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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年9月号

時代を読む59

創立50周年を迎えた日本障害者リハビリテーション協会の草創期

現在、さまざまな活動を活発に行なっている日本障害者リハビリテーション協会(以下、リハ協)が創立されて50周年を迎えました。リハ協は数回その名称を変更しましたが、その理由は、リハビリテーションを代表する国際的な機関である「リハビリテーション・インターナショナル(以下、RI)」の加盟団体であり、国際機関の組織・名称の変更に伴うものでした。

RIは1922年に米国において「国際肢体不自由児協会」として設立され、その後、成人も含めさまざまな障害を対象として発展するに伴い、「国際肢体不自由者福祉協会」(1939年)、「国際障害者リハビリテーション協会」(1960年)、「RI」(1972年)へと名称が変遷しました。

わが国では、1948(昭和23)年に日本肢体不自由児協会(以下、日肢協)が設立され、1958(昭和33)年には国際協会に加盟するために「国際肢体不自由者福祉協会日本国委員会」が発足し、同委員会会長に高木憲次先生(整肢療護園園長)、事務局長に小池文英先生(同副園長)が就任されました。整肢療護園は国立民営であり、日肢協がその運営団体ですが、リハ協は日肢協を母胎として生まれたのでした。

リハビリテーションの導入が大きな課題であった1960年代に、国際会議の開催が要請され、その主催団体となるために同委員会を発展させて「財団法人日本肢体不自由者リハビリテーション協会」が1964(昭和39)年に創立されました。1965(昭和40)年に「第3回汎太平洋リハビリテーション会議」が東京で開催され、同会議から、わが国は多くのことを学びました。これらがリハ協発足の経緯であり、その後「日本障害者リハビリテーション協会」に改称されました。

当時、わが国はリハビリテーションの草創期であり、財政的にも非常に厳しく、リハ協は日肢協の事務所に机一つと英文タイプライター1台を置かせていただき、事務局長は小池文英先生、事務局員に支払う財源もないため週2日のパートとして奥野が従事しました。国際協会への加盟団体分担金が国連の分担金比率によって設定されていたため高額であり、小池先生はそのために随分苦労をされていました。

リハ協は、わが国にリハビリテーションを導入するために、海外からの情報を収集し、それらを翻訳して「国際リハビリテーションニュース」「リハビリテーション研究」などの定期刊行物として発行し、国際会議への参加者の派遣などを行なってきました。

その後、リハ協は職員数も多くなり、事業は大きく発展し、月刊誌「ノーマライゼーション」の発行、総合リハビリテーション研究大会の開催など、わが国における障害者福祉とリハビリテーションの発展、アジア諸国に対する支援に大きな貢献をしてきました。

(奥野英子(おくのえいこ) 日本リハビリテーション連携科学学会前理事長)