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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年8月号

知り隊おしえ隊

『パラカヌー』というスポーツを知っていますか。

吉田義朗

カヌーは競技としてだけでなく、釣りや狩猟、キャンプ、渓流下り、ツーリングなどレクリエーションとして広く愛好されています。

パラカヌーとは、障害者が行うカヌー競技全般を指してそう呼ばれています。

カヌーというのは、パドルで漕(こ)ぐ小舟を総称した名前です。

カヌーにはさまざまな種類があり、大別してみると、カヤックとカナディアンカヌーの2つに分けることができます。この分け方は、簡単に言うとパドルの種類で分類されます。

カナディアンカヌーは、シングル・ブレードパドルといって、水を漕ぐブレードが片方だけに付いたパドルが使用されます。デッキがオープンになっているために、荷物の積載能力が高く、ツーリングに適したカヌーといえます。

1人で乗る場合は、パドルを左右交互に適宜持ち替えて、進行方向をうまくコントロールします。2人以上で乗る場合は、左右のブレードをそれぞれ分担できるので便利です。比較的静かな川や湖をツーリングするのに適しています。

一方、カヤックは、左右にブレードが付いたダブル・ブレードパドルが使用されます。艇は比較的小振りで、小回りが利くのが特徴です。

使用する場所によって、シーカヤック(海)、リバーカヤック(川)、ファンカヤック(湖)に区分されます。それぞれ使用する場所の流水の状況や障害物の有無等にあわせて、操作性や安定性、直進性、スピード性能などが異なります。

スポーツとしてのカヌーの歴史は、19世紀中頃のイギリスが発祥で、最初のカヌー競技は、1866年にテムズ川でレースが行われました。1924年には国際カヌー連盟が創設、第1回の世界選手権は1930年に開催され、第11回ベルリン大会からオリンピックの正式種目となりました。

日本におけるカヌー競技は、1940年に開催が予定されていた第12回オリンピック東京大会の準備のため、第11回ベルリン大会のボート競技選手団がドイツ製のカヤック艇とカナディアン艇を、持ち帰ったのが始まりです。

1964年、第18回オリンピック東京大会で、フラットウォーターレーシング(スプリント)が正式種目として採用され、国内におけるカヌー競技は普及と強化の両面で大きく躍進しました。

日本の障害者スポーツの歴史は浅く、1960年代に車いすバスケットボールから始まり、車いすマラソン、車いす陸上競技、車いすテニスなどさまざまなスポーツへと広がりました。

障害者がいろいろなスポーツに取り組み始める中でも、障害者向けのアウトドアスポーツはなかなか体験できる機会がありませんでした。しかし、日本で初めて、奈良県で開催された障害者のためのカヌー講習会(1992年パラマウント・チャレンジ・カヌー)がきっかけとなり、1995年には日本障害者カヌー協会が発足。障害者カヌー(パラマウントカヌー)が全国に広がることとなりました。

その時の奈良県吉野川の全国大会会場では、カヌーのもう1つの種目である「スラローム」競技も開催されました。また、九州大分県の犬飼町において「スラローム」の障害者全国大会が開催されました。

初期のパラマウントカヌー全国大会では、カヌーを「楽しむ」ことの1つとして、ゲートを設営してのスラロームも行われていました。

カヌー競技には大きく分けて2つの種目があります。今回、パラリンピックに採用された「スプリント」と呼ばれる静水を漕いでタイムを競う競技と、「スラローム」という激流に設置されたゲートに触れずにタイムを競う競技です。

日本で、パラマウントカヌーの「スプリント」の大会を初めて行なったのは、2012年、大阪府泉南郡岬町の「府立海洋センター」の海でした。

全国でパラマウントカヌーに取り組む障害者選手に呼びかけ、ルールに基づいたパラマウントカヌー大会を初めて開催しました。

この大会は、協会側で自作のコースロープ・ブイを制作し、知人に依頼して海上を測量してもらい、200メートルのコースを作るといった自前のレース会場で行われました。

その記念すべき第1回のパラマウントカヌー大会の参加者は全国から10人。九州から5人、関西から3人、愛知県から1人、東京から1人の男性のみの大会でした。この時は障害程度によるクラス分けなどなく、障害者が一斉にスタートラインに立って、タイムの優劣を競う200メートルのスプリント競技のみでした。

この大会がきっかけとなり、日本カヌー連盟の正式な大会にパラカヌー選手も健常者に混じり、積極的に参加していくことになりました。

当時世界では、障害者スポーツとしてパラカヌー部門がありました。そこで日本障害者カヌー協会では、パラカヌー選手を育成し世界レベルの大会に参加できるよう、日本でパラカヌー部門を作る新しい取り組みを始めました。その後、正式種目としてパラカヌー部門が誕生しました。

