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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年10月号

「障害者アート」からの解放

今中博之

「障害者アート」という呼称は、ノーマライゼーションを否定してはいないだろうか。アトリエインカーブ(以下:インカーブ)のアーティストには知的障がいがあるが、私たちは彼らがつくり出す作品を「障害者アート」と呼ぶことはない。同様に彼らも自らの作品を「障害者アート」と呼ばない。

インカーブでは、現代に生きる人によるアート、つまり「現代アート」として社会に発表し、個人が突出することを尊重している。作品を購入するアートパトロンが世界にいる人や国際的な美術コンペティションで入賞する人など、個人のアーティストとして頭角を表す人も多数現れてきた。突出するアーティストは、アートに興味を抱き、アートで生きていこうとする若きアーティストの裾野を広げる役目も負っている。

インカーブでは、いわゆる福祉的就労(請負による単純作業や食品製造など)を行なっていない。活動内容は「作品制作」のみで、インカーブではそれを「専門的就労」と定義づけしている。専門的就労とは、福祉的就労に対してインカーブがつくった言葉であり、一定の雇用関係によらず時間に束縛されないで、特別な技能・技術・知識に基づき独立して営む職業と定義している。たとえば画家・音楽家・舞踏家などがそれにあたる。

彼らと同伴するスタッフの大半は、福祉の専門資格である「社会福祉士」と、博物館・美術館の専門職「学芸員」の資格を持っている。スタッフは、福祉とアートの両輪をたずさえたソーシャルワーカーとして、障がいのあるアーティストと日常生活を共にしながら、その作品を世界に発信しているのである。

2010年に「ギャラリー インカーブ-京都」を開廊し、インカーブ専属のギャラリーとして、作品展示・販売を行なっている。誰のどのような展覧会にするかは、インカーブのスタッフではなく、展覧会の企画や会場構成を行うキュレーターを外部から招聘し、決定している。日常生活を共にするスタッフが決定すると、次は自分が選ばれたいがために、スタッフの顔色を伺いながら制作するアーティストが出てくる。アーティストとスタッフの間に上下関係ができてしまうのだ。スタッフが評価することは、厳に慎まねばならないと考えている。

近年は、アートフェア(美術作品の展示即売マーケット)、特に、ニューヨークやシンガポールなど海外のアートフェアに積極的に出展している。

このように、作品発表・販売の機会は年々増えているが、発表するか・販売するかは、あくまでもアーティストの意向を最優先にしている。アーティストは、それぞれに制作のスタイルと発表に関する希望を持っている。1日のうちに何枚も描き上げる人がいれば、2~3年かかって、1枚の作品を完成する人もいる。作品をたくさんの人に見てほしい、売れると嬉(うれ)しいという人がいれば、絶対に手離したくないという人もいる。私たちスタッフは、その何通りもの希望を細かく丁寧に聞いていく。

現在、筆者は2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会「文化・教育委員会」委員や、厚生労働省・文化庁の「障害者の芸術振興に関する懇談会」構成員を仰せつかっている。会議では、障がいのある人によるアートを「アール・ブリュット」という言葉で統一しようとする向きが顕著である。アール・ブリュット=障害者アートという等式は、わが国固有の現象であり、国籍や性別・障がいの有無を超えて自由に鑑賞されるべきアートをカテゴライズし、「障害者の作品」というスティグマ=烙印を生み出していると言えないだろうか。また、障害者アートは、アール・ブリュットのone of themであるにもかかわらず、その他を排する傾向にも合点がいかない。

筆者の意に反して、それ専門の美術館を設立し、障害者アートを集約して普及啓蒙する実践が各所で進行中である。美術史研究などの立場であれば、障がいのある人による創作活動に名前を付けて他と区別し、美術史上にその形跡を刻むことは有用かもしれない。しかし、筆者は社会福祉法人を運営する立場から、そのカテゴライズとスティグマに賛同することはできない。

スポーツや文化は、世界的にも「分離」から「インクルーシブ」へ向かっているのは、周知の事実である。「障害者権利条約」を批准した2014年に、障害者スポーツの所管は、厚生労働省から文部科学省に移り、オリンピックとパラリンピックは一体的に強化・発展させることが推し進められている。まさにインクルーシブな体制である。翻って、わが国の障がいのある人によるアートを取り巻く状況は、時の潮流に逆行していると言わざるを得ない。

インカーブでは、障がいのあるアーティストだけが出品するグループ展や合同展には出品しない。ノーマライゼーションの観点からも「障害者アート」や「アール・ブリュット」ではなく、普遍的な現代に生きる人によるアートとして発信することが、アーティストの個人の尊厳を担保すると考えている。

一方、俯瞰(ふかん)的にわが国のソーシャルワーカーの支援体制を見れば、アーティスト個人の生活・制作活動に焦点化しすぎる気配も感じる。そもそもの科学的ソーシャルワークの成立期より現在に至るまで、ソーシャルワーカーの活動領域の中心をめぐって、「個人か社会か」という議論が拮抗してきた。

しかし、新自由主義が世界を席巻した過去数十年のあいだにソーシャルワークを展開する予算は削減され、ビジネス・マインドの運営方法の導入によってソーシャルワークは、「新自由主義的なマネジメント・ケア」に成り下がってしまったと言われる。ゲートキーパー化だと揶揄(やゆ)されるソーシャルワーカーは個人の支援に止まり、ソーシャルな取り組みをしてきたとは言い難い。

ソーシャルワーカーの日常の業務は、新自由主義的政治システムから要請される消費者ニーズの充足でも、消費者への商品提供でもない。個人の生活・制作活動の整備だけではなく、彼らの尊厳を脅かす「障害者アート」や「アール・ブリュット」という価値付けからの解放にもあると思うのだが、いかがだろうか。インカーブの本分は、彼らの尊厳を守ることができるアートの価値付けを創造することである。

(いまなかひろし 社会福祉法人 素王会(そおうかい)理事長、アトリエ インカーブ クリエイティブディレクター)