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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年10月号

ワールドナウ

ミャンマーの知的障害のある人とその家族の現状とJICAボランティアとしての支援

袖山啓子

メコン川流域の知的障害当事者と家族との関わり

社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会(当時)は、第2次アジア太平洋障害者の十年の後半5年に、知的障害者とその家族に焦点が当てられたことを受けて、APCD(アジア太平洋障害者センター)と協力機関協定を結び、メコン川流域における活動協力を行なってきた。2010年2月には、短期専門家として日本から知的障害者とその家族(筆者)がAPCDチームとともに、ミャンマーの特別支援学校(政府運営の唯一の知的障害を対象とする学校)でのワークショップに参加し、この時、ミャンマー初となる本人活動グループ「ユニティー」が設立された。

ボランティア要請の経緯

前述の特別支援学校から、JICAに対して、2013年12月2日から2014年7月31日の期間で、1.本人活動と保護者会への支援、2.教育活動に対するアイデアの提供、3.地域における障害認識向上のためのアイデアの提供と助言、4.生徒、保護者、教師に対して収入を得るための活動助言、といった要請がなされた。

ミャンマーでは知的障害者の通える施設はなく、雇用も実現を見ていない。そのため18歳を過ぎた者は、状況が許せば、引き続き同校に通うことを選択している。車を所有し、保護者または運転手による送迎か、カーフェリー(トラックの荷台の部分を改造し、生徒がほぼ満載状態で乗車する)の費用を負担しての通学となるが、ヤンゴンの交通事情では、片道1時間半以上かかる人も多く、冷房のない蒸し暑く混雑したカーフェリーで長時間過ごせることも条件の一つとなる。

2010年のワークショップ開催後、学校内でコーヒーショップを展開し、ビーズ飾りやTシャツ作成などを行なってきたが、社会福祉・救済・復興省の敷地内での活動にとどまっており、ボランティア要請へとつながった。

着任後の現状把握と活動計画

派遣先の特別支援学校は1971年創立と歴史はあるが、ミャンマーには特別支援教育教員養成課程がなく、教員採用試験も実施されておらず、教師は高校卒業後、最初は補助教師として着任し、社会福祉局の実施する数週間から3か月程度の研修を受講し、経験を積んでいく。

在籍生徒数は218人(2013年12月現在)で8クラス編成、教師と補助教師各一人が1クラス約30人の生徒を担当していた。

活動計画の策定をするために、校長先生からの聞き取り、学校全体の観察、全教師とのミーティングを行なった。ヒアリング調査から、218人の生徒のうち48人が18歳以上であることが判明した。

要請1の本人活動と保護者会は活動中止中であると、校長先生から聞かされた時には驚いたが、実情に即した活動を構築すべく、18歳以上を対象に活動を行うことになった。生徒25人で新たなクラスを編成し、カウンターパート(ミャンマー側の担当者)の教師とSV(シニア・ボランティア)がチーム・ティーチングで対応した。

活動目標は個別のプログラムの提供とし、具体的には、(1)情報収集、(2)IEP(個別の教育計画)作成とその利用の促進、(3)社会の障害認識向上、(4)II(インクルージョン・インターナショナル/国際育成会連盟)のグローバル・キャンペーンへの取り組み、(5)会社見学と障害者雇用情報獲得とした。

具体的な活動内容と課題

学校ではIEPの様式が整備されておらず、ごく一部で独自に計画を作成しているにとどまっていた。当事者や保護者からの聞き取り等も行われていなかったので、SVが「自己紹介シート」と「週間スケジュールシート」(*1)を作成し、ミャンマー語版をカウンターパートが準備、クラスで生徒と記入することからはじめ、放課後には保護者を学校に呼んでIEPミーティングを実施した。当事者の声や家族の願いが聞かれるのは初めてのことで、多くの保護者が30分の時間を超過して話をしてくれたことが印象に残った。

