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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年3月号

文学やアートにおける日本の文化史

魂の詩 障害者と短歌

大津留直

人間の魂には、身体的な痛みや社会的な差別・偏見によって挫(くじ)かれれば挫かれるほど、輝いてくる部分があり、その輝きが言葉によってはぐくまれ、研ぎ澄まされることがあるらしい。歌人の上田三四二がかつて言ったように、短歌・俳句は「日本語の底荷」1)であり、日本語という船の甲板に近い表舞台で華々しく活躍するのではなく、むしろ、その華々しさを底辺から支え、バランスをとる役割を果たしているのだろう。日本語の底辺にあって、陽のあたることの少ない短歌や俳句であるがゆえに、むしろ、そこにおいて魂の芯のような部分がどんなに挫かれても、まさに、そのように挫かれることによって、輝きを増し、研ぎ澄まされるのを経験することが多いのは、長年短歌や俳句を作ってきた者としての実感である。それはまた、多くの障害者による作品がそれを証明していることでもあるように思われる。ここでその例証として取り上げ、鑑賞することができる短歌は、もちろん、そのうちのほんの幾首かでしかない。ここで一口に障害者と言っても、その障害の様相も、それぞれの歌風も千差万別であることは言を俟(ま)たない。

くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる

正岡子規2)

ここで、ほとんど無造作に使われているようにみえる「針」という一語が決定的な役割を果たしている。この薔薇の芽は針のように尖ってはいても、丁度(ちょうど)、そこに降っている春雨のように、柔らかいのである。この歌を詠んだとき、子規はすでに重症の脊椎カリエスで寝たきりの状態であった。その傷口のあまりの痛さに呻吟しながら、ガラス戸越しに庭の薔薇に降る春雨を見ているのである。この薔薇の芽の針は、その痛みに挫けそうになりながら、しかも決して挫けることのない彼の魂の芯の部分でなくて何であろうと私は思う。これは子規自身が唱えた写生の論に反対するものでは決してない。そうではなくて、真の写生においては、すべての写生の対象は、そのまま、それを写生する人の魂になる、ということである。物を見るとは、もともと、その物になりきることを意味したからである。この歌は、実は、魂の芯の部分がこの上なく柔らかいがゆえにこそ、どんなに挫かれても挫けないのだということを示唆していると言ったら、言い過ぎであろうか。

照る月の冷えさだかなるあかり戸に眼凝らしつつ盲(し)ひてゆくなり

北原白秋3)

自分の視覚障害が進んでゆくことを、これ以上ないほど客観視することによって、その不安や絶望が目には見えない、冷ややかな月光の美しさへと昇華されている。眼は、その月光によって照らされている戸を見ようと凝らされているのだが、それも定かには見えないほどに障害は進んでいる。しかし、それが見えないことによって、却(かえ)って、月光の冷たい光が心に沁みこんでくるのである。そこでは安易な慰めは一切断ち切られている。あるのは、ある種の諦観における、自分を突き放した明るさであり、肉眼が見えなくなることによって逆に得られた心の視野の開放感である。

萎え身もてば吾に向けらるる記事かとも邪魔者は殺せの新聞の文字

前田ヤス子

仁木悦子が夫の後藤安彦とともに編集した『もうひとつの太平洋戦争』4)に掲載された前田ヤス子の短歌である。戦争が障害者をいかに厳しい状況に追い込むかを、この一首だけで言い当てているように思われる秀歌である。平時ならば、障害者のような社会的弱者を擁護する役割を担っているはずの新聞でさえ、戦時には「邪魔者は殺せ」と書くのである。作者は、自分が障害者であるがゆえに、その言葉が自分に向けられていると感じざるを得ない。実際、ドイツにおいては、十万とも2十万とも言われる障害者が「生きるに価しない」と刻印を押されて、ナチ政権により安楽死の名のもとに殺されたことを思えば、この脅迫が戦時においてはいかに差し迫ったものであったか、想像に難くない。

現身にヨブの終りの倖せはあらずともよししぬびてゆかな

津田治子5)

