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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年1月号

時代を読む75

「障害者就業・生活支援センター」が始まったころ

2001年(平成13年)1月6日より、縦割り行政の弊害をなくし、横断的で総合的な政策展開を目指して中央省庁の再編統合が行われることとなり、厚生省と労働省が統合して「厚生労働省」が発足した。戦後、障害者の就業施策は、厚生行政における福祉的就労と労働行政における雇用就業とがあり、相互利用を促す制度改革もあったが、求められていたのは、通勤寮で実施されていた知的障害者にとことん向き合う全人的な支援であり、全日本手をつなぐ育成会が労働省委託事業として実施していた地域に社会資源間のネットワークを構築することであった。折からの経済不況もあり、これを機に「働くこと・働きつづけること」を可能にする制度の創設が待たれていた。

1997年ごろには、労働省の障害者雇用対策課の担当官が、先進的な通勤寮・授産施設・能力開発施設・雇用企業などを訪れ、保護者や関係者からも意見を聴取するなどした。その結果、障害者雇用促進法を改正して併設施設や提携施設で「基礎訓練」を実施する「あっせん型雇用支援センター」が制度化され、1998年には9か所、2001年には21か所(通勤寮14か所、知的通所授産施設2か所、精神障害者生活支援センター2か所、知的入所更生施設1か所、知的入所授産施設1か所、障害者職能開施設1か所)となり、そのうちの18か所で「障害者就業・生活支援の拠点づくりの試行的事業(モデル事業)」が実施され、労働省(日障協)の助成金で就業支援担当職員、厚生省の補助金によって生活支援ワーカーの配置が可能となった。通勤寮などの宿泊施設に養護学校在校生を受け入れて生活指導を行なったり、地域の関連機関や企業などとの密接なネットワーク連携を促す「運営協議会」を構築したりと事業内容は多岐にわたった。こうした経緯を経て2002年5月に誕生したのが「障害者就業・生活支援センター」である。

この動きは、報告書「地域障害者雇用支援ネットワークの形成(日本障害者雇用促進協会:日障協 1999)」でさらに具体化され、厚生行政と労働行政の一体的推進を具体化したグランドデザインとして評価された。

本事業は、あくまでも地域(本人)に根ざした就労支援事業で、支援対象は、知的障害者だけではなく、精神障害者や身体障害者など就業問題に直面している障害者とされた。なお、予算の一定額が地方自治体の負担とされたため、各自治体の理解や財政的な関与が求められたため、いやが上にも地方自治体との連携が求められた。なお、事業の認可は、就業支援実績や支援体制、関係諸機関間のネットワークの実情などが勘案された。理想的な事業形態ではある反面、予算規模は限定的であり、いまなお、その改善策が模索されている。

(關宏之(せきひろゆき) 全国就業支援ネットワーク事務局長/日本ライトハウス常務理事)