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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年7月号

当事者からの声

介護保険がやって来た!私の最も長い日

山内一茂

私は40歳で福岡から大阪に出て来ました。53歳の時に頸椎を手術した結果、見守りを除き、外出、入浴、家事援助等生活全般にヘルパー導入せざるを得なくなりました。複数のヘルパー事業所と契約して、自分のケアプランを立ててピアカウンセラーの仕事を続けることができて、本当の自立生活を始めたんだと思いました。これは、障害者運動で出会った仲間とヘルパー制度があったからです。

63歳の時、東大阪市自立支援協議会のくらし部会支給量決定ワーキングに当事者として参加しました。長時間介護利用者に対する支給決定システムのあり方の検討でした。東大阪市には独自に、国の自立支援法介護基準に一人暮らし等の条件が合えば介護時間を上乗せする仕組み(非定型加算)があり、私もその対象者です。長時間介護利用者へのアンケートを実施したところさまざまな問題が出ました。その中で、当時64歳だったOさんが緊急課題になりました。障害福祉と介護保険のサービスの併給を認めさせるために市と交渉しました。結果的には、不足時間は自立支援との併給加算で移行前とほぼ同時間を確保できましたが、費用負担は残り、地方自治体での取り組みの限界を感じたのも事実です。

いよいよ65歳になりました。私は生活保護受給者のため年金から介護保険料は引かれますが、利用料はないので、問題は時間と介助の質です。その時契約していた事業所は5か所で、介護保険を扱っている所はありませんでした。私は仕事を辞めて、移行準備に専念しようと思いました。そんな時、契約していた事業所の1つが介護保険も扱えるようになったので、その事業所をメインに、介護保険点数を入れたケアプランと、私は障害者運動に参加するので外出が多いため、リストを用意して、支給判定会議に出ました。

私の介護判定は要介護3でした。東大阪市は内規で併給加算要件が要介護4、5とされているらしく、会議は揉(も)めましたが、65歳以前から障害福祉サービスを利用していたため担当者は認めてくれました、しかし、翌年担当者が変わった途端「要件を満たしていないので併給加算はだめ」と言われ、私と仲間の抗議で撤回しました。その後は、65歳以前に障害福祉サービスの利用があれば要介護度に関係なく、従前のサービス量を引き続き利用できることが確認されました。今は何とか生活できていますが、また大きな波がやって来ると思うので、「私たち抜きに私たちのことを決めないで!」と声を挙げ続け、乗り切っていこうと思います。

(やまのうちかずしげ 大阪肢体障害者団体連絡協議会副会長)