
―加古里子と横田弘の共鳴する一面と―

花田春兆

最初からPRで、しかも重複になりそうだが、お許し願っておく。

丸善の『障害百科事典』(2013)の書評に絡ませて、こうも書いている。

「ここで、許されて実現したとして、日本からの発信に欠かせないものとして、まず挙げたいのが、太古から、切れ目なく一繋がりに伝わってきた、民族の歴史。加えれば、為政者側のそれとは別の、近隣同士、家族の延長波に互助しあう、庶民の福祉的な社会の、伝統的存在も汲み取れそうだ。

遡れば、葦舟で流し捨てられて、歴史の表から消えるヒルコを、拾いあげて福の神に育てた、漁民たちの恵比寿伝説。降っては、与太郎が普通の隣人として伸び伸びと包み込まれていた、江戸落語の長屋社会。

今の一般の人には、縁遠い話だろうが、こうした障害者主体の日本文化史は、仲間たちが、DVD『ゑびす曼陀羅』一巻に纏(まと)めてくれている。

さらに欲を出せば、お互い影響しあって、歴史を築いてきた中国・唐や、古代韓国など、近隣諸国にも、翼を拡げたくなる。…」

○ ○ ○

しかしここでも、一番ヶ瀬先生の日本福祉文化学会では、アジア諸国を歴訪、交流を促され、特に韓国では、『ゑびす曼陀羅』の上映会が実現されるなど、歴史重視の実績を示されていたのが、私への思わぬ厚遇に結び付いていたのも、生き甲斐のある人生にしてくれた…、などと思い出されてくる。

ダウン寸前の状態でも、楽しい想いに浸れた。それも一般広報誌とのご縁だったのだ。まさに幸運児(爺?)に違いない。などと、好い気分で綴り出していると、思いもかけない偉大な怪人物の存在が伝えられてきた。

古代アジア諸国の歴史の相互関係に詳しく、しかも障害・弱者にも、それとなく温かな視線を注がれている。

著述家で、なんと絵本作家でも有名だとか。祖国の歴史と、温かな視線を、未来を拓く子どもたちに、直接伝えられて居(お)られるというのだ。

春兆さんにも通じるものがありそうだから、と身近な友人が知らせてくれたのだが、驚いたのは俳句にも詳しくて、春兆のことも熟知されていて、筆にもされているとのこと。それも、高校時代の教師が、我が恩師・中村草田男だったとかで、草田男先生のお蔭で俳壇でも注目され始めた、若き日の春兆から記されているようなのだ。

スケールも知名度も、あちらが数等上。比較にも何にもなるまいが、まあ、同じような素材にとりつかれ、ごく若い日から同様に生涯を賭け、それなりの長寿を明るく、同時代・同時期を生き抜き、直接、接触する機会も有ったはずの、言わばご同様の同今までこちらだけがそれを、全く知らなかった不思議さ、迂闊さ。

もちろん“壮大な企画”には欠かせない大人物の出現。一刻も早くエールの交換だけでもしたくなる。

お名前は加古里子氏。サトコではなくサトシ、俳号好みの虚子・誓子のシという凝り方。一度で忘れられなくなる独自の捻りも入れて、だ。

○ ○ ○

この加古御大と、冒頭で触れたADA以前の当事者運動、青い芝のリーダーの一人、横田弘君が、見事に共鳴する一面を、共有しているのだ。

なんとも不思議なほど一致するその呼吸を、是非(ぜひ)紹介したくて、予告はしておいた。

壮大な企画で初のご対面も、企んだりしている。

だが例によって、体調とスピードダウンに加えて、他の急用も重なって、そのまま遅れ放題だったのを、ようやく本題に掛かれると思った矢先、とんでもないことが起きてしまった。

