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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年9月号

フォーラム2016

熊本地震から4か月:被災した障害のある人たちは…

平野みどり

2016年4月14日、16日に震度7クラスの地震が突然発生し、その間、その後も余震が続いている。すでに4か月が経過したが、この間の地震回数は1,987回と、昨年の国内発生件数を遥かに超えた。2回の地震だけでなく、記録破りの余震により、熊本県民がいかに不安な日々を送ってきたか想像していただけるだろう。

私自身は、14日(9時26分発生)と16日未明のともに震度7クラスの地震の時は家におり、この世の終わりかと思うような激しい揺れに襲われ、恐怖を感じたものの、わが家は阪神・淡路大震災後に耐震を重視して建てていたので、ほとんど無傷で持ちこたえた。もちろん家財はある程度は散乱し、電球が割れたりしたが、益城町や熊本市東部を中心とした激震地区は全壊や半壊などで壊滅的な被害を受けており、わが家の比ではなかった。

1 熊本学園大学内「私設インクルーシブ避難所」

私が理事を務める「NPO法人自立生活センターヒューマンネットワーク熊本」の主要メンバーの多くが、重度障害で一人暮らしをしている人たちだ。ヒューマンネットワーク熊本は、関連事業所として居宅介護事業所「ぴあ」、地域活動センター「いんくる」、相談支援事業所「いんくる」を持っている。発災後、当事者メンバーや利用者、ケアスタッフたちは携帯で連絡を取り合い、ひとまず熊本学園大学の広域避難所に集まることにした。実際、避難所になっていたのは付属高校のグラウンドだったため、大学側は高橋記念会館内(14号館)にある教室の一角をあてがってくれた。続々と避難してくる一般の避難者がいる中、スペースは限りなく狭く、トイレに移動する導線すら確保できない状況だった。

そんな中、ヒューマンネットワーク熊本の元代表で、熊本学園大学社会福祉学部教授の東俊裕弁護士から「大ホールを障害者や高齢者などの避難困難者に開放するから、ヒューマンもそっちに移動してほしい」という有り難い提案があり、ヒューマンネットワーク熊本のメンバーを中心にした障害者の避難所が確保された。人数は、車いすを利用している障害をもつ人だけでも20人近くまで膨れあがっていた。

大ホールに移動すると、障害者だけでなく、介助が必要な高齢の方も大ホールに移動していた。合わせると、要支援者数だけで40人を超える数に上り、最初に取り組む課題は、40人規模の介助体制をどう作るかだった。

2 介助体制の構築

熊本学園大学で講師を務める吉村千恵さんと一緒に、この人数を支援する体制を作ることになった。ヒューマンネットワーク熊本のヘルパースタッフと学生ボランティアを配置し、「障害者も高齢者も格差の無い介助体制を組む」ことを確認した。

避難所での支援は多岐にわたった。障害をもつ方や高齢者への身体介護(食事介助、排泄介助、移乗介助)はもちろん、少ない食材を使っての炊き出し、避難者の自宅に戻って必要な物品を調達し、病院へ薬をとりにも行った。知的や精神に障害をもつ方は、環境への順応が難しい状況のなか、必死で我慢して生活していたので、心のケアもしていく必要があった。病院に入院している医療的ケアが必要な方へのヘルパー派遣も開始した。

本震の直後から、全国の自立生活センターからさまざまな支援の申し入れがあった。支援物資のほか、何より有り難かったのが介助者などの人的支援だ。彼らに避難所の介助を担ってもらうことで、私たちは次なる行動に移行できた。文字通りの即戦力のヘルパーだった。その後、一人ひとりの生活のアセスメントを丁寧に行い、熊本学園大学内の私設避難所は、最後の一人の退所を持って、5月28日に閉鎖された。