今年は4年に一度のオリンピック・パラリンピックが開催されます。第15回夏季パラリンピックは9月7日から9月18日まで、ブラジルのリオデジャネイロ市で開催され、この大会で初めて、パラマウントカヌー(障害者カヌー競技)が正式に採用されました。

オリンピックの正式種目となっているのは「スプリント」と「スラローム」の2つです。現在のパラリンピック正式種目は、カヤックによる200メートルの直線コースで行うスプリント競技のタイムレースのみです。「スプリント」は、直線コースを同時にスタートし、いかに速くゴールできるか着順を争う、スピード感が魅力の競技です。

国際脳性麻痺者スポーツ・レクリエーション協会の規定に基づき、脳性マヒや切断など、肢体不自由な選手の(筋力低下、関節可動域制限、四肢欠損とし、いずれも下肢と体感の機能障害を有する選手に限る)障害の程度によって、

  • L1(胴体が動かせず、肩の機能だけで漕ぐことができる選手。主に、腕と肩の両方、または腕か肩を使って、艇を操作できる選手。座位でバランスを取ることが困難な場合が多い選手)
  • L2(胴体と腕を使って漕ぐことができる選手。下肢の機能が著しく弱いため、継続して踏ん張る、または腰掛けて艇を操作することが困難な選手)
  • L3(足、胴体、腕を使うことができ、力を入れて踏ん張る、または腰掛けて艇を操作できる選手)

の3つのクラスに分かれます。

競技種目としては、カヤックとバー(アウトリガー付きカヤック)の2種類があり、カヤックは、両端にブレード(水かき)の付いたパドル(櫂)を左右交互に漕ぎながら艇を前に進めます。バーは、本体の横にバランスをとるための浮き具がついている艇で、左右どちらか片方のみを漕ぎながら艇を前に進めます。リオデジャネイロ大会では、カヤック部門(KL1、KL2、KL3)の3種目が男女とも行われ、合計6種目で競技が争われます。

2020年パラリンピック東京大会では、カヤック部門、バー部門の2部門が採用される予定です。

リオデジャネイロ大会で、初めての種目パラカヌーで初の日本選手の出場権を獲得しました。日本代表として、瀬立モニカ選手(18歳)の出場が決定しました。現在、日本のパラカヌー競技の中で一番活躍が期待されている注目選手です。

瀬立選手は、中学時代に部活でカヌーをしていました。車いす生活となった後、東京大会を目指してみないかと誘われてパラカヌーを始めたそうです。瀬立選手は「パラカヌーは健常者と変わらないレベルでできることが魅力です」と話しています。パラリンピックも新聞やテレビで放映される予定ですので、ぜひパラカヌーを知って応援してください。

カヌーの魅力は、自然と一体化した中で自由に艇を操ることができる点にあります。通常の目線ではなく、水面に近い目線から景色を楽しむことができるのも、カヌーの素晴らしさです。そして彼女のように障害があっても、カヌーに乗ると健常者と変わらない楽しみや喜びが得られるという点でも、障害がある人でも自分でカヌーを操り、楽しめるスポーツとして注目されてきています。

カヌーを通じ自然の素晴しさを再発見すること、そして自然と一体化し、自然と共生するスポーツであること、レジャーとしても楽しむことができ、競技としても世界と戦うことができるというカヌーが果たすべき役割は、大変大きいものがあると考えます。

日本障害者カヌー協会では、障害者を対象とした「パラマウント・チャレンジ・カヌー」の普及に向けてさまざまな活動を行なっています。

障害者や障害者と共にカヌーを楽しもうという方を対象に、全国各地で『パラマウント・チャレンジ・カヌー』という障害者カヌー体験会を開催しています。

まずは、一人ひとりが主体的に楽しみ、カヌーの楽しみを共有すること。さらにはカヌーに挑戦し、サポートが必要な人にはサポートできる人がサポートする。カヌー体験だけでなく、キャンプやレクリエーションなどを通じて、障害のあるなしに関係なく同じ思いの仲間たちが集まって遊ぶ。その中で、人と人の新しい出会いが生まれ、一人ひとりの個性が認められ生かされていく。

みんなが楽しみを共有して共に遊ぶことによって、障害者の自立と社会参加への一歩になればと思います。

これからも各地で『パラマウント・チャレンジ・カヌー』の普及活動を行いながら、競技としてのパラカヌー、この2つを車の両輪として強化と育成を進めていきたいと考えています。

(よしだよしろう 日本障害者カヌー協会会長)