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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年6月号

1000字提言

防災は盲ろう者に学べ:ズレよう

福田暁子

私が、安心して、安全な暮らしを安定して送れるような社会になった暁(あかつき)には、多くの社会福祉関係者は失業し、この雑誌も廃刊のときを迎えるのだろうと思います。ようやく、何がノーマルなんだか分からないという共通認識が受け入れられる世界になると思われるからです。

本来、人間というものに標準というものはなくて、「普通の人」を見かけたらぜひ紹介いただきたいくらいです。

まだ、今まで一度も「普通の人」という生物には会ったことがありません。「自分は普通だ」と思っている普通じゃない人は結構いますが、私はこれまで、たくさんの人に会ってきたと自分なりには思っているけれども、みなさんそれぞれどこか「ズレ」ていらっしゃいます。でも、この「ズレ」こそが、人間社会のキーワードであり、強みにも弱みにもなるのではないでしょうか。かくいう私も大いに「ズレ」ている自信があります。

「みんなちがってみんないい」じゃなく、「みんなちがってそれがいい」のです。

先日、仙台で災害リスク軽減についての国際会議が行われました。アジア太平洋の13の国から障害者や政府関係者が集まっていました。障害者に関する会議でよくあるパターンは「障害があっても住みやすい地域づくりをしよう」とか、「障害者など社会的弱者を守れる制度づくりをしよう」などですが、今回の会議は、「災害弱者は防災の担い手になる」というメッセージが込められていたので、割と画期的!と小躍りして参加しました。

なぜならば、盲ろう者は「予期しない出来事」のエキスパートであり、また、「喪失と再生」のエキスパートでもあります。私もまさか、全く見えなくて全く聞こえなくて、ほとんど動けなくなるとは思ってもみませんでした。ほとんどすべてのものを失って、一度はこのまま消えるのかなと思ったこともあります。ところが、新しいコミュニケーション方法を覚え、前から知っている人も含めて、改めて新しいつながりを少しずつつむぎ直し、今に至っております。

災害も、予期せぬ事態、また、喪失と再生(復興)の過程であります。今日に至るまでたくさんの人の手に触れてきました。一日として人と触れない日はありません。そう思うと、日常でも災害時でも、人と人のつながりが、命のつながりになる、やっぱり、最後は人の命を救うのは人なんだと改めて思います。

どんなに壊れても、ひとりひとりの「ズレ」がうまくひっかかって、パワーが発揮される社会になればいいなと思います。


【プロフィール】

ふくだあきこ。1977年生まれ。全盲ろうをはじめとする重度重複障害。現在は、いくつかのバイトをかけもちしながら東京都内で一人暮らしをしている。