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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年10月号

障害当事者からの意見

伴走とコミュニケーション

高橋和代

私は、生まれつき耳が全く聞こえません。小さい時から高等部まで15年間、聾学校へ通学しました。この聾学校は、手話の使用を禁止していたので、口話法教育を受け、辛い学校生活を過ごしました。

私は、小さい時、弱視であることを知らずに過ごしていました。

口話は、「たまご」と「タバコ」の口の形が似ているので、口話の読み取りを間違えてしまったことがあり、苦痛でした。内緒で手真似をしたら、先生に叱られて、廊下に立たされたことがありました。

また、家の中でも私が手真似を使って話すと母に叱られて、両手をひもでしばられたことがありました。楽しくなく苦しい時代でした。

私は中学部の時、内緒で地元の手話サークルに通い、やはり口話よりも手話の方がわかりやすくコミュニケーションが通じていました。

目で聴く手話で過ごしていましたが、年をとるにつれて、だんだん視力が低下して、盲ろう者の世界へ入りました。

盲ろう者になって、手話で聴くことができず、悩んでいました。ある盲ろう者の先輩との出会いにより、「触手話」でコミュニケーションができるとアドバイスをいただき、手で聴くことができました。

私は家に引きこもらずに積極的に外出して、盲ろう者であることをアピールしながら、社会参加して活動してきました。

マラソンを始めたのは、2008年2月で、盲ろう者の友達から紹介されてクラブに入会しましたが、伴走さんたちは全く手話ができませんでした。

ろうベースの盲ろう者は、発音があいまいで発声ができず、ホワイトボードで筆談しなければならないので、ホワイトボードを背負いながら走るのが大変でした。

だんだん視力が低下してきたために筆談ができなくなり、うまくコミュニケーションができないので、代わりに手のひらに文字を書いてもらっていますが、自分の発声では伴走さんになかなか伝わりません。

手話ができる伴走さんが必要だと思い、伴走さんたちに手話サークルへ行って勉強していただきました。

やはり、手話で情報伝達をして楽しく伴走していくのが、大切だと思っています。 このように、手話のできる伴走者を増やしていけるように活動していきたいと思っています。

(たかはしかずよ 代々木公園バンバンクラブ)