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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年10月号

「共に生きるみんなの歌と踊りのつどい」
36年分のあ・り・が・と・う

神野千代美

30年は一世代 つどいは次世代へも続く…。

最初は、10年も20年もやるなんて、思わなかった!でも一人ひとりの力が集まって続いてきた36年です。みんなが集まれば、こーんなにすごいんだね!だから、感謝とともに、少しだけ、振りかえってみます。

第1回は、国際障害者年(1981年)の秋。港区社会福祉協議会の「福祉まつり」(第5回)の中の一行事として開催されました。

詩を公募した歌のコンサートは他に全国にもありましたが、港区のオリジナルでやりたいと、障害者との踊りをやっていたBLUE-THREEレクダンス研究会が企画し、詩の選者を花田春兆さんに依頼、婦人会館(現・男女平等参画センター)で行われました。このとき、盲目のミュージシャン加納洋さんの作曲で「街へ出ようよ」は生まれました。

翌年、「福祉まつり」が「区民まつり」に含まれることになり、独立。開催時期を夏に、会場も虎ノ門にあった港区立青年館に移り、第2回~第6回まで行われました。第3回は、作曲で保福政春さん(4回目からは地上天国建設楽団として)が参加してくださり、朗読でQの会、また、1回目からの風の子会に続き西麻布作業所も参加しました。参加者数も初回の40人から150人、現在は300人を超えるようになりました。

手狭になった青年館に代わり、第7回からは新築された麻布区民センターでの開催となりました。途中、第16回の赤坂区民センター(午前中)の開催を除き、七夕に近い7月の土曜日の午後、「来年また 同じ頃 ここでお会いしましょう」と続いています。台風で開催が危ぶまれた年や、スタッフが少なくて大変だった回もありました。

参加団体は前出の2団体に続き、区内ののぞみの家、体操クラブ ワンツースリー、港福祉作業所(みなとワークアクティー)、愛宕山ライオンズクラブ「ミューズクラブ」、すみれ会、都立みなと特別支援学校、みなと工房、なかよし会、あいはーとみなと、などの皆さんが、特色のあるコーナーで盛り上げ、現在もスタッフを含めた参加者全員が楽しみにしています。

企画で言えば、今では会場の都合で出来なくなりましたが、観客席になっていたイスをかたづけて、全員で踊るコーナーがありました。車いすや障害を持った方も一緒に輪になったり、パートナーを換えて踊りました。イスが動かせない分、手だけの踊りや、「あそびうた」「手話のうた」というコーナーも生まれました。

もちろん、フィナーレの「ディスコタイム」(この名称だけは時代もの?)は第7回(?)以降、歌と踊りのつどいの定番になってしまいました。

ここで、長すぎる?題名の「共に生きるみんなの歌と踊りのつどい」についてご説明します。

共に生きる…港社協の、福祉のつどい、にヒントを得ています。

…当初、詩を公募し朗読をするので「詩」という字をウタと当てたのですが、いつのまにか、みんなで唄う「歌」になってしまいました。

踊り…これは今、つどいの参加者みんなが実践中ですよね。

また、スタッフでは、点字あゆみの会、港区立青年館合唱団「コールーハーバー」、手話ダンス、ともしびバンド、港区青少年吹奏楽団 わの会、サークル「て」、そして、詩集・歌集などでお世話になっている岩楯さん星澤さんなどのグループ。そして、もちろん36年の中では、当日の司会や、作曲に、朗読に、詩集や看板作りなど、カメラや音響や照明、などの会場でも、裏に表に活躍された個人ボランティアさんが大勢いらしたことを忘れてはいけません。

皆さんそれぞれ忙しい仕事の中、また遠くに越されても快く参加してくださる実行委員会のメンバーの他、本当にお世話になった方々もご紹介します。長坂富紗子さん、若槻章二さん、大島啓禎さん、天海喜美子さん、また港区社会福祉協議会や、歴代のボランティアセンターの担当の方々、5回・10回・15回・20回…の記念誌、カセットテープ、CD、作成に協力して下さった方々、資金援助してくださった方々に、感謝なくしてはいられない、36年分の「ありがとう」でした。

そして、つどいは次世代へも 続く…のです。

初期のころ、春兆さんは「港区の文化をつくる」と言われていました。もし36年の中で生まれたたくさんの詩や、創作された曲、踊られた踊りや手遊びなどのすべてを一挙に見れたなら、それはそれは壮観だろうと思います。

しかし、1年に一度、その場に参加した人、一人ひとりが感じる喜びや感動は、なかなか言葉で表現しづらく、その集い1回1回ごとの感動こそが、「歌と踊りのつどい」の作り上げてきた文化だと思います。

第1回から、36年もの長い年月を、変わらない情熱はどこから生まれてくるのか。その意欲、顕在ぶりを、35回の詩集に掲載された春兆さんの詩を紹介いたしますので、感じていただければ幸いです。

東京の港区という小さな区で、300人規模の3時間程度の「集い」ですが、毎年、楽しみに参加してくださる皆さん、スタッフがいる限り、末永く続くことを願っています。

(かみのちよみ 港区在住、「共に生きるみんなの歌と踊りのつどい」実行委員)

街へ出ようよ

作詞 花田 春兆 作曲 加納 洋

(1)

街へ出ようよ 車イス    雨は困るぜ オープンカー
電柱さまは 威張りん坊   歩道の真ン中 通せん坊
ウインク始めた青信号    でも急げない電動車
乗りあげ駐車はいじめっ子  外を廻るにゃ 命がけ

(2)

削った段差は 優しいな   お仲間だよね ベビーカー
冷たく見下ろす 歩道橋   せめてその下 渡らせて
はみ出し荷物に置き看板   邪魔はしないで自転車さん
声かけられて会釈して    笑顔うれしい 街づくり
笑顔うれしい街づくり

さあ、開演ベル、存分に楽しもうよ 花田 春兆

(1)

港社協は六〇年       東京タワーも六〇年
空を仰いで唄おうよ     みんな仲間だ港区だ
プロデューサーの浦江さん  世界を唄って旅してる
レグ・ダンスの楽しさを   実技指導で飛び回る
白髪笑顔の保福さん     三十五年は重ねても
本場のプロの熱演は     ますます活気を盛り上げる

(2)

司会進行神野さん      少女期薫る往時から
この催しの生き字引     この人無しでは始まらない
岩楯さんは実力者      アジア諸国の若者に
日本は古来伝統の      福祉と文化を教えてる
毎年毎年お楽しみ      作品集は星澤さん
ものの見事に仕上げてる   気の行き届く編集長

(3)

旧姓小野の千代美さん    引き継ぐ二代目小野夫人
保母さん務めもしてるから  歌唱指導はお手のもの
どっかり舞台に腰据えて   踊って跳ねるお仲間を
ものの見事に指導してる   芳賀先生のやさしさよ
踊る仲間の子供たち     その成長を年年に
明るく見守る北条さん    一度ゆっくり話したい
季節の蟹の解禁待って    はるばる故郷の島根から
贈ってくれる飯塚さん    弟子のキクちゃん元気かな
お馴染み世話役諏訪さんは  風の子だけの係りじゃない
すべての人に行きわたる   徹底的なお世話役
歌と踊りは三十五年