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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年11月号

1000字提言

やっぱり治したい。

河原仁志

障害の原因となる病気を治したいと思っています。今更なんだと言われてしまうのかもしれません。でもやはり医療従事者はそう思い続けるべきなのです。

私は後輩に患者さんの死に際し、「敗北感と後悔の念を忘れるな」と教えてきました。そしてその悲しみを越え、無念を晴らすために今できることを一緒に考えてきました。病気を治すために、われわれが行なっている臨床研究の大切さについて述べてみます。

医学は実学であると言われます。この意味は、その学問の恩恵に与るのは患者さんであるということです。病に困っている人を救うために医術があり、その医術を支えているのが医学という学問であり、それを形成するのは学術研究です。臨床研究はその一部であり、最も患者さんに近い現場で行われる研究です。

研究には科学的な手法や論理が不可欠です。科学性を求める理由は、再現性と普遍性を得るためです。つまり、われわれの医術が何度やっても患者さんに役立ち、誰がやっても患者さんが喜ぶ結果となるのを願うからです。こういった原則を守らない研究は成立しません。自分の努力が、患者さんに幸をもたらす。患者さんの笑顔が見られる。これこそがまさに臨床研究の醍醐味です。

研究に不正は許されません。それは人としての正義感からのみならず、学問は積み重ねで成立するからです。つまり、われわれの研究成果に従い、世界中の臨床に携わる人々が更なる研究を積み重ねて、現場で起こることの本質に迫り、新しい治療法を開発していく。国境を越えた着実な共同作業が求められます。

症例研究の結果を見て、自らの医術の改良を行う。そしてその結果を研究にまとめて報告していく。ちょうど陸上競技のバトンリレーのように、研究成果をつないでゴールを目指すわけです。そんな研究に不正があれば、それを基に積み上げられた新たな研究は水泡と化し、要した莫大な時間と労力が無駄となってしまいます。患者さんが不利益を被る危険もあります。こんなことが許されるわけがありません。

最近の研究不正に関して、科学者の性善説による限界などが論じられています。しかし、われわれが行う臨床研究の成果を、首を長くして待っている患者さんがいます。こういった状況で研究者の不正による時間の無駄を許すわけにはいきません。

臨床研究の大切さ・すばらしさを常に意識して、日々の診療にあたる。今ほど医療従事者に、このいわば職業倫理が切実に求められている時代はないように思います。


【プロフィール】

かわはらひとし。1957年愛知県生まれ。国立病院機構八戸病院臨床研究部長。筋ジストロフィー、てんかんなどの小児神経疾患の専門医。摂食嚥下リハビリテーションにも積極的に取り組み、世界初の非接触・非侵襲の嚥下機能評価器を発案して、(株)イデアクエストに協力して臨床応用を目指している。障害をもつ方の芸術活動支援も行い、多くのミュージシャンとも親交がある。