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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年2月号

3.11復興に向かって私たちは、今

被災地に歌声を!
~今、私たちにできること~

三井和子

♪ねんねろねろねーろ ねんねろやーえ
 ねんねろねろねーろ ねんねろやーえ~
(吉里吉里地方の子守唄)

♪ここは吉里吉里 港町 みなでる船は大漁で
 村社神明様のごりやくで 大漁万作めでたいな
 トコトントコトン トコトントン
(吉里吉里大漁節)

2015年11月、岩手県大槌町で合唱祭があり、「鯨山合唱団」としてうたっこの会のメンバー20人(被災された方)と私たち音楽療法士のスタッフ7人が初めて参加しました。私たちは普通の合唱曲ではなく、古くから地元に伝わる子守唄と大漁節を歌うことにしました。トントンと背中をたたきながら子守をする様子や、トコトントコトンと遠くから聞こえる太鼓の音…その響きを聞くと、一瞬にして昔にタイムスリップしてしまいます。

唄や踊りは何でも知っているという90歳のHさんとYさんから聞きとりし、譜面をおこして覚えました。子守唄はHさんに音頭をとってもらい、大漁節は吉里吉里甚句の名人のYさんがねじり鉢巻きをして太鼓を叩く。月1回の練習にもかかわらず、私たちの歌声は会場いっぱいに響き渡りました。

大槌町は三陸沿岸の宮古市と釜石市の中間にあり、漁業を中心にした小さな町です。2011年2月の人口は約1万600人でしたが、東日本大震災により死者803人、行方不明455人と人口の8%が亡くなりました。山間部な上に40人の役場職員が亡くなったことも痛手で、復興はかなり遅れています。

大槌町は、井上ひさし原作の「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった蓬莱島があり、同氏の小説『吉里吉里人』には大槌町吉里吉里の名前が使われています。鯨山は標高600メートルほどで、漁から帰ってくると一番先に鯨の背中にも似た丸くこんもりとしたこの山が見え、地元のシンボルになっていることから、全員一致で鯨山合唱団と名付けました。

私は内陸部の花巻市で障がい児者、高齢者を対象にした音楽療法士をしています。震災後、いてもたってもいられず、何かできることはないかと花巻市の災害復興ボランティアセンターを訪ねました。被災された250人が花巻温泉に一時避難していたので、担当者と相談の上、「懐かしの歌を歌いませんか」という名目で寄り添う場を設定し、そこで吉里吉里のGさんに出会いました。その縁が繋(つな)がって、2012年12月から毎月1回「うたっこの会」をスタートすることになりました。スタッフは花巻、北上在住の音楽療法士と「るんびにいカフェ」(花巻市の知的障がい者支援施設ルンビニー苑有志)の5、6人で現在も被災地支援を継続しています。

Gさんが住む仮設には談話室がなかったので、隣のお寺の住職さんに相談したところ、二つ返事で場所を提供してくれました。震災当時、高台にあったお寺には多くの被災者が一時避難していましたが、津波で家族を失った方々と、被災しなかった家族とが背を向け、微妙な関係が続いていました。仮設の住民だけ集まるのではなく、持ち家に住んでいる人と場を共にすることで壁を取り去ることができないだろうか…。

新しいコミュニティ創(づく)りがうたっこの会の始まりで、毎回90分のうち60分を生活不活発病の予防として身体運動や呼吸法、発声の時間にあて、残りの30分はお茶を飲みながらのおしゃべりタイム。徐々に昔から伝わる郷土芸能(虎舞や甚句)、盆踊りや子守唄など懐かしい行事を通して話が弾むようになり、元気だった頃の自分を取り戻す時間となりました。そして震災から5年になる今、少しずつ心が繋がってきたのです。

「音楽療法」という言葉を耳にする機会は増えてきていますが、まだまだ浸透していないのが実情です。音楽の持つ力を用いて、心身の障がいの回復、機能の維持改善、生活の質の向上を継続して支援することが私たちの仕事です。周知のレクリエーションが気分転換、リラクゼーション、情動の発散とすれば、音楽療法は対象者理解が重要な要素になります。障がいや病気の症状を知り、生育歴や家庭環境、音楽の嗜好など対象者のニーズに合わせた音楽を提供しています。

健常な被災者の方々でも、家族や知人を失った人の「グリーフ」、住まいや生活が奪われたという「喪失」、自然の猛威に曝(さら)され、何もできなかったという「無力感」、表面上は明るく振る舞っている人でも「現実の回避」があり、一人ひとりの心のケアが必要になってきます。被災者に寄り添い耳を傾けることで、自然発生的に生まれる言葉や動作からその声を聞くことができると思います。

被災者は仮設という仮の宿で生活はしていますが、仮の人生ではありません。1日1日苦しみながらも小さな喜びや頑張りを積み重ねており、それはそのまま真の人生の積み重ねでもあるのです。いろいろな人生を背負いながらも新しい自分に出会い、新しいコミュニュティを創っていくことが今後の課題となっています。支援者は頑張りすぎず、楽しい支援でなければ長続きをしないということも学びました。

「共に生きる」…被災者との関わりは、障がいをもつ人との関わりと同じく対象者理解であり、支援者と共に楽しみながら創り上げていくものと感じています。

(みいかずこ 日本音楽療法学会認定音楽療法士)