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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年6月号

列島縦断ネットワーキング【島根】

「脳外傷友の会らぶ」の活動と全国大会の報告

西村敏

「らぶ」設立の経緯

脳外傷友の会らぶが設立されて15年になります。当時、まだ高次脳機能障害という病名もよく知られておらず、また見た目にも分かりにくいこともあって谷間の障害と言われるように、福祉の光は届いていませんでした。

私の息子が留学先のグアテマラで交通事故に遭い、高次脳機能障害を負ったのは今から8年前です。その時初めてこの障害を知りました。息子の回復にどう対処していけばいいのか全く分からなかった私たちにとって、先を行く先輩の教訓、医療福祉関係の皆様からの情報はとても貴重で、脳外傷友の会は大きな励みになりました。

当初、息子のケアと市議会議員活動の二足のわらじで取り組み始めましたが、このままではどちらも中途半端になってしまうと実感した私は、22年間の議員活動を辞職して、高次脳機能障害からの回復に一意専心で取り組むことにしました。

そうした中で自分なりにつかんだ重要な柱は次の2点です。

1.当事者の意欲に沿ったリハビリを組み立てることで変わっていく。

2.地域で生きることそのものがリハビリになる道を模索する。

脳外傷友の会らぶの会長になってからもこの二つをいつも念頭に置いて、ささやかながら取り組みを積み重ねてきました。月に一度の家族会ミーティング、1年に1回開催のらぶらぶコンサート。これらはみなこのコンセプトに貫かれています。

全国大会受け入れまでの経緯

昨年の10月には島根で、日本脳外傷友の会全国大会を開催させていただきました。

全国大会を島根で開いてはどうか、と東川悦子日本脳外傷友の会理事長からご提案があったのは2年前のことでした。私たちのような弱小の団体がそんな大きな事業に取り組めるはずがないと即座にお断りしたことをよく覚えています。しかし、一昨年の7月に東川理事長を招いての講演会の前夜、交流会が開かれた時のことです。高次脳機能障害に熱心に取り組んでこられた出雲の高橋先生をはじめ、多くの医療関係・福祉関係の皆様からも「協力するからやってみようよ」とたくさんの励ましのお言葉をいただきました。

引き受けはしたものの、その後は困難の連続でした。「らぶ」の運営委員会でどのように取り組むか、侃々諤々(かんかんがくがく)となりましたが、そこは持ち前のまとまりの良さでみんなで一致団結、力を合わせて取り組んでみようということになりました。応援してくださる皆様にお声掛けをさせていただいて、出雲で何度かの準備会を持ちました。

大会テーマに沿った基調講演は誰にお願いしたらよいかも重要な問題でした。エスポアールの皆様を中心に、当時、島根大の学長だった小林先生にお願いするのがよいのではないかとの意見が多く出されました。早速小林先生に基調講演のお願いにお伺いすると、大会テーマに深いご理解をいただくことができました。素晴らしい先生に出会えたなと思った瞬間でした。その翌日には「脳機能の回復と自己実現」という演題をご提案くださいました。基調講演が決まれば、このテーマの実践編として、エスポアール出雲クリニックの高橋先生のご講演は不可欠です。さらには、高橋先生と同じ志を抱いてくださっている松江の青葉病院の院長先生に座長をお願いして、当事者シンポジウムを行うことが決まりました。

開催場所と大会テーマの決定

開催地を出雲にするか松江にするかも議論になりました。最終的には松江市行政の皆様ともご相談の上、松江市での開催と決定しました。

次に、大会テーマは、私たち家族会の意見をまとめたうえで皆様にお諮りし、「地域での回復と自己実現」に落ち着きました。家族会のなかで何気なく出た言葉ではありましたが、私たちが最も大きな関心を寄せており、また、その実現の道が困難を極めている大きなテーマでした。

