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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年9月号

列島縦断ネットワーキング【京都】

こだわりの手作りアイスクリームは、おいしい!
~第2ふくちやま作業所の取り組み

桑原香代子

ふくちやま福祉会は1980年3月、養護学校を卒業した後の行き先を作りたいという願いのもと、無認可の福知山共同作業所として生まれました。その後1992年8月には社会福祉法人の設立、1993年にふくちやま作業所が開設、そして2006年9月、第2ふくちやま作業所は、市街地より遠く離れた旧天津小学校跡地に、知的障害者通所授産施設として誕生しました。

開設当初は2人の利用者(以下、仲間という)が弁当の配食サービスを、10人の仲間が施設外就労として、福知山市から委託されたプラゴミの分別作業を福知山市のリサイクルプラザで行なっていました。

この第2ふくちやま作業所を有効活用して、従来、ふくちやま作業所で400円だった仲間の日給から、より多くの収入を目指せる仕事作りをと、ふくちやま作業所より公共交通機関を使って、自力で通所できる力のある仲間10人が異動してきました。そして、法人全体で仕事作りを模索していた中、一人の若い職員が休日を利用し、京都府丹後地方にある有名なジェラート工房に何度も足を運び、「アイスクリームならその場で食べてなくなる。残るものよりも絶対にいい。おいしいアイスクリームを作れば絶対に売れる!」と確信を持ち、提案したのが始まりでした。

その考えに法人も賛同し、仲間の新しい仕事として2013年2月、アイスクリーム作りはスタートしました。

まず、施設の職員全員で、前段のジェラート工房にうかがい、起業者である女性からアイスクリーム作りにかける熱い思いを聞かせていただきました。そして、「私にできるのだからあなたたちも必ずできる。頑張ってください」と力強く励まされ、改めて、この仕事を仲間と共にやっていくのだと気を引き締めたことを今でも鮮明に覚えています。

次に、アイスクリームを製造する機械の選定にかかりました。府外でアイスクリーム作りをされている社会福祉法人から情報を提供していただくなどした結果、2社のメーカーにしぼられました。4月末、2社の東京ショールームにて、製造方法、洗浄方法など説明を受けること7時間、アイスクリームの試食は実に十数個にもおよび、お腹をこわす職員もでてきました。今思い出しても本当に強行スケジュールで、後にも先にもあんなにきつい視察はありませんでした。

それはさておき、1社目のメーカーは大手で関西にも支店を持ち、購入後も力になってくれるだろうと思いました。ただ機械が大きすぎて、一度に大量のアイスクリームを作らなくてはなりません。そんな大量のアイスクリームを作って、果たして作業所で売っていけるのか見通しが持てません。たとえて言うなら、単車のエンジンで大型車を動かすようなものです。もちろん価格も非常に高額でした。

2社目のショールームは東京下町にこぢんまりとありました。機械もコンパクトで、しかも使い勝手のよいものです。作業所で使うならこれしかないと感じました。またたとえると、単車のエンジンで単車を動かす感じです。機械は申し分なかったのですが、長野に本社と東京にショールーム。メーカーとの距離がハードルとなりました。

悩んだ結果(紆余曲折はありましたが)、後者のメーカーの機械を購入することになりました。機械の選定から予算編成、契約など時間はどんどん過ぎて行き、おまけにイタリアの機械ということで納期も遅れ、結局、機械が作業所にやって来たのは6月も末、梅雨も明けそうな暑い日でした。「アイスクリームが売れる夏が終わってしまう…」一同大変焦りました。

すぐに派遣されたインストラクターのもと2日間みっちり指導を受け、何とか2人の職員で機械を動かし、アイスクリームを製造できるようになりました。

作業所で作っていけるけれど、一般の商品と肩をならべて勝負できるものをと、府の助成事業を利用し、綾部市在住のデザイナーの方にご指導いただき「収穫のアイス」として販売することが決まりました。それまで、いろいろな材料(チョコ、グレープフルーツ等)を使って試作を繰り返していたのですが、「収穫のアイス」なのだから、この地域で穫れたものを使って作ろう、という方針が決まりました。

