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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年8月号

ワールドナウ

障害者権利条約第8回締約国会議
―開発と障害者の人権

長瀬修

はじめに

2015年6月9日(火)から11日(木)まで、障害者権利条約第8回締約国会議がニューヨークの国連本部で開催された。8日と12日にも関連イベントがあり、引き続き締約国会議を中心とする、年に一度の国際的な障害分野における重要な意見交換、最新の動向把握の1週間だった。障害者組織のメンバーをはじめとする500人以上の市民社会からの参加者を含む1000人以上の出席があり、52を超すサイドイベントが開催されたのも締約国会議の重要性を示すものである。

本年の主要なテーマは、極度の貧困の半減など、多くの成果を挙げたミレニアム開発目標(MDGs)を引き継ぐ、来年からの次の開発目標にどのように障害の問題を盛り込むかであった。

来年は採択10周年

今年も私は幸いなことに出席することができたが、2006年に条約が採択され、来年はすでに採択10周年だと耳にし、深い感慨を覚えた。2006年8月に条約が実質的に採択された際に使用された第3会議室、主に条約交渉が主に行われた第4会議室は共に、国連本部の改修工事のため閉鎖されていたが、今年久しぶりに使用された。

その第4会議室で開かれた第8回締約国会議の冒頭で開会の挨拶を行なったのはヤン・エリアソンである。現在、国連副事務総長であるエリアソンは8月25日の実質的採択直後に当時の国連総会議長として駆けつけ、祝福の言葉を述べている。

スウェーデンの外務大臣や大使の経験を持ち、最良の外交官の一人と評価されるエリアソンは、1987年に開催され、国際的レベルで初めて本格的に障害者の人権条約を提案した「国連障害者の十年評価中間年専門家会議」をストックホルムに招聘したベンクト・リンドクビスト社会相や、同相を任命したオロフ・パルメ首相(86年2月に暗殺)について、準備された演説原稿を離れて個人としての言葉で言及した。

条約の成立・実施過程を通じて、人権の課題としての障害という位置づけは確立される過程にある。しかし、条約に至る過程でリンドクビストによる1989年の条約提案が形を変えて実った「障害者の機会均等化に関する基準規則」(1993年)が果たした重要な役割を私たちは忘れてはならない。その意味でとても貴重な発言だった。

障害が位置づけられていた社会開発分野での取り組みが不十分だったことは、MDGsにおいて、障害が明示されていないことに象徴的に示されている。しかし、国連の社会開発分野での障害の取り組みの延長線上に人権としての障害問題があることを忘れることはできない。エリアソンの言葉をそうした意味でかみしめた。

2016年からの持続可能な開発目標

メインテーマとして「ポスト2015開発アジェンダにおける障害者の権利の主流化」が掲げられた。本年9月の国連総会で、現在のMDGsを引き継ぎ、新たに2016年から2030年を実施期間とする、持続可能な開発目標(SDGs)が採択される見込みである。

従来、別々のプロセスを経てきた開発目標と、気候変動をはじめとする環境面の持続可能性に関する取り組みが統一され、途上国と先進国すべての国が対象となる点にSDGsの特色がある。「誰も取り残されない」を掲げ、締約国会議直前に公表されたSDGsのゼロドラフトには17のゴールが含まれ、「すべての人にインクルーシブで公平な質の高い教育を確保し、すべての人に生涯教育の機会を促進する」とする第4ゴールをはじめ、障害者への具体的な言及が169のターゲットに複数、含まれている。2016年3月まで予定されている、進捗状況を測るものさしとなる「指標」策定過程で、どれだけ障害が盛り込まれるかが鍵だと、今回の締約国会議では強調されていた。

また関連して、1992年の地球サミットの際に設定された9つのメジャーグループという市民社会を代表するグループ分けで、障害者は含まれていないという課題があり、10番目のグループとして認知される必要性があるという指摘がなされた。障害の分野の発言権を強化する上で、メジャーグループとしての認知が効果的なのである。

