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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2017年2月号

列島縦断ネットワーキング【岡山】

アツアツの焼きいもで熊本地震の被災者支援
~平成いもの会の取り組み

板橋完樹

新規就農と平成いもの会の発足

農業生産法人(有)岡山県農商は、平成元年に岡山市北区中原地区で農地5アールを借地し、青ネギの生産を個人で行なったのが始まりです。これまでは他の業種に取り組んでいましたが、農業をやろうと一念発起しました。当時は農業の成り手が少なく、人気のない職業でした。新規就農時からの目標で農業をやるなら家族的な農業でなく、人を雇って組織として農業をやりたいと考えていました。中原地区は昔から青ネギが特産で、通年で収穫が見込めるため雇用に繋(つな)がると考えました。

そうした中、平成9年に近所にある旭川荘の障害者の方々と交流する機会があり「農業で何かお手伝いできないか」と考え、自分の畑で一緒にさつまいもを栽培することにしました。その時は、旭川荘の障害者や近隣の住民ら30人ほどと苗の植え付けや秋の収穫祭を開催しました。これがきっかけで「平成いもの会」が誕生しました。この時、作業する障害者の姿を見て、「この人たちとなら一緒に仕事ができるな」と感じました。初めは何もできないのかと思っていましたが、教えればきちんと作業できる。そして何よりもまじめで、しかも楽しそうに作業をしているのを実感できました。

最初のいもの会の後、一人の障害者を旭川荘の紹介で雇用しました。仕事の能力は決して高い方ではありませんでしたが、性格が良くまじめで、一緒に働く仲間となったこの人は、現在も働いています。そこから少しずつ障害者雇用を拡(ひろ)げていきながら、農地の規模拡大を続け、平成11年7月に(有)岡山県農商を設立しました。15年に岡山市北区御津国ヶ原地区でも農地を取得し、青ネギの栽培を始めました。

現在は、10ヘクタールの農地で、青ネギやミニトマトを栽培しています。また平成20年10月に、特定非営利活動法人岡山自立支援センターを設立しました。21年4月に就労継続支援A型事業所「ももっ子おかやま」、翌22年4月「ももっ子みつ」、24年7月「きびっ子おかやま」、25年7月「ももっ子くめなん」の4事業所を開設し、ほかに県内3か所にグループホームを開所しており、現在では障害者約70人を雇用しています。

平成いもの会の活動

現在は、岡山県農業会議・御津国ヶ原町内会・就労継続支援A型事業所(岡山県美作市・吉備中央町・岡山市北区地区など)を中心とした福祉関係者・(有)岡山県農商との連携の下で活動しています。6月の植え付けに始まり、11月の収穫の後で参加者全員で焼きそば・豚汁・おにぎり等を食べながら歓談しています。また、7月と9月の暑い時期の草取りは、障害者らが先頭になり、汗まみれになりながらの作業に精を出しています。この取り組みにご協力いただいた地域住民の方々は、障害者に対する理解が深まるとともに、障害者及びその家族の方々は、農産物の生産を通して収穫する喜び、地域住民やボランティア等との触れ合いによる絆の醸成を得ることができています。

東日本大震災の被災地へ

平成23年に「平成いもの会」は第15回を迎えました。記念すべき節目の年を迎え、何か記憶に残ることができたらと世話人一同で話し合っていた時、平成23年3月11日、東日本大震災が発生しました。さつまいもを東北へ送ろう。どうせなら東北へいもを持って行き焼きいもにしてふるまおう。いろいろな意見が出るなか、例年の倍を作付けして3トンのいもを焼きいもにしてふるまうことで話がまとまりました。 障害者の人たちもいも作りに精を出し頑張ってくれました。参加者250人の気持ちが伝わったのか、焼きいもにするのに手頃な立派ないもができました。その頃には、ドラム缶で作った自作の焼きいも器6台も完成しました。

しかし、東北へ行く日は決まっているものの出発する3日前になっても開催場所が決まっていない状態でした。日本財団職員の方と河北日報の紹介で、宮城県仙台市JAたなばたけと、気仙沼市大谷海岸道の駅に行くことが決定しました。2か所の担当者の方とは電話で話をした程度でしたので、本当に待ってくれているのかと不安でした。

