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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年10月号

1000字提言

対立ではなく対話を

竹内哲哉

「あいにく、車いす対応の座席は終電まで満席でして…」。「終電まで?ホントに?」「はい、そうなります。2日前までにご予約いただかないと、対応いたしかねます」。これは、東北に出張した時、新幹線の窓口で何度もおこなった会話。

仕事がら、帰りの新幹線の時間が早くなったり、遅くなったりすることがある。早まる分には良いが(それでも、変更がきかないのはストレスが溜まるが…)、遅くなる場合には、時にはケンカをしながら、席を確保しなければならないので厄介だ。しかし、経験上、車いす対応座席が埋まっているのは、端末上の話で本当に満席というケースはほとんどない。端末では確認できないというだけの話だ。(実際には車掌が情報を持っており、問い合わせをすれば、空き状況は確認できる。ただし、1時間以上待たされることもざらだが…)窓口がそうしたことを知らなかったり、あるいは面倒くさがったりすると、対応として「空きはない。2日前までに予約を」ということになる。

対応に関しては、さまざまな問題はあるのだが、それ以上にそもそも「なぜ、2日前までに予約しなければならないのか」。車いすユーザーを安全に目的地まで送り届けるためにという企業側の言い分は分からないでもない。車いす対応座席を増やすことは、1席つぶさなければならないので、費用対効果の問題なども出てくるだろう。乗車は拒否されていないから、差別までには至らないかもしれない。でも、私としては大きな“壁”を感じる。

なぜ、こうした齟齬(そご)が出てきてしまうのか。それは、恐らく、私のように“飛び回る障害者”というのを想定していないということなのではないだろうか。飛び回らなくても、“障害者”=“動かない人(動けない人)”という固定概念があるためなのではないだろうか。

こうした概念を取り除けるかもしれないのが、3年後に施行される障害者差別解消法だ。この法律の大きな狙いの一つは“健常者”と“障害者”が触れ合うことだと法案作成者から聞いている。触れ合って初めて、おのおのが感じる“差別”=“壁”が分かる。

差別解消法は、ある意味、“折衷案”を模索していくためのツールと解釈するのが正しいのかもしれない。差別される側と差別する側という対立構造ではなく、時には私のような言い分が通らないこともあるかもしれないが、社会全体の利益につながる“対話”を行うための道が開ける法律になってほしいと切に願う。

(たけうちてつや NHKディレクター)