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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年4月号

1000字提言

福祉先進国は本当?:
「こうしておけばいいんでしょ」の雰囲気

石田由香理

イギリスは進んだ素晴らしい福祉制度を持っている、と思っている人は多いのではないでしょうか。それは一応、間違いではありません。たしかに、各大学が障害学生受け入れに関するポリシーやマニュアルのようなものを持っていることや、駅や空港では身体障害者の移動を助ける車のようなものが常備されていることなど、一見行き届いているかのように見えます。私がなぜ、このように意味深な書き方をするかというと、制度だけを整えた時、この国は各障害者と向き合う心を置き去りにしてきたからです。

大学院に入学する前、寮申し込みの希望用紙に、私が第3希望まで院生向けの寮を書いていたにもかかわらず、それらの希望がすべて無視されて、学部生向けの寮に、院生でただ1人入れられそうになったというエピソードがあります。理由は、「障害学生はなるべく校舎から近い寮に入れるのがハウジングオフィスのポリシーだから」だそうです。学部生の中にただ1人院生が暮らすのは居心地が悪いだろうとか、障害の程度や育ってきた環境によって、多少距離がある寮からでも通える人もいるだとか、そういう個々人の気持ちへの考慮はされず、障害学生イコール一番校舎から近い寮に入れておけばいいんでしょという、マニュアルどおりに対応することが優先されます。

寮の話に限らず、大学における障害学生対応は、何だか「処理」されているような気がしてならないのです。たしかに、大学のすべての建物にはスロープでアクセスできる出入り口があります、それがルールだからです。ただし、普段使われないその入り口にはクモの巣が張り巡らされていて、その入り口から出入りするためには倍以上の距離の遠回りになる…それらは考慮されないようです。でもこれでも、建築上基準を満たしたバリアフリーな建物ということになります。

イギリスに来て、制度さえ整えればいいというものではないことを学びました。むしろあまりにも事細かに制度がある時、人はその制度に違反さえしていなければいい、制度で規定されていないことはやらなくていい、と思うようになるようです。

ロンドンからブライトンへ向かう特急電車の自由席に乗った時、かなり込み合っている車内で、杖をついたおばあさんが通路に立っていたにもかかわらず、終点まで1時間以上、誰もその人に席を譲らなかったという状況を見たことがあります。お年寄りに席を譲る、それは「制度」にはなっていないからです。気づかいや心配りまで、制度で規定しなければならないのでしょうか?それとも、制度が人々の行動を縛る時、それらの優しさが置き去りにされてしまうのでしょうか?


【プロフィール】

いしだゆかり。1989年生まれ。1歳3か月で全盲となった後、高等部卒業まで盲学校に在学。国際基督教大学在籍時代に1年間フィリピンに留学。2014年9月より英国サセックス大学国際教育開発研究科(修士課程)在籍。『〈できること〉の見つけ方―全盲女子大生が手に入れた大切なもの』大学の恩師西村幹子先生と共著(岩波ジュニア新書)。