音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年2月号

現場から

時間不自由者

堀沢繁治

◎昭和23年8月6日生。東京都品川区在住。零細アパート経営。都立光明養護学校43年度卒。立正大学哲学科(デカルト)47年度卒。家族無し(一人暮らし)。身障手帳1種1級。車イス者の生活を考える会「車生考」編集人。

障害者と言っても、その障害は一人も同じ障害の現れ方はない。その介助の仕方、あり方にも学問的な「平均値」や「最大公約数」は出せない。「十人十色」、「百人百様」である。

精神に日常生活を送るうえでさしたる支障のない精神的な能力を持つ、生まれつきかそれに近い時期発症の障害者、特に脳性マヒ者の“介助”は、介護保険で言う“介護”とは別のものであり、65歳になったからといって機械的に切り替えられては脳性マヒ者本人が困る。

現在、65歳以上の脳性マヒ者で自律を持って生活していて、介護保険のメインターゲットである認知症になっていない者は、その多くが自分、あるいは仲間たちで介助の仕方やあり方を探り、開発し、定着させてきた。いわば「介助を受けるプロ」である。そういう歴史的事実がある。その上に構築された介助体系である。国や地方自治体も概ねその方向性を否定することなく障害者福祉を進めてきた。

脳性マヒ者本人や日常生活を実際に支えている人々が、その実行者である国や都道府県、区市町村の役人たちと激烈な交渉を重ねて、今日の介助を勝ち取ったのである。

そうした交渉が今日も日本の各地で繰り広げられている。そのこと自体は国などの実行体が示す施策の質、量が到底満足しがたいものであることを露呈しているのだが。

そうした交渉や会合自体が趣味活動、あるいは「仕事」と心得て、各地を駆け回っている脳性マヒ者も多いし、僕のように、ミニカー、書籍、DVD、CD収集、発掘、各種鑑賞、旅行、芸能人の「追っかけ」など、各地を飛び回る趣味を持つ脳性マヒ者も多い。

こういう生活にはきっちり決められた予定表が役立たない。交渉事は、相手の予定や都合とのすり合わせの末に、土壇場になって予定が決まることも多い。突然の呼び出しに家を飛び出すこともあれば、所用の途中で招集が掛かり、その場から、予定を変更して直行することもある。「重度化対応」と並んで障害者福祉施策の障害者支援の二本柱として「移動支援」に十分な余裕を持たせている理由は、これだ。「十分」とは言えなかったけれども、介護保険に移ってその配慮の無さを改めて実感した。

先に供給量ありき、上意下達の介護保険の“介護”とは訳が違う。

高齢者の十中八九は、職業はいろいろであっても社会的生産活動に携わって生きてきて歳を重ねてたまたま介護を要するような身体、あるいは精神の状況になっているので、示されたメニューに収まるし、提示されなければ、きっとどういう生き方の選択をしたら自分にとって有益かさえ、分かるまい。

医学的に同じ障害種類、同じ程度の判定が下されても、当人が幸福と感じられるように介助することは、一定の枠を作り、一定のメニューを提示し、実行すればある程度の効果が現れる「高齢者介護」とはまるで違う。障害者介助は当人の経験則が基本である。

高齢者に対する介護の基本姿勢は家族に代わる「在宅介護」で、病院の通院やデイサービスへの送迎を除けば、わが家の中での介護である。

親の代から世話になっている訪問看護師の“Hちゃん”と「生涯の親友」になり、今も家族ぐるみの付き合いが続いている。担当ナースをちゃん付けで呼び、常に相互にため口で会話し、罵声を浴びせ合っている。こんな関係も、障害者では割とある話だが、高齢者では皆無に近い。

身体的に重度の脳性マヒ者は、個人的な趣味や福祉的な諸要求を実現する活動を中心とした生活をしてきている。明日、どこに掘り出し物が現れるか、どこの会合に招集されるか分からないという生活振りだ。その生活を障害者支援施策は支えている。それが、現在の障害者福祉による生活支援なのである。移動の介助と時間制約のゆるさが障害者支援施策では重要視され、少し単価が高くなっている。

障害をもちながら生きてきたという経験を全く持たずに、高齢になってから生活に支障が出て、初めて介護支援を受ける、しかも認知症罹患高齢者の場合とは根本的に違う。

介護保険の基本的な考え方は、重度脳性マヒ者の生活振りの全面否定であり、不自由な体という大きな制約をぶち破りながら生き甲斐(がい)を自ら見いだしてきた重度の脳性マヒ者の人格の全面否定にほかならない。

(ほりさわしげはる)