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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年2月号

列島縦断ネットワーキング【京都】

「一麦寮 色とかたち―素材がうたう―」展
―寮生の美術表現の輝きと、こころの群像が教えてくれること―

村田利裕

はじめに

社会福祉法人大木会一麦(旧名一麦寮)の寮生の方々の美術作品展「一麦寮 色とかたち―素材がうたう―」を開催しました。京都教育大学の主催者プロジェクト(注1)は、絵画・粘土・テキスタイル・紙の造形など、寮生それぞれの表現や心の世界に触れていただきたく、計画の当初から一麦様の全面的なご協力をいただいて準備しました。

美術作品展は、2013年10月1日(火)~31日(木)に、学内の新附属図書館の展示会場である企画展示室・オープンスペースで開催しました。コーディネーターの村田は、大学で開催する限り、一般の美術館等の展覧会でなく、ストレートに人に迫る展覧会を開催したいものだと思っていました。美術界や社会は、天才登場の報道等で創作者を別世界の人として祭り上げなければ始まらないところがあります。この作品展は、施設の現場に生起する作品と雰囲気をできるだけそのままに見ていただけないものかと考えていました。

また、美術作品展は、どなたでも見ていただけるようにしましたが、2013年の全国大会である大学美術教育学会京都大会の併設行事と位置づけ、美術・美術教育分野と障害児・者教育分野の人たちの接点をつくろうとしました。作品や雰囲気をそのままのかたちで、できるだけ多くの方に繋(つな)いでいくこと、これらがこの作品展の背景にある考え方でした。

一麦の作品群は、万博公園の太陽の塔で著名な岡本太郎(1911―1996)氏も高く評価し、陶芸家八木一夫(1918―1979)氏も関わってこられた作品群でもあります。一麦寮という寮名時代から、粘土の造形は極めて著名です(注2)。今回は、これらの造形のほかに、絵画やテキスタイルを大きく取り上げた作品展にしたいとも考えました。絵画58点、粘土の作品100点、切り絵17点、布や糸の造形作品42点、総数217点を展示しました(上部写真)。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で上部写真はウェブには掲載しておりません。

寮生の表現と生活の中の精神的過程

寮生の方々は、日常的な生活や活動の傍ら、限りある自由時間を使って造形、体育、音楽などの諸活動にも強い関心をもって取り組んでこられました。創作という産み出す活動は、厳しい道のりも伴います。ある方は、誰からも命じられていないのに、思いの作品を作り上げる活動に没頭し、涙ながらに努力し完成されました。ある方は、感謝の意味が濃厚であると思われますが、職員の方に作品をプレゼントすることを続けておられます。

その作品の色やかたちは、光のような輝きに変わり、私たちの目の前に現れてくるようでもあります。過去の展覧会でご覧になった人はこの作品群を「衝撃」とか、「エネルギー」、「安らぎの時」などの言葉で表現されましたが、今回の作品展をご覧になられた方は、どのような言葉で表現していただけるでしょうか。

寮の理念と実践

初代の寮長時代から、寮生の自発的・主体的な思いとまっすぐに向き合うにはどうしたらよいかと意識的に努力を重ねてこられました。「ひと」の根本的なあり方を見つめた実践は、現在も引き継がれ発展されようとしています。一方、間近に実践を拝見すると、寮生との「相互の関わり」という日々の根源的な関係の積み上げを教育実践の真の喜びにしてこられたようにみえます。

一麦は、1961(昭和36)年に「一麦寮」の名称で、年長知的障害児の施設として滋賀県大津市にスタートしました。1970(昭和45)年に現在の石部に移転し、2011年に50周年を迎えられました。初代寮長は、わが国の障害児(者)教育の先駆者の一人である田村一二氏(画家)で、氏は近江学園や一麦寮の創設に関わりました。氏や氏を慕う方々の実践は、「生産的な粘土や布の活動」から「自由な造形活動」へと向かいます。職業訓練のみに制限された活動ではなく、一人ひとりの創意や遊び心がでるような「ひと」を生かす場づくりを希求して進んで来られたと思います。そこから産み出された作品がこの作品展の最大の見どころと考えています。