当事者が受傷した瞬間から私たち家族は、何とか生命を取り留めてほしいと思います。助かったら今度は、少しでも体が動けるようになってほしいと思い、動けるようになったら今度は、身の回りのことだけでも自分でできるようになってほしいと願うものです。そうやって一つ一つ回復の道を歩み始めても、当事者が子どもであれば復学は? 青年であれば就職は? 大人であれば復職は? と次々に難題に直面します。当事者が病院等の医療施設や福祉関係施設にお世話になっていられる期間は限られています。その後の膨大な人生の時間は地域で過ごしていかなくてはなりません。どうやって地域に帰っていったらいいのか、地域での暮らしそのものはリハビリと回復の可能性を秘めたものとなってくれるだろうか? そんな地域づくりは可能だろうか…家族会の悩みは尽きません。

地域からの応援

全国大会に向けて、広告のお願いに地域を歩かせていただいた時、どうしてこれほどにと思うほど、多種多様な各界各層の方々から広告をいただくことができたのは、私たちにとって大きな驚きと感動でした。医療・福祉関係事業所の皆様をはじめとして、小さな豆腐屋さんやパン屋さん、花屋さんや洋服屋さん、漁師さんや魚屋さん、かまぼこ屋さんや牛乳屋さんなど、本当にこの地域のさまざまな皆様が応援してくださった姿が広告に現れました。地域の底力を感じた瞬間でした。

全国大会の内容

遠路はるばる島根の地まで300人以上の方がお集まりくださり、第14回全国大会は大きな盛り上がりの中で開催することができました。弱小の団体で、手作りの大会ではありましたが、おもてなしの心だけは少しでもお伝えできたかなと思っています。

全国大会は当事者家族の会が主催するものですから、当事者のシンポジウムは最大のメインイべントになるようにとの思いから2時間もの時間をいただき、三組の当事者家族が登壇して、高次脳機能障害の回復への歩みを語っていただくことにしました。内容については、当日参加してくださった会場の皆様からは、「当事者の気持ちがよく伝わって、涙を流す人がいっぱいだったよ」と共感のご意見をたくさんいただきました。

1年間の準備期間中、ポストが異動してもなお、最後までご支援いただいた医療・福祉・行政の皆様には、本当に頭が下がりました。大会当日のボランティアさんは100人近くにもなりました。見えないところでたくさんの方々に支えていただいて、何とか無事に大会を乗り切ることができました。大会を通じて深まった地域の人間関係は、私たちにとって何より大きな財産となったことを実感しています。

次回の第15回全国大会は東京です。15周年を迎える大きな節目の大会ですので、ぜひ大成功させていただいて、高次脳機能障害の取り組みに大きな弾みをつけていただきたいと大きな期待を寄せています。

歓迎交流会

私たちは会員間の親睦交流の一環として、年に一度、松江と出雲で交互に、当事者パフォーマンスの集いである「らぶらぶコンサート」を開催しています。当事者中心のコンサートですが、福祉行政の関係の方々のコーラスグループが応援してくださったり、最近ではリハビリに効果的ではないかという当事者のマジックなど、多種多彩になってきました。アットホームな雰囲気がよかったと共感していただきました。

今後の展開

全国大会という大きな課題を何とか乗り切って、私たちの活動はまた、日々の地道なものに戻りつつあります。急性期からどうやって回復したらいいのだろう? 高次脳機能障害のリハビリはどうやったら進むのだろう? 病院や福祉施設から出て地域で暮らすには何が必要なのだろう? 学校や職場への復帰はどうやって果たせばいいんだろう? 仕事を持って地域社会の一員としてどうしたら暮らしていけるのだろう? 保護者が高齢化してからの高次脳機能障害者はどうやって生きていけばいいんだろう? これら島根の大会テーマとつながる「地域での回復と自己実現」という課題は、私たちの日常活動のさまざまな場面で大きな道しるべとなっています。

(にしむらびん 脳外傷友の会らぶ会長)