IEP様式については、暫定版作成までこぎつけ、2014年6月に、2校目として開校したマンダレーの学校でも使えるようになったことは喜ばしい。ただ本来の意味での個別の計画になっているかどうか、課題も多い。

保護者や生徒の願いの中から、パイロット・グループホーム・プロジェクト(制度も経験もないため、日本で言う宿泊学習+自立生活体験的な活動)を男女別に実施したところ、新たなクラスに所属しない生徒の保護者から要望が出て、さらにもう一回男女混合で実施することになり、買い物や調理に取り組み楽しい時を過ごした。生徒はもちろん、保護者からも評価を受け、学校としても継続的に取り組んでいきたいという意向が示された。

収入を得るための支援については、わが国で障害者雇用を実施し、ミャンマーに進出している企業に事前に問い合わせをしたが、事情により話が先に進まなかった。そこで、ミャンマー赴任後、機会あるごとに知的障害者の雇用の機会を探していると伝えた。また並行して、会社見学等を行う際に必要となる社会福祉局からの見学等の許可を得る手続きを行い、12月23日にはその許可を得た。

その後、企業から生徒実習などの受け入れが可能とのお話があり、校長先生、JICA職員とSVで会社見学を行なった後、校内でワークショップ「就労の機会を求めて」を実施した。また、別の企業からも雇用について検討できる用意があるといわれた。しかし、先述のとおり交通事情が悪いこと、教師の絶対数不足と障害者雇用に対する理解不足、人材(ジョブコーチなど)の欠如、現状では学校に通えるため保護者も次のステップへ送りだす勇気が持てないこと、また、ほとんどの生徒の自宅に住み込みのメイドが複数名いて家事や子どもたちの世話を引き受けているため、切羽詰まった状況にはないことなどの理由により、せっかくの機会を生かすことができなかった。

障害認識の向上に関しては、まずはヤンゴン外国語大学の日本人留学生の協力を得て、夏休み一日プログラムを実施した。このプログラムの評判がとても良く、続いて同大学のミャンマー人大学生にもボランティアを依頼し、また継続性を確保するため企業からの助成金を得るだけでなく、この助成金申請の経緯で同企業グループ全体に学校の活動について周知が行われた結果、多くの社会人見学者が来校するという喜ばしい結果につながった。

国際機関との連携が学校目標にも掲げられており、これまでもユニティー設立を受けて、(4)IIが2012年にカトマンズで開催した、アジア太平洋地域フォーラムに本人と支援者を招待するなど関係性を深めてきていた。2014年6月には、第16回II世界会議ケニア大会が開催予定で、障害者の権利条約第12条をテーマとするキャンペーンに、ミャンマーも参加し、大会での本人発表の準備も進めていたが、直前にケニアで立て続けに起こった爆破事件により会議そのものが中止に追い込まれたことは残念であった。

本人活動グループと今後に向けて

活動を中止していると聞かされた本人活動グループは、実際には学校管理下とは距離を置いて、月1、2回の土曜日に活動をしていることが分かり、企画を支援し助言を行なった。現在、ユニティーは名前をフューチャー・スターズ・グループと変え、会則を検討中であり、社会福祉局への登録を目指している。活動財源は会費に依っており、来年予定されている第2回メコン川流域知的障害者ネットワーク会議などに必要な資金の確保が課題である。

支援の担い手は保護者が主体で、以前同校の教師だった人が唯一外部支援者であり、本人活動について知識や経験のある人材がいないこと、雇用の機会について企業からの申し出があったにもかかわらず、社会の仕組みとしてそれを支える制度や人材が存在しないなど、知的障害者の社会参加に向けて、多くの課題が認識されており、より広範囲で制度設計に絡む支援が期待される。

(そでやまけいこ 25―9次隊JICAシニアボランティア)


*1「わたし流でいこう みんなで話そう、これからの暮らし」全日本手をつなぐ育成会出版、2007年