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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年4月号

文学やアートにおける日本の文化史

盲人用文字の変遷

田中徹二

点字以前の文字

点字はあくまでも記号である。しかも6点だけで構成されているので、アルファベットであっても墨字の形には似つかない(墨字とは、盲人間で使われている用語で、点字に対し一般の文字をいう)。点字を考案したフランス人のルイ・ブライユ(1809~1852)も、点字では晴眼者との文通はできないと悩んでいた。彼は、凸点でアルファベットの形を表すことに着目し、盲人がそれを書くための道具まで製作している。

それはともかく、点字が普及するまで盲人がどんな方法で文字を読み書きしていたかは、日本も海外も発想は変わらない。

ここでは、わが国の例を紹介してみたい。さまざまな文献があるが、盲教育史研究家の岸博実(京都府立盲学校)が、2011年4月から『点字ジャーナル』(東京ヘレン・ケラー協会発行)に連載した文献に詳しい。主にわが国最初の盲学校、京都府立盲唖院やその翌年に開校した楽善会訓盲院(現、筑波大学附属視覚特別支援学校)で用いられた凸字等について引用する。

*手書き文字 ごく自然に思いつく方法である。盲人の背中や掌(てのひら)に漢字やかなを書いて教育するのだが、明治時代、京都府立盲唖院での様子を描いた絵画が残っている。

*木刻凹凸文字 数センチメートル角の木の板に、凸字や凹字を刻んだ教具である。ひらがな、カタカナ、数字、漢字などを1字ずつ彫り出したもので、現在でも約450個が残っている。墨字の形を覚えるには有効だ。

*紙製凸字(彩色カード式) 厚紙に文字を浮き上がらせたもの。木製に比べれば、型に当てて簡易、安価に量産できる。

こうした凸文字によって出版された本や雑誌について、岸は次のものを挙げている。

*盲目児童凸文字習書 京都府立盲唖院も楽善会訓盲院も存在しない明治9年11月に製造・販売されていた凸字のテキスト。伊藤庄平が製造・出版したとある。しかも明治10年の内国勧業博覧会で、最優秀賞を受けたという。何人の盲人が購入し読んだのであろうか?

*『伊蘇普物語 全』 33ページ、片面にカタカナの凸字が印刷されたイソップ物語である。文字の形を学習するのではなく、物語を読むために作られた。京都府立盲学校、筑波大学附属視覚特別支援学校に現存している。

*「療治之大概集」ほか 杉山和一の『三部書序』『療治之大概集』は、鍼按科の教科書だ。『吾嬬筝譜』『増訂撫筝雅譜集』は、邦楽を学ぶ生徒の必読書として製作された。

*訓盲雑誌 逓信省の認可を受け、郵便による購読を想定した、凸字による学習雑誌。少なくとも2号までは出版された。

以上は、文字の形を学習したり、物語を読むものだ。こうしたものによって文字の形を覚えた盲人が、どのように書いたのかを以下に記す。

*蝋(ろう)盤文字 薄い鉄板の上に蝋を乗せて固めたものだ。その表面にヘラで字を掘っていく。盲人の書いた字がどういう形になったかを自分で触って確かめることができる。盤の下から熱を加えれば、何度でも書き直しができる盲人用筆記具。

*自書自感器 台板の上に、針金で縦横の罫線を施した補助板が蝶つがいで連結されている道具。台の上に厚紙を置き、その上に薄い紙を乗せて、鉄筆で文字を書く。裏返して浮き出た文字を確認できる。しかし、通常の文字だと左右逆転するので、盲人用左右対称文字も考案された。

*墨斗筆管 見えない生徒に書写の練習をさせる道具。毛筆に墨を付けて書かせる。

*鉛筆自書 墨字の書き方に習熟した盲人には、通常の罫線のように紙に折目をつけ、折線を触りながら折線の間に、鉛筆で文字を書く方法。折線でなく、枠を置いてもよく、ハンドライティングは、中途失明者間では今でも普通に行われている。

