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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年7月号

公共交通機関のアクセシビリティを中心に

加納洋

私は1982年、「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」の第1期生としてニューヨークに留学し、盲人施設ライトハウス・ミュージック・スクールで学ぶとともに、ジャズ・ピアニストとして著名なランス・ヘイワード氏に師事して音楽を学びました。翌年帰国した後、再び活動の場をニューヨークに移しました。

私はニューヨークに暮らし始めて33年になります。ニューヨークの公共交通機関のアクセシビリティやモビリティのことを中心に現状や思っていることなどを述べたいと思います。

先日、私は仕事があってアムトラックを使って移動しました。列車には車いす用のトイレがあったように思います。その時、アムトラックで働いている人と列車のアクセシビリティについて話す機会がありました。アメリカにはホームのない駅があるのですが、ホームのない駅では通常、列車の出入り口の床の部分に収められているステップを出して乗り降りします。車いす利用者の場合は、出入り口にリフトを設置してそれで乗降できるようになっていると聞きました。

では、ニューヨークの状況を簡単に紹介します。

ニューヨークのアクセシビリティ

ADAができて、ニューヨークの街は公共施設にはスロープが付いたり、新しいビルはアクセスが整備され、障害のある人にも配慮されたものになっています。地下鉄の新しい車両には、音声案内システムがつくようになってきました。また、10年くらい前からだと思うのですが、地下鉄のホーム改修時に、ホームの縁から30センチほどの幅のライン(日本の点字ブロックのようなもの)が敷設されるようになってきました。

しかし、私はニューヨークに暮らしていてあまりADAによる公共交通機関の変化を感じません。その理由は、ニューヨークという街の特徴と財政的なことがあると思っています。ニューヨークは歴史のある街並みで、築100年くらいの建物も多くあります。駅も古いところが多く、新しい駅が作られていません。そのため、ADAの効果が表れにくいのではないかと思っています。ADAは、既存の公共施設や交通機関の施設・機関の改造はすぐに行うことを求めていないのです。

地下鉄は、十数年前にホームに到着や出発する列車のアナウンスシステムを作ろうとしたのですが、予算的な理由で工事が中止になってしまいました。現在、時々アナウンステストを行なっていますが、いつできるのかは分からない状況です。地下鉄のエレベーターを設置する工事を進めていますが、まだエレベーターが設置されていない駅も多くあります。

歩道と車道の段差解消については、徐々に工事が進んできていると思っています。しかし段差が解消されたのはいいのですが、今度は、視覚障害の人たちが車道と歩道の境が分からなくなってしまいました。そのためまだほんの一部ですが、日本の点字ブロックに似たようなものが敷設されているのをニューヨークでも見かけるようになりました。

情報のアクセシビリティ

情報について、少し触れたいと思います。1995年頃から、インターネットが普及してきました。当初はスクリーンリーダーで読むことができませんでしたが、その後、情報アクセシビリティが大きく改善されました。現在では、公共施設や企業、障害者団体などのホームページは、スクリーンリーダーで読みやすいようなレイアウト(デザイン)になるなど、障害のある人も必要な情報を得ることができるようにアクセシビリティが配慮されているところが多くなっています。ADAがこのような取り組みをする、きっかけになっているのではないかと思っています。

心のバリアフリー

ニューヨークはさまざまな理由でADAの効果を感じにくいと述べましたが、だからと言って街の中に障害のある人がいないというわけではありません。

たとえば、私が街を歩いていて助けが必要になった時、周りに声をかけると何人もの人に手を差し伸べてもらうことがよくあります。全然知らない人が2、3人で車いすを持っているところを何度も見たことがあると聞いています。車いすの人は、もし段差があったら人に頼めばいいと思っているし、周りの人も手伝うことに慣れています。

たとえば、バスに乗った時、行き先を告げるアナウンスがないので、私はバスの運転手に○○で降りるので着いたら教えてくれと伝えます。運転手が私に言うことを忘れないように、運転席の近くに座ったり、隣にいる人に聞いたりします。

ニューヨークはいろいろな人種の人たちが集まっている街で、さまざまな差別があることを見てきました。コミュニケーションを取ることが差別感をなくす一つのツールになるかもしれないと思っています。

ADAができたばかりの頃、日本から来た人たちと大統領委員会でADA策定に関わった人たちに話を聞く機会がありました。そこで話をしてくれた一人の方が言ったことで印象に残っている言葉があります。それは、われわれが目指しているのは、障害のある人とない人がいろいろな面で平等になり、ADAのような法律がなくなる社会だという言葉です。

現在、ADAがあることで障害のある人が住みやすい社会になってきていると思いますが、将来はADAがなくてもすべての人が住みやすい社会になるよう、私たちも努力していく必要があるのではないでしょうか。

(かのうよう ミュージシャン)