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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年3月号

3.11復興に向かって私たちは、今

超現実といえる災害を乗り越えて

今野真理子

仙台市若林区荒浜に「みどり工房若林」はありました。市の一番東部にあたるこの地で「農作業・さをり織り・パンチングレザー・請負作業」を主に活動していました。地域に根ざし、荒浜の一員としてさまざまな場面で地域の方から声を掛けていただくほど溶け込んでいました。開所時間より早く来所した利用者を見かねた近所の方が「寒いから家に上げてたよ」と優しく寄り添ってくださる方々がおり、地域での暮らしに満たされた日々でした。

東日本大震災

あの日ほど海の近さを実感した日はありません。海岸から700メートルに工房はあり、私たちが積み重ねてきた作業や実績、居場所、思い出をすべてのみ込んでしまい、地域のつながりまで一瞬にして奪い去りました。しかし全員避難し、命を守ることはできました。利用者、職員の命は今も煌々と存在しています。

大きな痛みを伴った震災ですが、私たちは負けませんでした。しかし先が見えず、施設も材料もない・職員がいない・財政支援・事務資料もない、というスタート地点に立ち、この状況を震災後初顔合わせとなる平成23年3月30日、利用者にありのままを伝えました。この状況でも再建するかどうかを問いました。皆さんから「工房が必要だ、再建させよう」との意見で固まりました。職員だけではなく、利用者も共に行動を起こすという二人三脚の日々でした。皆さんから工房への余りあるほどの愛情を受け、まずは居場所として、1か月ほど障がい者センターの一室を間借りし活動を行いました。並行して物件探し・資金集め等を行いました。不動産業者の障がい者施設への偏見も強く「うつ病や障がい者が来るような所には貸せない」と幾度も言われ、こちらのニーズに沿った物件を探すのは困難を極めました。いまだに根強い偏見が社会にあることを実感したと同時に、ことさら利用者の日々のご苦労を思うと哀しみが押し寄せました。

荒浜の工房を失った辛い現実の中、利用者が再建に向けて共に考え行動してくれたことはうれしいことでした。工房が本当に皆さんに必要とされ他人事にせず、みんなで知恵を絞り気遣いながら歩めたことはとても大きい原動力となりました。23年6月に、ようやく仮の移転先を見つけ再開することができました。

苦労と言ってしまえば、この震災での損失は一言で終わってしまいます。確かに現実とは思えない現実を多々体験し、こころも体も疲れ果てたこともありました。しかし、私たちは孤独ではありませんでした。利用者と職員は一つの共同体となり、自分たちの居場所を作ることに迷いもなく邁進できました。自宅が全壊等の方もいますが、いつも出てくる言葉は周囲を気遣い、支え合う姿でした。本当に尊敬できる強く優しい心の持ち主ばかりです。

現在

津波で農地を失ったので工房での作業は手芸制作に切り替えました。当初は皆さん作業への戸惑いがありましたが一つ一つ乗り越え、現在はメインの作業になりました。被災のデメリットだけに捉われるのではなく、皆さん本来お持ちの障がいに隠れていた生きる力を震災後より発揮しているように見受けられます。通所を含め、生活の中で自分の担える役割を見出し、自己肯定感が広がっています。自分を認められることで安定感が出てきています。その得た力で皆さんに恩返しの気持ちで活動しています。

震災は他者との関係を見出し、自分の存在をより深く受け止める機会になりました。利用者にとって、孤独の世界の中ではなく相手も自分も受け入れ、自身の人生の灯を見つけたきっかけになっています。

一方課題として、今の拠点は震災時、選択肢もない中で入居したビルであり、雨漏り等ビルの老朽化は把握していましたが、5年目になってさらに状況は悪化しています。この先このまま入居できるのか、また移転先・移転費用等、課題があり、今後の方向性を模索しています。しかし、工房は毎日笑顔と笑いに溢れており、みんなに毎日会える幸せをかみしめています。

工房立ち上げから震災を乗り越えて、出逢ったすべての方たちのおかげで今のみどり工房があります。いつか皆さんに恩返しできるよう前を向いてさらなる復興を目指します。

(こんのまりこ みどり工房若林施設長)