概要と日本関係の動き

今年は隔年で行われる障害者権利委員会の選挙がない年にあたり、比較的落ち着いた雰囲気であった。

一般討論と呼ばれる、締約国と署名国による、各国での条約実施状況に関する報告は、9日と10日にかけて83締約国(EUを含む)と3署名国(北朝鮮を含む)が行なった。日本は、国連大使の吉川元偉が3月に仙台で開催された第3回国連防災世界会議や新たな開発アジェンダに触れたほか、コロンビアでの紛争被害者に関するJICA(国際協力機構)の社会的統合に関するプロジェクトへの言及があった(注)。第3回国連防災世界会議に関しては、複数の場面で繰り返し言及があった。

10日午前には、一つ目のラウンドテーブルが貧困削減と不平等軽減への障害の主流化をテーマとして開催された。筑波大学准教授のカマル・ラミチャネ(ネパール)がパネリストとして発言を行なった。10日午後には、二つ目のラウンドテーブルが障害に関するデータと統計の改善をテーマとして開催された。11日午前には、障害者の脆弱性と排除、女性と女児の状況、教育の権利、災害と人道的危機を主題とする非公式パネルが開催された。

パネリストである障害者権利委員会副委員長のダイアン・キングストン(英国)が、障害者の脆弱性(弱者性)は環境によって作られたものであると鋭く発言したのを受けて、日本の政府代表団の一員である障害者政策委員会委員長の石川准は、東日本大震災の経験を踏まえて、地域でのインクルーシブ教育と地域生活の重要性を強調し、地域からの排除が脆弱性を作りだすと指摘した。

日本関係では、日本財団がサイドイベントを2つ開催し、多くの参加者を集めた。9日には、国連システムと広範なグローバルガバナンス過程への障害者の参加について、国連事務局経済社会局(DESA)と共に開催した。また、10日には、ハンセン病と障害をテーマに障害者インターナショナル(DPI)と共に開催した。両日とも会長の笹川陽平がスピーチを行なった。

日本政府は、この2つのサイドイベントのほか、8日に国際障害同盟(IDA)とDPIが主催した市民社会グローバルフォーラムにも共催組織に名を連ね、積極的な姿勢を示した。

おわりに

昨年6月の第7回締約国会議以降、人権としての障害問題という位置づけを強める明確な動きがひとつあった。それは、昨年7月の人権理事会の決議(26/20)に基づいて、昨年12月に、障害者の権利に関する特別報告者が任命されたことである。初代特別報告者に就任したのは、コスタリカの障害女性である、カタリナ・デバンダス・アギラー(Catalina Devandas Aguilar)である。今回の締約国会議では大きな存在感を示していた。

障害分野での「特別報告者」と言えば、従来は、前述のリンドクビストが初代を務めた機会均等基準に関する特別報告者であり、社会開発委員会のもとに設置されていた。

障害者の権利に関する特別報告者の任命は社会開発から人権への障害のシフトを示すものである。しかし、極端な例だが、学校がそもそもない村で、合理的配慮を求める状況を考えてみても、人権と開発分野両方での取り組みが必要であることは明らかである。

第9回締約国会議は障害者権利委員会委員選挙を含み、来年6月14日から16日まで開催される。(敬称略)

(ながせおさむ 立命館大学生存学研究センター客員教授)


【注】

日本のステートメント訳は、下記に掲載されている。なお、このプロジェクトには、日本障害者リハビリテーション協会職員の奥平真砂子がJICA初の障害者である長期専門家として、2015年3月から派遣されている。
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/rights/rightafter/statement150609jp.html

*本研究はJSPS科研費「障害者の権利条約の実施過程に関する研究:研究代表者長瀬修」(25380717)及び「社会的障害の経済理論:研究代表者松井彰彦」(24223002)の助成を受けた。