寮生の多様な作品

まず、絵画の作品は、角材で組んだ木枠に布(シーツ)を画鋲(がびょう)ではったキャンバスに、染料で描かれた作品です。作品は端正な形態の作品、かたちの研究というべきさまざまな線で構成された作品等、それぞれの方のアプローチが生かされています。総じて言うと、線や色の際立ちがわれわれに届けられるようで、作品の前で輝くような光の世界に充たされます。

粘土の立体作品では、馬に人物がたくさん乗った作品や、鳥が人物に集まってきている作品、粘土の純粋構成ともいえる作品などがあります。また、壺の形状に、さまざまな形態を貼り付けたり、型押しがなされている作品があります。顔のマスクを作った寮生の作品では、近くに寄ると、目も人物の顔になっていること(ダブルイメージ)に気づきます。さらに、岡本太郎の太陽の塔を見学に行ってそれに感銘を受けて作った作品もあります。この作品は東京展で岡本太郎が偶然これを見て、「この度は、寮生の方が私の作品を真似してくれたかもしれないが、次回は、私が真似をする」と驚嘆して買って行かれたという逸話があります。

糸や布、切り絵の作品では、ある寮生さんの作品の糸は、際立つ色彩の自由世界に到達しようとしています。糸は、工芸的な実用世界から、絵画の絵の具のように、糸は創作の世界へ解き放たれようとします。また、矩形のタオルに糸を刺して引っ張っていくと楕円になることを発見された作品もあります。材料をコラージュして、職員にプレゼントしてくれている寮生もいます。この方は切り絵も継続しておられます。

鑑賞者の受け止めと作品展の反響について

「この展示室に入った時の驚きは大きいものであった」とは、ある学生さんの感想文の冒頭です。寄せられた感想の多くに、同様の衝撃力と「独特の光を放っている」という印象の指摘がありました。

ある美術専攻の学生さんは、二つのポイントを指摘します。一つ目は、「非常にのびのびとするような感覚を覚える」とし、これまでの自分の学びが自分の意志と欲求で描いていると思っていたが、実は課題や授業によって、いつのまにか描かされているようになっていたのではないかと指摘します。そして、「そういった義務感のようなもの、強制されたようなものは感じることがなかったため」と自己の気付きを述べておられます。

二つ目は、「作品展を見ている人が楽しんでいること」とします。「作品展を見ている中で、「この顔みたいなものが面白い」「かわいい」「雑貨のデザインだったらほしい」というように、見ている人たちのほとんどは、その作品を作った人や作品の作られた背景を抜きにして、作品における色の組み合わせや形の面白さに着目していたように思う」と作品展を振り返ります。

作品展は、どうしても始めと終わりのある行為です。何度も開催されないと、それぞれの現場の思いは、伝えられないか忘れ去られ、作品の存在だけでなく心の存在も無いものとして議論されてしまいます。列島を縦断する美術展キャラバンやリレー美術展があっても良いのではないでしょうか。私は、継続的に展覧会等の活動を進めていく必要があるのではないかと考えます。

なお、来場者は芳名録記帳者だけで635人でした。ご報告して、一麦様はじめ関係者の方々への御礼に代えたく思います。

(むらたとしひろ 京都教育大学美術科教育教授)


(注1)京都教育大学美術科、京都教育大学発達障害学科、京都教育大学学びの森ミュージアム、京都教育大学特別支援教育臨床実践センター、大学美術教育学会・教大協美術部門京都大会実行委員会

(注2)吉永太市(2005)「一麦寮にみる土(粘土)と教育」(竹内博、春日明夫、長町充家、村田利裕編『アート教育を学ぶ人のために』世界思想社)、pp.52-64