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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年8月号

選手・関係者からの声

2020年東京
~パラリンピックに思うこと~

及川晋平

私はバスケが大好きな普通の高校生でした。障害のある方との接点もなく、街で出会うと思わず目を背けたくなってしまうような子どもでした。16歳で骨肉腫となり、長い闘病の末に片足を切断して社会に戻った私は、自分で自分を受け入れられずに苦しんでいました。障害があることを「無意識に」ネガティブにしか捉えていなかった自分が「障害者」に。病気の恐怖とともに、何かにとらわれていた自分がいました。

そんな時、自分に自信を持ちたいと、アメリカ留学を決意します。必死に勉強し、アメリカで車椅子バスケの全米ナンバー1チームに入り、アトランタパラリンピックでは日本選手団付きボランティアも経験しました。その後、シドニーパラリンピックには選手として出場、観客として北京へ、アシスタントコーチとしてロンドンも経験させていただきました。そして今、リオデジャネイロパラリンピックを目指して、車椅子バスケットボール男子日本代表チームヘッドコーチをさせていただいています。

ロンドンの街で見かけた「Meet the Super Humans! 超人に会おう!」そう書かれたポスター、流れる映像に心が揺さぶられました。心の底から「こいつら、すごすぎる!!!」という思いが湧き上がってきました。このようなポスターは、ある意味で「絵になる」選手だけを「カッコ良く」使うことが多いような感覚がありましたが、ロンドンは違いました。かつての自分であれば目を背けていたかもしれない厳しいリアリティをぶつけながらも、それでもかっこいい、と思わせるような力強さ。圧倒されました。

こんな光景を、16歳の自分が知っていたら。足を失っても、「本気」でぶつかり合い、限界に挑戦できる世界があると分かっていたら。パラリンピックは、人間が持つ可能性をまざまざと見せつけてくれる場であり、固定概念をぶち破るほどの力を持った場であると、さまざまな立場からいくつかのパラリンピックを経験した私は、強く思っています。

2020年東京。

多くの方々にとって、「2020年が自分の人生を変えた」と言ってもらえるものになるように。私自身、どのような立場でそこにいるか分かりませんが、まずはリオ出場をもぎ取り、その先の未来へとつなげていけるよう、全力を尽くします!

(おいかわしんぺい 車椅子バスケットボール男子日本代表ヘッドコーチ)