青天の霹靂(へきれき)。傘寿の祝賀を直前にした、当のご本人・横田君の訃報だった。

直前、それも数日前、元気を伝えられた本人の突然死。ショックだった。

間に合わなかったという落胆と、今書き残さねばという焦りに、今でも襲われがちなのだ。

私などより生粋の詩人で、純度の高い詩集も何冊か遺(のこ)され、運動論を展開する著作集も、豊かな情感に満ちている。だからこそ惹かれるのだ。

一方、家族愛に溢れた、根っからの家庭優先の人でもあった。生き抜いた原動力の原点も、ここに在ったと言えそうな気がする。

○ ○ ○

その横田君が、最期になってしまったが、近年、限定出版されていた詩集『まぼろしを』。携帯用の軽装だが、中身はずっしりと重い。それも、日本文学の誇る古典の数々から、その主人公たちを呼び出し、その想いに踏み込んで、代わって謳(うた)い上げるという、異色の野心的作品集なのだ。

おまけに、神話の世界まで登場するとあっては、ここはどうでも加古御大にお目通し願って、平成の古代史研究の、一大協奏曲を競演していただきたかったのだ。

もちろん里子先生の著書と、障害は無縁だろう。

だが、その絵本で人気の主人公たちは、達磨(だるま)は本人自身とも言えそうだし、大黒(だいこく)も山ン女(ば)も、周りに障害者の多い世界を持っている。

そんな共存社会の、アート面での再現を、社会的弱者に居直って、こちら側からの発信に徹しきって、鮮やかに描ききっている、見事な大先輩が江戸にはいたのだ。

下下も下下下下の下国の涼しさよ

と故郷信濃の貧しさを嘆き、

我が門に来そうにしたり配り餅

とその時代の社会保障、今でいう歳末助け合いの現物給付も、それを受ける側の生活の厳しさ、それとご同類に見られてしまう自分を寂(さみ)しみながらも、共存し助け合って、伸び伸びと生き抜いてゆく闊達な、自分たちで築き上げた江戸の庶民生活。

それを支えた町人社会の一員に溶け込んだ、信州からの離農流民の俳諧師・小林一茶、お馴染みの一茶だ。

俳句が出たのを幸いに、当面のお二人に捧げた句を、ご披露しておこう。

傘寿米寿共に祝はむ梅雨なれど
君逝きていよよ深まる梅雨の闇

もちろん横田君。八十を祝う彼の仲間が、僕を便乗させてくれたのだ。

闇。日本の現状の象徴、と拡げて取っていただいても結構。

誰にでも同じ親しさ朝の虹
曝す書も同じか同じ代を生きて

福祉と歴史の世界を、誰でも楽しめる絵本に絵解きして、親しませてくれる絵本作家。

土用干しする本も、私も似通っていそうな、加古御大のイメージ

そんな一茶の世界を絵にしたのが、『北斎漫画』ではないか…。

などと連想が連想を呼び、遂には、滝そのものが那智大社のご神体、とするような山岳信仰が、富士講など親睦の形で、浸透していた江戸の町へ飛び、お祓(はら)い・みそぎなどの縁で、仏教伝来以前の神話の世界への想い、にまで引き込まれていた。

ここまで拡がった話のタネの、種蒔き人は、文学壮年で、登山家の関 義男氏。でも、以前からのしののめ仲間の、関さんだ。しののめの特色、高い文学性の、守護神の一人だ。

おまけに、日本のルーツを訪ねて、中近東の山々にまで、足を伸ばされているのだ。

まさに、古代史で呼び合える第三の男、の登場なのだ。

もっとも、古代史で呼び合える仲間も、誕生期のしののめには多かった。

仲曽根久米男君は、神話の舞台日本古代史の専門家だったし、二日市安君は、自分のリードする翻訳グループを、クエビコと名付けている。現在、コンクールなどで流行しているという案山子(かかし)の、遠い元祖に当たるクエビコなのだ。

しかし、ただの案山子ではない。「足は行かねども、天が下のこと、ことごとく知れり」のクエビコなのだ。

歩き回らずに、入ってくる情報の収集に専念出来た、障害弱者のクエビコなのだ。

そんな身近な神々の世界を語り継いだのも、同じ弱者仲間の語り部だったのだ。

人々の 寄り合う炉べは
情報の 集まるところ
語り部の 足は行かねど
天が下 すべてを知れり

とここまで踏み込む人は、みんなではなかったにせよ、この時代の仲間たちは、弱者も一緒に溶け込ませて共存している、心豊かな遠い先祖を共有していた。お互いに呼び合える世界を持っていたのだ。

今はどうだろうか…。

(はなだしゅんちょう しののめ主宰、本誌編集委員)