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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年10月号

1000字提言

「大輔さん、、、さようなら」

天畠大輔

私はこの言葉が好きではありません。「さようなら」を聞くと、永遠の別れになるような気がするからです。大学時代からのボランティアの人たちを含め、たくさんの人と、短い出会いと別れを経験してきたからか、この言葉を聞くと心が重くなって、「これでもう、二度と会えない」というような感情が生まれやすくなっているのかもしれません。でも「またね」って本当は言ってほしいんです。

細身で小柄で化粧っ気が無い人でした。いつも笑顔が絶えなくて、彼女の笑顔が、私の自信を支えてくれました。ひねくれものの私と違い、素直な人で、こんな私のことを好きだと言ってくれ、数年間交際しました。しかし、その数年間で私はすっかり彼女に依存してしまいました。他の介助者に比べ、たくさんの仕事を彼女に任せてしまっていたのです。彼女の読み取り技術が優れていたこと、その読み取りが私の気持ちに、他の誰よりも寄り添っていたこと。彼女の私への想いをそのまま利用し、甘えてしまっていました。早く私の家族になって貰いたいという願いが急いでしまい、不仲な家族との面倒な板挟み役も彼女に押しつけてしまいました。一方の彼女自身も、私に寄り添えるケアをできる者は自分以外にいないと考えてしまっていたようでした。そのことが結果的に、彼女にとって居心地の悪い「疑似家族体験」になったわけです。

私は一人っ子家の根っからの寂しがりやに相まって、障害ゆえかどうかわかりませんが、喧嘩(けんか)は好きではありません。自分自身の意見に自信がないために、衝突を避けようと、誰かの意思に沿うような態度が癖になっているのでしょう。弱い自分を強く見せようと、見栄っ張りになり、虚構の自分を作り上げ、そんな自分の本性をいつしか見透かされて、彼女の気持ちが、私から離れていったように思います。

私は自身の障害ゆえに、一度依存の関係になるとそこから抜け出しにくくなります。一つの仕事に一人、専任してもらった方が、仕事がはかどるからです。金銭面のこと、公的機関との交渉ごと、両親のこと、私の身の周りのこと、あらゆる責任を、分散させずに彼女一人に任せてしまっていました。同世代の介助者が結婚するのを横目で見ながら、結婚を少し焦っていたのもあるかもしれません。いろいろおしつけて、ごめんなさい。

そんな彼女の最後の言葉は「今はもうしんどいの。大輔さん、、、さようなら」でした。一度離れたら、戻ってくるのは難しいってわかっているけれど、それでもあの時、「さようなら」じゃなくて、「またね」って言ってほしかった。言葉の中に、どこかで再び会えるという希望を感じていたいから。「大輔さん、、、またね」って。


【プロフィール】

てんばただいすけ。発話困難なため、一文字ずつ私から言葉を紡ぎ出すやり方で、私の意思を確認する「あ、か、さ、た、な話法」という独自のコミュニケーション方法をとっている。また、平面の物が判読できないという視力の障がい、四肢麻痺をもっている。この原稿を書くにも、原稿の読み上げやパソコンの操作など、ヘルパーの手助けが必要である。