11月17日、午後1時に2トン車2台・マイクロバス1台に12人が乗り、岡山を出発し新潟周りで福島を経由し、仙台に着いたのは午前4時頃で15時間の長旅でした。車内で仮眠した後、午前8時からJAたなばたけ会議室での打ち合わせ。双方が不安を抱えつつ、レンタンに火を付け、焼きいもができる10時には長蛇の列、地元の人たちとの会話も弾み喜んでくれる姿に私たちのやる気もヒートアップしてきました。それを見てか、JAの店長と部長が、最後には専務理事までが挨拶に来てくれました。被災者の方の喜ぶ姿に、朝とは違うみんなの満足した顔に私も満足、安心して初日が終わりました。

2日目は朝6時に仙台をスタートし、一路気仙沼市大谷海岸の道の駅へ。携帯電話で連絡を取り合う駅長さんの声が弾んでいました。午前8時前に到着。駅長さんの話ではここは東北有数の海水浴場だったこと。国道に沿って道の駅があり、その下を三陸鉄道が走り、さらに海岸が広がっていたこと。しかし、道の駅も鉄道も海岸も崩壊状態。地震も怖いが津波の怖さも思い知らされました。

仮設でオープンしたばかりの道の駅で、焼きいもが始まりました。いもが焼きあがる10時頃には120人ほどが行列をつくっていました。被災地の方々と私たちの会話も弾みます。「はるばる岡山からありがとう」「私、昔岡山に住んでいたの、懐かしい、うれしい」と涙を流す女性もいました。これにはこちらももらい泣き。午後3時頃には3トンのいもがすべて無くなりました。焼きいも器をトラックに積み込みいざ帰路へ。道の駅関係者は私たちの車が見えなくなるまで手を振ってくれました。駅長さんには、一昨年「被災地の現状」と題して岡山の地元新聞社で講演していただきました。

熊本地震の被災地へ

平成いもの会が発足して20年目、昨年4月14日と16日の2回に渡り、熊本で大きな地震が発生し大変な被害に見舞われました。いもの会の誰彼となく「熊本へ焼きいもをしに行こう」という声が出ました。いもの会のみんなも賛同してくれ、今回も東北へ行った時と同じ2,000m2の畑に5,000本のいも苗を植え付けることになりました。6月11日植え付け、7月・8月の草取り、11月5日の収穫祭を経て、12月2日熊本への出発式。収穫から出発までの準備が大変でした。いものヒゲを取り、焼きいもサイズのいもに分別。それから、冷たい水でのいも洗い。熊本へは障害者の方々は同行しませんでしたが、準備には良く携わってくれました。

5年前の東北行きでは場所がなかなか決まらなかったこともあり、今回は焼きいもを行う場所をあらかじめ熊本県にお願いしました。おかげでスムーズにいきました。

3日は御船町ふれあいセンター近くと甲佐町白旗仮設団地で、4日は被害の大きかった益城町の木山・安永・馬水の各仮設団地で焼きいもの配布を行いました。休みの日にもかかわらず、支え合いセンターの職員の方もいもの配布を手伝ってくれました。3日には、熊本県副知事が激励に駆けつけてくださいました。

5年前の東北行きはいもの会のメンバーが中心でしたが、今回は全国の自立支援センターの仲間が東京から飛行機で、大阪からは「唐揚げ」の配布に車で、広島・滋賀・長崎・佐世保・諫早・鹿児島・熊本からも駆け付けてくれました。また、いもの会のメンバーを含め31人の仲間が自費で参加してくれました。

今月号のグラビアでも紹介されていますが、皆様に喜んでいただいた思い出に残る焼きいもの旅となりました。ただ、残念だったのは2日目の天候に恵まれなかったことです。

仲間に感謝

いも作りにしても、被災地支援にしても、一人でできるものではありません。ましてや、交通費・宿泊費も全額個人負担で被災地支援に参加してくれた仲間、その多くの仲間に支えられ熊本地震の被災地の皆様に喜んでいただきました。ありがとう!感謝!!皆様の人生の中で心に残る2日間であったことを願います。

(いたはしかんじゅ 有限会社岡山県農商会長)