それから、材料の確保に奔走する日々が始まりました。ミルクは地元福知山には牧場がなく、丹後のおいしいと評判の牛乳を仕入れることができるようになりました。また福知山はお茶の産地なので、福知山産の抹茶を探したのですが、福知山産の茶葉が京都の宇治にいって宇治抹茶になるということで、農協の茶業センターにお願いして、その抹茶を取り寄せてもらうことになりました。

まずは、ミルクと抹茶の2種類に絞って販売することになり、ふくちやま福祉会が毎年、8月の末に地元の人たちと共に開催する「ふれあいまつり」で発売することが決定しました。

しかし、8月15日の福知山花火大会の事故によりさまざまな催しの自粛が広まり、「ふれあいまつり」も御多分に洩れず中止となりました。店舗を持たない私たちにとって、それは大変大きな打撃でした。販売する場所を必死で探していたところ、地元の方のご好意により、9月29日やくの高原市での「新米まつり」で、ようやく初めて一般のお客様に販売することができたのです。その日の感動は一生忘れないと思います。

その間も商品開発は進み、地元の栗を練り込んだ栗アイス、仲間や地域の方が作ったさつまいもを焼きいもにして混ぜ込んださつまいもアイス、福知山の桃農家さんといちご農家さんのご協力により、ももアイスといちごアイスが完成しました。その中でも、栗と桃はアイスクリームに入れると味が出にくく、他の職員から「全然味がしない!」と言われ続け、何度もくじけそうになりながらも、ようやく自他ともに納得できる商品ができたのですが、今ではその2種類のアイスクリームが看板商品となっています。

次の課題としては、仲間がいかに製造に関われるかということでした。その年の秋より、栗をゆがいて中身を取り出す作業、熱々の焼いもの皮をむく作業など、アイスクリームに入れるペースト作りには大活躍できていたのですが、アイスクリームの製造にあたっては、ただ一つの菌も持ち込めず、畑仕事が中心の仲間たちには大変難しい課題となってしまいました。何度も担当者で会議をして検討を繰り返しましたが、現在、毎日製造していないアイスクリーム製造のほかに、畑以外の作業が確保できず、いまだ製造室に入ってのアイスクリーム作りに参加できていない状況です。一日も早く仲間と一緒に製造室に入って作業ができるよう考えていきたいと思います。

アイスクリーム製造室はそれまで、地元のうどん屋さんで使う牛すじ肉の加工処理をしていました、一人の仲間は、その仕事を自分の仕事として毎日カレンダーに「肉切り」と書くほど、一生懸命取り組んでいました。アイスクリーム製造が決まり、その仕事をなくしてしまうことは、私たち職員にとっても身を切られるような思いでした。ベテランの職員が「アイスクリームを作って、たくさん売って儲けてお給料を上げよう」と丁寧に説明しましたが、彼らには理解が少し難しく、それでも「絶対、アイスクリームで成功して、仲間にもアイスクリームでよかったと思ってもらえるようになろう」と強く心に誓いました。

今「肉切り」の彼は暑い中、畑でアイスクリームに入れるさつまいもやピーナツを育てています。そして、販売に行くと必ず「ジェラート買う。食べる」と言い、ももやいちごのアイスを食べます。今日も「新商品の夏みかんのシャーベットがあるよ」と言うと「それ食べる」と、とてもはりきって仕事をしています。あの時つらい思いをさせてしまったけれど、おいしそうにアイスクリームをほおばる彼の姿を見ると、この仕事を選んだことは、仲間にとっても職員にとっても間違いではなかったのだと実感させられます。そして、念願だった工賃アップもこの8月より実現し、仲間たちも自分たちの仕事として自覚できるようになってきました。

これからまた寒い冬を迎えます。去年の経験と新しい挑戦。もっと大勢の人に「収穫のアイス」を知ってもらえるように、まだまだたくさんの課題はありますが、この仕事を楽しく、そして時には仲間に教えられながら、前を向いてやっていければと思っています。

(くわはらかよこ 社会福祉法人ふくちやま福祉会第2ふくちやま作業所)