しかし、盲人にとって自書した文字が確認できないのは非常に不安である。読み直しが簡単にできる点字に比べ、効率性、確実性は雲泥の差と言わざるを得ない。

点字の考案

盲人の文字は言うまでもなく点字である。現在、世界で使われている6点式点字は、1825年、ブライユがまだパリ盲学校の生徒の時に発表した。わずか16歳の少年が点字を思いついた背景には、シャルル・バルビエが軍隊の暗号用に考えた12点文字があった。ブライユの点字記号は、読みやすさ、書きやすさから、生徒の間に支持者を増やした。しかし、フランスが盲人用文字と公認したのは、ブライユの死後2年経った1854年だった。ところが、このフランス語点字は、世界の各言語にたちまち翻案されていった。

日本語点字ができたのは1890年である。東京盲唖学校教員の石川倉次(1859~1944)が考え出した。校長の小西信八が、英語点字のローマ字を生徒に読ませたところ、読み書きが非常に効率的なので、石川や生徒らに日本語点字案を検討させた。提出された案を審議した結果、石川案が正式に採択された。同年11月1日のことである。

その後、拗音表記も完成し、1901年、日本語点字は官報に公表された。盲学校で点字教育が始まり、こうして点字は盲人の文字となったのだった。

盲人間に点字が定着した証拠として、週刊『点字大阪毎日』が毎日新聞社によって創刊されたのは1922年だ。そして1926年には、衆議院選挙法施行令が公布され、点字投票が認められた。実際に点字投票が行われたのは1928年だ。現在は、地方選挙も点字で投票できる。そのほか市民権として認められているものには、署名、内容証明付郵便、などがある。

また、司法試験、国家公務員採用試験、地方自治体職員採用試験(一部)、社会福祉士等福祉関係資格試験、大学入試センター試験などが点字で受験できる。

日本語点字の表記は、仮名書きが標準である。6点漢字、漢点字が考案されているが、使用している盲人はごく一部に過ぎない。仮名書きであるということは、適当なところで文字間をあけないと、連続したものはとても読めない。点字の世界では「マスあけ」というが、これがなかなか難しい。

1950年、盲学校の教師を中心に日本点字研究会が結成され、「点字文法」「点字数学記号」「点字理科記号」等の表記が決められた。しかし、同研究会の活動が停滞すると、1966年に日本の点字表記を決定する日本点字委員会が結成された。教育関係者、盲人社会福祉施設関係者に学識経験者を加えた組織だ。現在も毎年総会を開催し、点字表記の指針を決めている。1971年に『日本点字表記法(現代語篇)』を発表して以来、ほぼ10年ごとに改定版を発行している。現在、点字関係者間で基準になっているのは、『日本点字表記法2001年版』だ。2010年はとっくに過ぎているので、新しい改訂版を作る作業が、今、進められている。

どうしてそんなに改訂が必要なのか、不思議に思われる方も多いと思う。時代とともに日本語も変遷する。しかし、それによる点字表記の改訂はごく一部にすぎない。

以下に、盲人間で議論になっている表記の一端を紹介してみたい。マスあけの例だ。「経済学者」「事務局長」は、「ケイザイ□ガクシャ」「ジム□キョクチョー」とマスあけする。しかし、「幼稚園長」「海水浴場」はマスあけしない。あけると、「幼稚な園長」「海水の風呂」になってしまうからというが、そんなことは誰も思わない。また、盲人間で評判が悪いのは、「クルマ□イス」だ。一つの品物なのだし、短い言葉なのに、なぜマスあけするのかとなる。「塩ラーメン」「味噌ラーメン」で、前者はマスあけしないが、後者は「味噌」と「ラーメン」の間をマスあけする。

点字を知らない皆さんは、この違いをどう思われるだろうか?訳がわからないはずである。もちろん『日本点字表記法』には、こんな細かい規定はない。しかし、実際に点字書を作っている製版師や点訳ボランティア間では、厳然と存在する議論なのである。最後は、あまり文化的ではない話になってしまった。

(たなかてつじ 社会福祉法人日本点字図書館理事長)