3 「被災地障害者センターくまもと」の立ち上げ

4月23日、「被災地障害者センターくまもと」(以下、被災地センターくまもと)が、「ゆめ風基金」の支援を受けて立ち上がった。事務局を東俊裕弁護士が担っている。全国から集まってくれた、障害者支援の経験のあるボランティアが手分けして避難所を巡り、被災地センターくまもとの存在とSOS対応ができるというチラシを配布することからスタートした。避難所によっては、怪しげな団体と懐疑的な目で見られたりもしたが、熊本県や熊本市と連携の上、立ち上げたことを説明すると安心された。訪問する中で、障害をもつ避難者の把握に努めたが、避難所担当者は情報開示については慎重だった。チラシだけでも当事者に渡してもらえるよう頼んで回った。被災地センターくまもとでは、介護保険対応の高齢の方も、現行の福祉サービスで対応できていない困り事やSOSにできるだけ対応している。

依頼の中身は、当初は話を聞いてほしいとか、家の外や中の片付けとか、がれき撤去などの要請が中心だった。引き続き、片付けの支援依頼は多いが、加えて住宅確保の相談が大きな課題である。公営住宅や仮設住宅は抽選でなかなか当たらないため、民間の住宅(バリアフリー改造も可能な)のあっせんも行なっている。

発災直後は、関心が高く、一般のボランティアも現地で受け入れ対応ができないくらい多かったが、全国的な報道が徐々に減っていく中、ボランティアの確保は大変だ。被災地センターくまもとでも、全国から障害者支援の経験のあるボランティアが入れ替わりながら活動していただいているが、切れ目ができないか心配である。支援の内容が時間の経過とともに変わっていき、依頼件数も減らない中、継続的なボランティアの確保が今後の課題である。

4 相談支援機関による障害者の安否確認

地元の相談支援機関や全国相談支援協会、JDFの連携により、熊本市内の手帳所持者9,000人(事業所や精神科病院等が把握している方、介護保険利用者は除く)の安否確認は、東区、南区、西区、北区、中央区の順でほぼ終了した。しかし、一時的な安否確認のみに留(とど)まっており、ニーズの調査には至っていない。本来、そこで明らかになったニーズを被災地センターくまもとにつないでもらい、支援を充実したいが、実際の調査数からすると上がってきていないようだった。調査にあたった相談支援機関によれば、今後、第二弾、第三弾の継続的な調査が必要になるとのこと。7月に熊本市が、相談支援機関や被災地センターくまもとのチラシを手帳所持者全員に郵送した。その後は、それを受け取った方々からの依頼や問い合わせの電話が増加し、対応に追われている。

壊滅的な被害を受けた、益城町、西原村、南阿蘇村の障害者への支援はまだ道半ばである。障害者運動もほとんどない地域であるため、仲間たちが日常的に集い、いざという時に避難できる拠点が必要と考え、現在、被災地センターくまもとでは、各方面からの協力を得ながら益城町に拠点を作る準備を進めている。

5 仮設住宅は車いす利用者が住めるか?

阪神・淡路大震災や東日本大震災後、バリアフリー仮設住宅を作ったものの、室内に段差があり使えなかったという話を聞いていたが、残念ながらその教訓が今回も活かされていない。熊本市や益城町の仮設住宅は全戸中1割をバリアフリータイプとしているが、実際は、入口にスロープを付けただけの「バリアフリー住宅」だった。また一般の仮設住宅も、入口に段差があったり、住宅の周辺は砂利道だったりと、高齢者やベビーカー利用者にとってもアクセスしづらい状況だ。仮設住宅そのもののユニバーサルデザイン化も検討が必要だ。熊本までの震災の教訓を活(い)かし、個別の改造が可能なモジュールを国で検討し、準備する必要があろう。

6 終わりに

障害のある人たちの被害全容はまだまだ把握できていない。しかし、図らずも、これまでつながっていなかった仲間やサービスの利用をしていなかった人が、新たな人と人とのつながりを生んでいるケースも少なくない。被災地センターくまもとも、ヒューマンネットワーク熊本など地元の障害者団体や支援団体と、息の長い障害をもつ仲間たちへの支援を継続していくことになる。これまでご支援いただいた全国の団体や個人に心から感謝するとともに、被災地熊本がずっと被災地のままでないよう、これからも関心を持ち続けていただくことをお願いしたい。

(ひらのみどり 被災地障害者センターくまもと事務局次長、自立生活センターヒューマンネットワーク熊本理事)