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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年2月号

家族からの意見

辛いと言えなかった『高次脳機能障害者の子ども』の1人として

菅野紗穂里

「障害者の家族」と言った時、誰もがまず「主介護者」を思い浮かべる。そして「家族支援」と言った時にも、「主介護者の支援」とほぼ同義である。そこに、「障害者の子ども」の姿が想定されることはあまりない。私の家族の場合、「主介護者」は「母」である。

私の父はくも膜下出血で倒れ高次脳機能障害を負った。当時、私は高校3年生、大学受験を控えていた。その頃の記憶はすっぽり抜けている。判断能力や記憶力が低下し、今さっき聞いた質問を繰り返す、以前とまるで別人のようになってしまった父をどう理解し、どう接すればいいのか。父の言動にイラつき、イラついてしまった自分を責め、趣味にも勉強にも手がつかない。そんな時期が数年続いたが、それを誰かに相談することはできなかった。

高次脳機能障害者の主介護者が重い肉体的、精神的負担を抱え、健康的な家族動態を再構築するまで長期間(10年に及ぶものもある)を要することや、その支援の重要性は、これまで専門家によって指摘されてきた。そして、その支援として、カウンセリングや家族会によるピアサポートなどが有効であることも言われている。主介護者が障害を学び、悩みを共有する場としての「家族会」は年々数が増え、また、病院において家族の学習会を設けているところもあるようだ。

しかし、そこに子どもが参加することは少ない。子どもが親の障害について理解したり、悩みを吐き出したりする機会はほとんどないのが現状である。障害を負った当事者とともに、新しい生き方を模索しなければならない家族には「子ども」も含まれることを、どうか支援者や主介護者の方に知っておいていただきたい。

昨年は、日本脳外傷友の会の方から、「子ども」の集まりを開催したと伺った。残念ながら参加できなかったが、今後もそうした機会があればと願う。

今回、「子どもの立場で」とお話をいただいたため、高次脳機能障害の当事者や主介護者の抱える問題には触れなかったが、勿論(もちろん)「家族支援」で最も優先されるべきは「主介護者」であると私自身思っている。当事者や主介護者への支援すらまだ不十分な中で、「『母』がこんなに大変な時に『子ども』が辛いと訴えることは許されるのだろうか」という一抹の迷いもありつつ、ただ「障害者の家族」には「子ども」という存在もあるのだということを心に留(と)めていただければ幸いである。

(かんのさおり 首都大学東京大学院人文科学研究科)