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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年2月号

現場から

自分らしい生活を求めて
―「当たり前」への挑戦―

小林正直

私が利用している障害者施策と介護保険制度の現状(2013年12月現在)を最初に記します。障害程度区分6、重度訪問介護を月590時間利用。介護保険要介護度5、訪問介護を月60時間程度、週2回の通所介護(デイサービス)、訪問リハを月2回、福祉機器のレンタル(簡易型電動車いすほか数点)。以上が主たる内容です。

私は遠位型ミオパチーの障害をもち、発症は30代で、徐々に歩行が困難になるなか、会社勤務を続けました。車いすの使用は60歳を過ぎてからです。それまでは障害者や障害者団体との交流は一切ありませんでした。

1997年60歳で退職してから情報を集め、進行する病気との付き合い方を考えることにしました。当時、介助はすべて妻でした。せめて外出介助だけでも他人にと考え、CIL立川を利用するようになりました。

CIL立川で全身性障害者制度を紹介され、月85時間の移動介助を受けながら、支援費制度や障害者自立支援法時代を過ごしてきました。

2001年7月には簡易型電動車いすを取得。2002年(65歳)12月から介護保険で通所介護、訪問リハ、月数時間の訪問介護の利用を始めました。

支援費制度は2005年9月で終わり、10月から障害者自立支援法が施行され、妻の介護負担減や社会参加増のため、支給時間増の要求を何度もしましたが、行政は内規の「サービス支給基準」を根拠に応じませんでした。

ところが2007年1月、在宅での全介助を担っていた妻が病に倒れ、全面的に生活の見直しが必要となり、CIL立川や市内の障害当事者団体等と一緒に、数か月にわたり介護保障のための行政交渉を行いました。次女は同居でしたが、会社勤務のため生活時間も異なり、介護が望めない状況でした。

介護保険法と障害者施策に関する厚生労働省通知、勘案事項などを説明し、同年4月から重度訪問介護が月395時間となりました。しかし、介護保険制度の訪問介護・通所介護を含め一日16時間程度の保障でした。夜間の8時間は介助がないまま、オムツからの尿漏れや、自力では痰出しがうまくできず、痰が枕・布団につくなど、不安で不衛生な毎日を過ごしました。

その後、何度となく障害者施策での上乗せを行政と話し合いました。しかし全く進展なく、2011年1月に東京都へ不服審査請求書を提出し、行政訴訟も見据え、12月から弁護士に相談しました。そして2012年4月に一日24時間介護を求め、月650時間の重度訪問介護給付費変更申請書を提出。そこから弁護士の詳細な理由書の作成・提出や、何回もの行政との話し合いの結果、2012年7月から月590時間(一日介護保険を含め22時間想定)の重度訪問介護の決定となりました。ようやく夜間の介護を受け、安心できる生活が送れるようになりました。

よく介護保険優先原則が取り上げられます。しかし、厚生労働省の通知により「サービス内容や機能から、介護保険サービスに相当するものがない障害福祉サービス固有のものと認められるものについては、当該障害福祉サービスに係る介護給付費等を支給する。」とあります。従って、介護保険による短時間の訪問介護と長時間の見守り支援が必要な重度訪問介護とは重ならないと考えられます。介護保険や障害者施策のいろいろなサービスを組み合わせて日常生活を送るべきです。

頭で考えるよりまず諦めずにトライすることが必要です!生活に合わなければ別の方法を探し出せばいいのではないでしょうか。

(こばやしまさなお)


*参照:藤岡毅・長岡健太郎著「障害者の介護保障訴訟とは何か!―支援を得て当たり前に生きるために」2013年12月発行、現代書館