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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年7月号

私のアメリカ就労体験とADAという思想

茂森勇

はじめまして、茂森勇と言います。障害は出生時の難産で典型的なアテトーゼ型脳性まひです。1968年生まれ、もう40数年も前の話ですが、母の全介助が条件で当時珍しかった普通校に入学し、高校まで普通校で過ごしました。大学は大好きだった理系を希望しましたが、望み叶わず、拓殖大学商学部にお世話になりました。でも、理系への思いは消えず、22歳で留学目的で渡米。以来、ほんの2年前まで23年間、アメリカやイギリスに家族と離れ生活し、ソフトウェア・エンジニアとして働いてきました。帰国した今もエンジニアとして働いています。

私自身、ADAの専門家ではありませんが、今回は、私のアメリカでの留学・就労体験を中心にお話ししたいと思います。

1990年、まず行った先は、障害者の自立生活運動が盛んでコンピューター・サイエンスでも有名なカリフォルニア大学バークレー校です。バークレー校付属の英語学校に入学しました。最初、驚いたのは、渡米翌日、障害者学生支援プログラムから電動車いすを借りることができたことです。生まれて初めて電動車いすで街に繰り出し、物理的バリアは難なくクリアです。

これでトントンと大学の学部、または大学院に進学できればよかったのですが、日本の学位が逆に邪魔して都落ち。英語学校の後、コミュニティ・カレッジに2年通い、渡米から3年を経てバークレー校のコンピューター・サイエンス学科3年の専門課程に編入することができました。その後、父の仕事の関係から、インターン先としてサン・マイクロシステムズ社(現オラクル社)を紹介され、これが就職へとつながっていきました。

今回は就労に関するADA、差別解消・機会平等がテーマですが、高等教育でのADAでどういった配慮がなされたか、から書いていきたいと思います。私の職種であるソフトウェア・エンジニアでは、英語学校で受けた配慮がそのまま仕事上の配慮になっていると思うので。

まず、あげたいのが前述でも紹介した物理的アクセスです。これはすべての公共の建物に適応されるもので、大学の教室に行くにしても、オフィスに行くにしても、アクセスについては何も問題はなかったです。ここは日本と違いがあると思います。日本も1980年代後半に比べれば、駅にはエレベーターが必ずあるし、別世界という感がありますが、オフィスビルなどには、道路とビルの入り口の境に1段の段差がよくあります。アメリカは、その段差がなく、どこでも自由に行けるのです。

物理的アクセスとともに紹介したいのが在宅勤務です。仕事に限らず、バークレーの頃から、アパートのパソコンと大学や会社のコンピューターを電話回線でつなぎ、自宅からリモートのコンピューターを使えました。大学の授業でのプログラム作成の課題など大いに活用できました。課題の追い込みで3日くらい電話をつなぎっぱなしで、友達がいつ電話しても話し中なので、心配してくれたほどです。

私がはじめてインターンをした時も、会社が離れていたため、私のアパートにワークステーションを1台と課題が渡され、プログラムが出来上がったらメールで送るように頼まれました。これが私のキャリアの始まりで、この経験で道が開けたわけです。機会平等のADAの考え方は、ここにも現れています。しかし、反面、在宅勤務というのは、当時、働いた経験がない私にとっては、キツイところがありました。自分の部屋がオフィスなので、24時間、働いているような緊張した気分で、精神的に休まる暇がない状態でした。

現在、シリコンバレーなどでは、在宅勤務を推奨していない企業も多いようです。私もサンで正社員になり、特に、2000年にエンジニアリングのチームでOSの保守を担当するようになってからは、オフィスで働くようになりました。オフィスの人たちとも仲良くなり、2003年、アメリカでの労働ビザが切れてしまった時、イギリス支社から仕事のオファーをしてもらえたのも、オフィスで人的交流があったからかもしれません。

しかし、特に私の場合、言語障害から来るコミュニケーションの問題は残りました。メールやチャットを使えば、ある程度のコミュニケーションはできます。バークレーでクラスのプロジェクトを一緒にやった友達とは、8時間続けてチャットで議論したこともあります。仕事をしている時も、面倒見の良いボスと隔週でチャットで面談をしました。でも、それは信頼関係という基盤の上に成立しているものだと思います。

2009年、サンがオラクルに吸収合併される時、私もレイオフを経験しました。その後、大学院に通いながら再就職の機会を伺ったのですが、電話インタビューなど第一の関門を越える難しさや、面接そして、その後の会社からの「何に使ったらいいんだろうか?」という問いかけに、筆舌に尽くしがたい難しさを感じていました。しかし、それを超えてこそが真のプロフェッショナルなのでしょう。

ADAは差別の撤廃、機会の平等を謳(うた)っています。でも、こと重度身障者の雇用に関しては、それだけでは解決が難しい問題もあることも認識しています。しかし同時に、私の20年に及ぶアメリカ生活はアクセス面、機会の平等という面からADAという思想に支えられてきたようにも思うのです。今までの経験、受けてきた恩恵を踏まえ、今後、さらなる問題に取り組んでいきたいと思っています。

(しげもりいさむ 株式会社半導体エネルギー研究所システム・エンジニア)