音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年10月号

1000字提言

なぜ研究か

熊谷晋一郎

研究とは、真なる知識を得ようとする実践である。では、知識が真であるか、偽であるかは、何によって決められるのだろうか。これについて、真理論という哲学的な議論の伝統の中で有力とされてきた4つの説を簡単に列挙する。

1.整合説(coherence)

すでに獲得された知識体系と、新しく獲得された知識を関連付け、新しい知識が知識体系と整合的な場合に、知識が真理であるとする説である(mechanistically coherent)。

2.対応説(correspondence)

知識と現実が一致ないし対応している知識が真理であるとする説である。

3.合意説(consensus)

知識以前にあらかじめ現実というものが存在しているという根拠はどこにもなく、実際は、複数の主観的知識の内容が一致することで、その知識が現実であるとみなされるにすぎないという考え方である。このことは、多数派とは異なる主観的経験の構造をもった少数派の知識が、真理条件を満たしにくくなる可能性を示唆する。当事者研究は、類似した経験構造の持ち主同士による民主的手続きによる新しい知識の構築が目指される。

4.有用説(costbenefit)

目標にかなった(theological coherence)実用的な知識を真理であるとする説である。有用な知識は、何度も利用され定着していくが、有用でない知識はすたれ、忘れられていく。

我々は、たとえ職業的な研究者でなくとも、この4つの条件を少しでも満たすように、自分自身の知識を保守・点検・更新し続けている。しかし時には、4つの条件から逸脱することもある。自分のもっている知識体系が整合性を失うと、我々はそれを修復しようとして、ぐるぐると思い悩みがちになるし、自分の知識が多数派の知識(カッコつきの“現実”とみなされるもの)とあまりにもかけ離れたものになれば、周囲から幻覚や妄想と呼ばれ、苦悩を強いられることになる。また、生きる目標と、これまでの経験に基づいた知識との間に大きなギャップがあると、期待水準(こうしたい、こうなりたい)と予測水準(こうなるだろう)がかい離し、フラストレーションをため込むことになる。

人間の苦悩を、4つの条件から逸脱した知識をもった状態、として解釈すれば、真なる知識を求める「研究」というアプローチが、苦悩からの回復を支援することも納得がいくだろう。私が、「当事者研究は学術的意義と回復的意義の両方を持っている」と考える根拠はそこにある。

(くまがやしんいちろう 小児科医、東京大学先端科学技術研究センター特任講師)