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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年12月号

ほんの森

精神病院のない社会をめざして バザーリア伝

ミケーレ・ザネッティ、フランチェスコ・パルメジャーニ 著
鈴木鉄忠、大内紀彦 訳

評者 竹端寛

岩波書店
〒101-8002
千代田区一ツ橋2-5-5
定価(本体2,700円+税)
TEL 03-5210-4000(代)
http://www.iwanami.co.jp/

精神病院? バザーリア? 自分には関係ない! そう思う人にこそ、ぜひとも手にとっていただきたい一冊である。

トリエステの県立精神病院を廃止しただけでなく、イタリア全土の精神病院を廃止する法律「180号法」制定の立役者でもあった医師、フランコ・バザーリア。日本でもトリエステやイタリアの精神病院改革の実践は紹介されてきたが、その立役者自身の肉声や足跡、思想や実践を焦点化した「伝記」が日本語に翻訳されたのは、本書が初である。

では、どうして精神病院やバザーリアなんて「関係がない」と思う人にこそ、この本を読んでほしいのか。それを象徴するのが、バザーリアの次の一言である。

「患者が病院に収容されているとき、医師には自由が与えられています。ということは、収容された人が自由になれば、その人は医師と対等になるのです。しかし、医師は患者との対等な立場を受け入れようとはしません。だからこそ、患者は閉じ込められたままなのです。つまり医師こそが彼らをそうさせているのです」(p41)

精神病院が「必要悪」とされる「社会的理由」、そこには「患者との対等な立場を受け入れようとはしない」、という医者の「都合」があった。

実は日本でも、国の審議会で某病院協会代表の医師は「病床を減らしても食べていけるような裏付けがなければ、長期入院する精神障害者の地域移行は進まない」と語っている。「医師こそが彼らをそうさせている」という現状は、1970年代のイタリアだけでなく、今の日本そのものである。

「狂気とは、深い苦しみに裏打ちされた表現なのです。」「『苦しみと向き合う』唯一の方法は、患者のみならず、身近な人々にもありのままの苦しみを認めてもらうことです。当事者と関わりを持つ者すべてが、責任の一端を担い、患者がその苦しみに耐えられるように支援する。そうすることで本人の負担を軽くしてゆくのです。」(p84)

たとえば私たちは、BPSDという言葉で認知症を「わかったふり」としていないだろうか。問題行動や困難事例、BPSDや狂気とは「深い苦しみに裏打ちされた表現」なのである。支援者に求められるのは、「ありのままの苦しみを認め」「責任の一端を担い」「本人の負担を軽くしてゆく」支援である。

そう、バザーリアは福祉や医療現場で「当たり前」とされていることを根源的に問い直す「実践する知識人」だった。「自分には関係ない!」と思う人こそ、この本を手にし、彼の問いと向き合っていただきたい。

(たけばたひろし 山梨学院大学教授)