作者はハンセン病を患い、一生を熊本の菊池恵楓園で送らねばならなかったが、カトリックの洗礼を受け、アララギの歌人として活躍した。ヨブは旧約聖書ヨブ記の主人公であり、義(ただ)しい生活を送っていたが、悪魔と神の賭けにかけられ、それまでの幸せな人生を奪われ、訪ねてきた友人たちとの壮絶な対話の末、物語の最後には神によって、元の幸せな人生へと戻される。自分もハンセン病によってかつての幸福をすべて奪われたが、しかし、人生の最期においてその幸福が取り戻されるようにとは祈るまい。共に苦しんでくれるキリストを得た今は、そのキリストに倣(なら)って、最期までハンセン病というこの苦しみを忍んで生きてゆこう、というのである。共に苦しんでくれるキリストと会い得た歓びがいかに大きいかが言外に表わされているのであり、まさに、そこにどんなに挫かれても、挫けない彼女自身の魂の芯を発見したということであろう。

わが感覚すすき野のへにありしかどこのかろさ死後のごとく気づけり

渡辺松男6)

渡辺松男の歌集『蝶』の代表作である。作者は筋萎縮性側索硬化症と統合失調症を病んでいる。そんな作者にとって死は、常に自分と背中合わせにあるものであり、彼はそこから、死が必ずしも生に敵対するものではなく、生がそこから独自の輝きと自由さを得ることができるものであることを学んできたのであろう。この歌は、生きている自分の日常の感覚の当たり前の自明性が、ふとしたことで崩れて、まるで死後の自分がすすき野を感覚しているかのようであることに気付かされる出来事を詠(うた)っている。「このかろさ」は、すすきの穂群の軽さであると同時に、生そのものの軽さを示唆している。しかし、決して、日常的に感じたり測ったりすることができる軽さではなく、死と接していることによって不意に気付かされる生そのものの透過性を意味している。この透過性は、日常のあれやこれやに拘束されることなく、例(たと)えば、この「すすき野」に成りきってしまう自由である。

手も足も動かぬ身にていまさらに何をせむとや恋の告白

遠藤滋7)

作者は脳性麻痺の二次障害の重症化によって寝たきりの生活をすでに30年近く余儀なくされており、しかも60代後半を迎えている。しかし、その身に湧きあがる恋心には、青年のような初々しささえ感じられる。障害者にとって、異性との関係は、特に若いころは、しばしばそこにおいてはじめて、自分が障害者であることを激しい苦しみをもって思い知らされる事件である。おそらく、この作者もそのような経験を経て、今ようやく、その身に湧き上がる恋心には、世間体や生活に属するもろもろのしがらみを言わば一旦打ち払い、素直になるほかないことを悟ったのであろう。それは、この身がやがて滅びることを身に沁みて知っているからである。このような魂の根底からの素直さこそが、万葉集以来、日本の詩歌を支えてきたのであり、日本の詩歌を未来に引き継ぐためには、このような素直さこそが必要であることをわれわれは忘れてはならない。

これまで幾(いく)つかの近代と現代における障害者による短歌作品を取り上げてきたわけであるが、私自身、その豊かな多様性に驚かされている。これらの短歌は同時に、どんなに挫かれても決して挫けない魂の芯のようなものを一様に示しており、まさにそのことによって、「日本語の底荷」の確固たる一部をなしているように思われる。それは、現代の日本語において、表面的に目立った華々しい役割を果たしているわけではない。しかし、荒れ狂う情報化の嵐の中で、生き生きした実感のある言葉との関係がますます失われてゆく危機的な状況において、日本語という船が転覆しないために緊要なバランスを保つという役割の一部をこれらの短歌が担っていることは確かであろう。われわれがこの短詩形の「底荷」という性格に耐えて、細々とでもコツコツと短歌を作り続けるならば、日本語の言霊はそれに応えて、思いがけない稔りをもたらしてくれるのかもしれない。

最後に自歌を三首。

戦争は否とし叫ぶ人の輪の1人となりて歩行器を押す

歩行器に縋りつつ行く阿蘇の野の真上さやけく大銀河あり

身に負へる麻痺こそ天の贈り物68年生き来て思ふ

(おおつるただし あけび短歌会)


【注釈】

1)上田三四二『短歌一生―物に到るこころ』講談社学芸文庫、1987年

2)正岡子規『子規歌集』岩波文庫初版、1927年

3)北原白秋『北原白秋歌集』岩波文庫、1999年

4)障害者の太平洋戦争を記録する会編、代表 仁木悦子『もうひとつの太平洋戦争』立風書房、1981年

5)津田治子『津田治子歌集』白玉書房、1955年

6)渡辺松男『蝶』歌集(かりん叢書)2011年

7)あけび短歌会『あけび 平成27年2月号』2015年